獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの講演:第3弾!(2)

2023-09-08 01:29:52 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
講演 友岡雅弥氏第3弾!(October 21, 2006)


読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。

 


友岡講演 第3弾!ご参考に・・・

■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/不明
■会合名/不明

(つづきです)

その点日本人には、この基本的な宗教に対する常識がない。
初詣で『あーして下さい』とか祈って、ありがたさの有効期限1年間のお守りなんかをもらってくる。(笑)
また次の年に新しいのをもらう。(笑)
有効期限があるなんて、これは完全に商売です。完全にだまされてるんです。
そんなすばらしいお守りやったらずっと持ってたらいいんですよ。
キンチョールみたいに『30日~1本ぽんぷっぷー』ですよ。
どこが宗教嫌いなんや、大好きやないか。
冷静になればおかしいのがわかるくせに考えようとしない。

それでなぜこういう転倒が歴史的に起こったのか、歴史でどこまで遡れるのかということをを大学院でやっていました。
簡単に言うと徳川幕府がキリシタンに懲りてこんな風習を作ったんです。
日本では初めて天草島原の乱で農民たちが国家権力に対して反抗しました。
それまでにも大名や地方の豪族に反抗した例はあるですが国家権力に抗したのは初めてでした。
これで徳川幕府は『宗教は恐い』と思いました。
自分等にとって恐かったんです。
『宗教は民衆が立ち上がるきっかけになるんだ』と。
実際、戦国時代に、山城の国で農民たちが100年間自治を行ったのは一向宗(浄土真宗)ですね。
京都の町で自治を行ったのは法華宗でした。
それで徳川幕府はどうしたか。
徳川幕府までは、あっちこっちの村に寺があったとして、信者はそこの寺がたいしたことないと思ったら、他の所の寺の信者になれたわけです。
日本の宗教は確かにおかしかったけど、まだ正しいものを求めるという自由があった。
徳川幕府は、その村に1つ寺があればその村の者は全員、その寺に属するとしたんです。
他の宗派の信仰をすることを許さなかったんです。
1つの村に禅宗の寺と浄土真宗の寺があれば、『君はこっち、君はあっち』と決められた。

また徳川幕府は、経典を読まれたら困るなと思ったんです。良い例が『浄土』という言葉です。
日本で浄土といえば、あの世(極楽浄土)の事ですが、実はこれは平安時代に日本の僧侶が勝手に書き加えたんです。
極楽浄土が説かれた阿弥陀経でも、『あの世』という言葉は一ヶ所も出てこないんです。
もともと浄土(プラシュッディクシェイトラ)というのは、『地域を改善する』という意味の言葉です。
だから釈迦は言ってるんです。
『弟子たちよ、浄土の行をなせ。つまり砂漠に井戸を堀って、その水で果樹園を作るんだ。
狭いでこぼこ道の石を取り除いて道を広くせよ。川に橋を架け、船を渡せ。』と。
2千数百年前の仏教徒とはこんな事をやっていたんです。
これが浄土の行だったんです。
地域を改善していく事、またその人間的な努力にによって良くなっていった国を浄土と呼んでいたんです。

また、別の経典では、これは権力者にとって非常に都合が悪かったのでこの経典自体、平安時代に抹殺されました。
それは、
『最高の浄土の行として、無実の罪で死刑判決が下された人の嘆願釈放運動を国王にしなさい』という部分を含む経典でした。
またその経典には、『飢饉になった所に食料を運ぶ事』ともあります。
これが仏教なんです。

たとえ平安時代に書きかえられても、冷静になって読めば、前後関係から変だと気付きますから、徳川幕府は、一般信徒(村役人以下)は経典を読んじゃいけないという法律を作るんです。
『経典は僧侶が唱える秘密の呪文だ』と言う事にしたんですね。
『意味は無いんだ、君たちはありがたいありがたいと言って聞いておけよ。』と。
さらに徳川幕府は、それまで僧侶は葬式に行かなかったんですが、
『これまで僧侶は葬式に行かなかったが、これからは出席しなさい。
その時に死体を調べてキリシタンでないかを確認して証明書を村役人に出しなさい。』
というおふれがきを出すんです。

(つづく)

 


解説
なぜこういう転倒が歴史的に起こったのか、歴史でどこまで遡れるのかということをを大学院でやっていました。
簡単に言うと徳川幕府がキリシタンに懲りてこんな風習を作ったんです。
日本では初めて天草島原の乱で農民たちが国家権力に対して反抗しました。
それまでにも大名や地方の豪族に反抗した例はあるですが国家権力に抗したのは初めてでした。
これで徳川幕府は『宗教は恐い』と思いました。
自分等にとって恐かったんです。
(中略)
別の経典では、これは権力者にとって非常に都合が悪かったのでこの経典自体、平安時代に抹殺されました。

なるほど、勉強になります。

 


獅子風蓮