獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その5

2023-05-08 01:10:35 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


はじめからすべて嘘だった

次の大きな山は、石井一参院議員の証人尋問でした。最初のうちは、多忙な国会議員の先生に、証人として来ていただくのは無理だろうと思っていました。検察側も、公判前整理手続の当初は、本気にしていませんでした。それでも、弘中弁護士が「動いてみないことには、無罪を証明する証拠なんて見つからないよ」と言って、とにかく石井議員に証人になってほしいとお願いしてみることにしたのです。
そして、弘中弁護士が石井事務所を訪ねた時に、とんでもないことが分かりました。検察側の主張では、凜の会の倉沢氏が石井議員の事務所を訪ねて口添えを頼んでいるはずの04年2月25日午後1時に、石井議員は事務所ではなく、ゴルフ場にいらしたのです。
石井議員は、神戸市の事務所に保管してある手帳の該当ページをわざわざFAXで送らせて、弘中弁護士に見せました。手帳には、石井議員が会った人はすべて記録されていました。問題の日に、倉沢氏の名前はなく、欄全体に斜線が引いてありました。ゴルフに行くつもりで、予定を入れないように、斜線を引いてあったのでした。ゴルフに一緒に行ったメンバー、スコア、ティー・オフの時間などが書かれていました。当時石井氏は衆議院の決算委員長でした。この日は、本予算を衆議院本会議に上げる直前で、全大臣と各省庁の主な幹部は全員が予算委員会にはりついている状態だったので、決算委員会はなく、千葉県成田市のゴルフ場まで出かけた、ということでした。
初公判の日に弘中弁護士からこの話を聞いて、私はとてもショックを受けました。検察の主張にしては珍しく、2月25日に関する主張については、裏付け証拠がありました。倉沢さんの手帳のこの日の欄に、「13時 石井」と書いてあったのです。それで、私は石井議員が倉沢さんに会ったのは事実だろう、と思っていました。けれども、口添えの依頼を引き受けなかったのか、引き受けたフリをしてそのまま放置していたのか、どちらかだろうと考えていたのです。ところが、倉沢さんが石井議員に会って頼んだことも、嘘でした。検察のストーリーは、出発点からすべて虚偽だったのです。
石井議員は、09年9月11日に検察側から事情聴取を受けています。私が起訴されてから2ヵ月以上も経ってからです。証拠開示でこの調書を入手し、この日付を見たときには心底がっかりしました。私は、塩田さん経由で石井議員の頼みを受けて違法な行為をしたとして逮捕されたのに、検察は、肝心の石井議員に何の話も聞かないまま、私を起訴したのでした。この9月11日に事情を聞いたのは、主任の前田恒彦検事でした。石井議員はこの事情聴取の時に、数年分の手帳を持参したが、机の上に並べた手帳に、前田検事はほとんど関心を示さず、手にとってぱらぱらとめくっただけだった、とのことでした。この時に、ちゃんと確かめていれば、この日に石井議員が倉沢さんに会っていないことは、分かったはずです。

 

崩壊する検察ストーリー

石井議員が証言をした第11回公判(3月4日)、傍聴席は満杯でした。その前で、石井議員は塩田さんへの口利き電話をしたという疑惑を、きっぱりと否定しました。
「絶対にありえません」
「絶対に」という言葉に、力がこもっていました。
証言によれば、問題の日、ゴルフを終え、入浴を済ませてゴルフ場を出たのは午後4時頃。その後、赤坂の料亭に直行し、議員や業界関係者の懇談会に出席したということでしたので、ゴルフの後に倉沢さんの要請を受けた、ということもありえません。
私は、石井議員の名前や顔は存じ上げていましたが、間近でお会いするのは、この法廷が初めてでした。石井議員は、塩田さんについても、「いろんな役人にいろんな所で会っているかもしれないので、会った事実はあるかもしれないが、覚えていない」と証言されました。もちろん、塩田さんに口添えの電話をしたことも、否定されました。
検察側の反対尋問には、前田検事が立ちました。それまで一度も発言することもなく、いつも後ろの座席からにらみをきかせているだけで、存在感がありました。ところが、石井証言を揺るがす事実を持っていないだけでなく、証言を突き崩そうとする気迫も感じられなかったのは意外でした。
一方、追加の反対尋問を行った白井検事は、何とか石井証言を突き崩そうと懸命になっていました。しかし、逆効果でした。たとえば、こんなやり取りがありました。

白井 「倉沢は、はっきり石井先生に口利きを頼んだと証言している。心当たりは?」
石井 「まったくない」
白井 「倉沢はなぜそういう証言をしていると思うか」
石井 「私は誰かに恨まれるようなことはしていない。彼も、私のことはある程度尊敬していたと思う。そういう証言をしているとすれば、『こういうことだから認めろ』と(検事に)言われて認めたんじゃないですか」

