これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
講演 友岡雅弥氏第3弾!(October 21, 2006)
読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。
友岡講演 第3弾!ご参考に・・・
■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/不明
■会合名/不明
(つづきです)
鎌倉時代も室町時代も僧侶は基本的に葬式に行かなかったんですね。
例えば浄土真宗の方は親鸞上人全集を見たらよくわかりますわ。
禅宗の方は駒沢大学が出している道元全集を見たらよくわかります。
信徒の葬式に行った例はありません。
それを僧侶をスパイにしたんです。
でも誰でも毎日祈ってたら経典も見てみたいと思うでしょ。
だから、当時の週刊誌のような物に、
『毎日祈っている人間は、弱い人間なんだ。才覚ある人間はそんな事はしない。』と、享保年間ぐらいからおびただしく載せさせた。
本当は祈っている人間は強いんですよ。
幕府をいつか転覆させるかもしれないので、コントロールしていったんです。
だから『宗教やっている人間は弱い。』と言っておきながら、年に1回お参りに行って、お坊さんに読んでもらうのを聞いて、自分は一切経典を読まずにね、そのくせ、葬式には僧侶を呼んで行うという事が定着したんです。
『自分は努力と信念で生きる』と言うなら、葬式ぐらい自分の努力と信念でやれと言うんです。
まさにそれは、徳川幕府が強制した弱い人間を作る信仰のあり方そのものなんですよ。だまされてるんですよ。
この努力と信念ですけど、努力と信念で何をやっていくか、これが大事なんですよ。
努力と信念で、お金とか売上高とか何かの業績、同期で出世が一番早いとか、こういう風に外見でぱっとわかる物に固執する人は、本当は信念の無い人なんですよ。
これを『他者評価依存傾向』にあると言います。
他人の評判を気にして恐れているんです。
『あいつこんなんか』と思われたくないから、いいかっこと不安な衝動によって前進しているんです。
本当に信念のある人は、他者の評価がどうあろうが人間としての信義を貫ける人ですよ。
今年6月、南太平洋のある国が、日本人の新婚旅行のカップルのキリスト教式の結婚式を正式に禁止しました。
正式にです。その時の国会の答弁がおもしろいんですよ。
ある牧師の政治家が、
『よく自分の所で日本人が式をあげたがるが、本当にかわいそうだ。よく聞くとキリスト教のことなど知らない。
こんな人生の大事な日を、信じてもいない神の前で誓うなんて絶対におかしい。
それだったら信じている友達の前でやったらいいのに。
本当の幸せとは何かを考えてもらうために、私は挙げに来た人には友達の前でやりなさいと順々と説得しているんです』
と。
ローマ法王もかわいそうだからできるだけやらないように言っていたんです。(笑)
その説得の文句も、
『人生のものすごく大事な日を、この人たちは見栄えとか他人の目を気にしながらやっている。彼らにとって、友達とはこういういいかっこの結婚式を見せ付けるだけのものでしかない。
本当はその前で結婚の誓いを出来るようなのが友達なのに。』
と。
その友達には写真かなんかを見せて、かっこええやんかと言われるのを期待しているです。
それが、かわいそうだと言われて禁止になったんです。(笑)
クリスマスイブには海外のディズニーランドはどこも休館日になっているか、お客さんもがた減りの日です。
浦安のディズニーランドだけが満員なんですよ。
ディズニーのアニメでは、ドナルドが悪役でクリスマスイブにどんちゃん騒ぎして、それをミッキーが注意するんです。
『だっておじさん、こんなクリスマスイブの日にパーティ開いている人なんか誰もいませんよ。だってクリスマスイブというのは可哀相な人達のために祈ってあげ、施しをする日でしょ。』
と。
向こうの中学生は一週間くらい前から働いて、そのお金で恵まれない子供達にプレゼントをあげるんですね。
夜は家族で休んでどこにも出かけません。
だから海外からは日本人は非難されているんですよ。『クリスマスイブなのに』と。
去年の2月に、フランスでおもしろい記事があったんです。
『日本のあの悪名高い風習が、ついにパリに上陸した。』と。
バレンタインデーですわ。
この日に女性から男性に愛を告白し…、なんて習慣は、もともと無いというのに。
おかしいでしょ、恋人にはそれぞれ都合のいい日があるはずなのに、何故、同じ日に愛を告白せんとならんのか。
完全にロボットですやん。
もとは、北イタリアでキリスト教が弾圧された時、中心者の男(バレンチノ)が広場で拷問を受けたんです。
国王はこの男に『俺はキリスト教をやめる』と言わせ、ぶざまな姿をみんなに見せ付けることで、みんなにもキリスト教をやめさせようとしたんです。
広場で指を1本1本切って塩水に付け、次は関節1本1本切って塩水に付けたんですけど、キリスト教をやめなかったんです。
何日間か彼は生きつづけたんですが、最後に首に輪をかけられて馬車で石畳の町の中を引きずられて、そして肉の塊りになって死んでしまった。
この日が2月14日ですわ。町のみんなは感動した。
自分たちもああなろうと。それで北部イタリアにキリスト教が定着したんです。
2月14日はその記念の日です。
しばらくしてヨーロッパで、この日にプレゼントする風習が出てくるんです。
お父さんお母さんが、この日に他人のために行動する尊さを記して、絵を描いたりしたカードを子供たちにあげるんです。
これがカードのはしりです。
そして今から100年前、北ヨーロッパではさまざまな革命とかで孤児がいっきょに増えたから、カードよりもパンとか服とかをプレゼントするようになったんです。
日本には80年前にこの風習が入ってきたんですが、やはり根付かなかったんです。
そして57年前に、Mという神戸のチョコレート屋がイギリスのスゥイートハートデーといって、イギリスで初めてチョコレートが作られた日を記念して、みんなにチョコレートをあげる日があるんですが、それとごっちゃにして売り出しました。
『この日にはヨーロッパではチョコレートをプレゼントとして送っていますよ。』とでっちあげたんです。
でも失敗して、今度は、1955年頃に東京のMERRY'Sというメーカーが定着させたんです。
そんなんですから、去年パリで日本の百貨店がキャンペーンをしたら、抗議のデモが起こったんです。
『あなたたちは私達の大事なバレンチノを足でふみつけるような真似をして平気なんですか。』と。
だから本来の意味からは大きくはずれてしまってるんですね。
どちらかというと義理チョコなんかの方がよほど本来の精神に近いんですね。(笑)
ちゃんとした宗教観を打ち立てないと本来の正しい習慣がみんなおかしくなってしまう。
(つづく)
【解説】
ちゃんとした宗教観を打ち立てないと本来の正しい習慣がみんなおかしくなってしまう。
日本の檀家制度、日本人がキリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げること、バレンタインデーのおかしさを例にあげながら、友岡さんが批判しています。
いちいち納得できる意見です。
獅子風蓮