こんな場面もありました。白井検事が、質問の頭に「その日はインのスタートで……」と言いかけたところで、弘中弁護士がすかさず立ち上がり、異議を申し立てたのです。「その日にインとアウトのどちらでスタートしたのか、証拠に出ていません」尋問が終わった後、弘中弁護士は再び立ち上がって、こう言いました。
「インからスタートしたと分かっているのは、検察官はゴルフ場に照会をしているんですよね。その結果を開示してください」
弁護側は、あらかじめ石井議員の手帳を証拠申請していました。その立証趣旨の中に、当日はゴルフをしていた、という点が書かれていたので、検察は慌てて調べたようです。
弘中弁護士に指摘されて、白井検事はとたんにしどろもどろになって、「捜査中です」と言うだけ。さらに問い詰められると、「(問い合わせはしたが)現時点では証拠になっていない」と、照会したことを認めました。その二人のやりとりを横田裁判長が引き取って、静かにこう尋ねました。
「書面化して証拠開示するということですか?」
白井検事は、しぶしぶ「開示するにやぶさかではない」と述べました。
後日、開示された書面には、石井議員がご自身のカードで支払いをした証拠まで添付されていました。石井議員の手帳には書かれていないことが、白井検事の口から出たことに、弘中弁護士が気づいて追及をしたから明らかになったものの、そうでなければ、ずっと隠されていたでしょう。捜査機関が税金を使って集めた証拠なのに、それが被告人に有利なものだと、できるだけ隠しておこうという検察の姿勢がここにも表れ、怒りを覚えました。
検察側は、自分たちに不利な証拠を隠そうとしたばかりでなく、被告人に有利な証拠を封じようともしました。弁護側が石井議員の手帳を、尋問の最中に示したり、証拠提出することについて、猛烈に反対したのです。公判前整理手続の際に提出しなかったのだから、証拠採用すべきでない、というのが検察の主張でした。
確かに法律では、証拠は公判前整理手続の間に請求しなければならないことになっています。ただ、「やむを得ない事由によつて」公判前整理手続の期間内に請求できなかったものは、例外とされています。弁護側が、石井議員に実際に会って、手帳があることを知ったのは、公判前整理手続が終わってからでした。
弁護団は、そのことを述べて、これが「やむを得ない事由」にあたると主張しました。裁判所が、証拠採用すると決めた後にも、検察は異議を述べて抵抗しました。
このやり取りを聞いていて、検察というのは、「本当はどうだったのか」ということには何の関心もないのだな、と感じました。それより、自分たちの冒頭陳述を守ることに全力を傾ける。途中で新しいことが分かっても、自分たちのストーリーと違えば、一切無視して、自分たちの物語だけを守っていく。つまり、真実はどうあれ、裁判で勝つことだけが大事というのが 彼らの行動原理だと、 よく分かりました。
そして、公判でのこうした検察官の活動の中心になっていた白井検事も、このころすでに証拠改竄のことを知っていたことが、後になって分かっています。機会があったら、白井検事に、不正があったことを知りながら、いったいどういう気持ちで、公判活動をやっていたのか、聞いてみたいと思っています。ちなみに、このころ白井検事が居酒屋で「検事をやめたい」と愚痴っていた、という噂を後で聞きました。愚痴るだけでなく、本当の意味での検事の職業倫理にしたがって行動していてくれたらなあ、と思います。


解説
後日、開示された書面には、石井議員がご自身のカードで支払いをした証拠まで添付されていました。石井議員の手帳には書かれていないことが、白井検事の口から出たことに、弘中弁護士が気づいて追及をしたから明らかになったものの、そうでなければ、ずっと隠されていたでしょう。捜査機関が税金を使って集めた証拠なのに、それが被告人に有利なものだと、できるだけ隠しておこうという検察の姿勢がここにも表れ、怒りを覚えました。(中略)
このやり取りを聞いていて、検察というのは、「本当はどうだったのか」ということには何の関心もないのだな、と感じました。それより、自分たちの冒頭陳述を守ることに全力を傾ける。途中で新しいことが分かっても、自分たちのストーリーと違えば、一切無視して、自分たちの物語だけを守っていく。つまり、真実はどうあれ、裁判で勝つことだけが大事というのが 彼らの行動原理だと、 よく分かりました。

なるほど検察は、自分たちに不利な証拠を隠そうとするばかりでなく、被告人に有利な証拠を封じようともするのですね。
「真実はどうあれ、裁判で勝つことだけが大事」
これが、彼らの行動原理なのですね。あきれます。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その4

2023-05-07 01:54:47 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


6人態勢となった検察側

2月8日の第5回公判に出廷した塩田元部長は、調書の内容を全面的に撤回する証言を行いました。取り調べ検事からあると言われていた通信記録が、実はないことが分かり、「そもそも事件自体が壮大な虚構ではないかと感じるようになった」と証言。その直後、記者席でメモを取っていた記者たちが、何人か法廷を飛び出して行ったのが印象的でした。
裁判官から「それでは、あなたの記憶にある確かなことは何ですか」と聞かれ、塩田さんは「事情聴取を受けたことと、今ここ(証人席)に座っていること。それだけです」と答えました。結局、私の関与を認めた詳細な調書は、無から有が生み出された結果だったのです。
この塩田さんの証言は、検察にとって衝撃的だったのでしょう。次の裁判から、検察官席に捜査の主任検事を務めた前田恒彦検事と大阪地検公判部副部長の吉池浩嗣(よしいけひろつぐ)検事が加わり、なんと6人の検察官団になっていました。
検察側は、第2回公判から厚労省関係者の事情聴取を行った海津祐司(かいづゆうじ)検事と、やはり郵便不正事件の捜査に関わった塚部貴子(つかべたかこ)検事が立ち会うようになり、第4回からは私の取り調べを担当した遠藤裕介検事が加わっていました。当時はなぜか分からなかったのですが、あとで聞いたところによると、初公判の報道を見て、大坪弘道(おおつぽひろみち)・大阪地検特捜部長が特捜部の検事の立ち会いを指示したそうです。ちょうどこの頃、前田検事によるフロッピーの日付改竄疑惑が地検内で大きな騒動となっていたことも影響していたのかもしれません。そして、塩田さんの証言にますます危機感を強めたのでしょう。
リクルート事件の江副浩正(えぞえひろまさ)さんの初公判では、国会議員を含めて4人の被告人に対し、検察官は7人だったと聞いています。陸山会事件では、石川知裕(いしかわともひろ)衆院議員など3人の被告人に対して、検察官は4人だったそうです。このような他の特捜事件と比べてみても、たった一人の被告人に、6人もの検事を揃えた大阪地検の対応は、異様でした。
弁護団は、「そこまでこの事件に税金を使うのか」と呆れていました。私は、ものすごい圧迫感を感じました。巨大な組織がチームを組んで向かってくるようで、恐怖を覚えました。私には6人の弁護士さんがついていましたが、彼らがいかに優秀でも、それは個人が集まった小さなチームです。この恐怖に負けてはいけない、しっかりしなければと、気持ちを奮い立たせなければなりませんでした。
吉池副部長は最後まで法廷では発言をしませんでしたが、裁判を傍聴している記者たちを集めては、検察は決して劣勢ではなく、有罪判決に自信を持っている、ということをレクチャーしていたと聞いています。そのために、検察には何か“隠し球”があるのではないかと最後まで思っていた新聞記者も少なくないようでした。捜査段階には、上村さんの取り調べの内容などがマスメディアに伝わるなど印象操作が行われていましたが、裁判になってからも、検察はメディアをコントロールしようと一生懸命だったようです。

 

上村さんの供述

5人の証人尋問が終わりましたが、供述調書のとおりの証言をする人は誰もいませんでした。そんな中で、上村さんの証人尋問が始まりました。
上村さんが、自分の裁判の公判前整理手続で「証明書の作成は自分の独断で行った」と述べていることは、弁護団を通じて聞いていました。ただ、検察は彼の弱い部分を知り尽くしているわけで、どんな形で彼を責め立てて追い込んでいくのか、それに彼は耐えられるのか、ということは、とても心配でした。私自身の裁判への影響はもちろんですが、この証言は、彼の人生のためにも重要だと思いました。ここで、もう一回、検察の圧力や誘導に負けてしまったら、負け癖がついてしまいかねません。今後の人生のことを考えて、この証言を立ち直りのきっかけにしてほしいと、見守るような気持ちでした。
そうしたら、彼はとてもしっかり、一生懸命証言をしたので、ほっとしました。考えてみれば、この時の上村さんは、あのフロッピーを抱えさせられていました。その時点では検察の改竄とは分からず、何かのワナではないかと思いたくなる不気味な状態でしたが、そんな中で、よくがんばったと思います。
証言内容はとてもリアルで説得力がありました。上村証言によると、証明書が凜の会に渡った経緯は次のようなものでした。

私(上村)は、2004年4月に、厚労省障害保健福祉部企画課社会参加推進室の係長に異動になった。前任者から、凜の会についての引き継ぎはなかった。この会のことを知ったのは、会から証明書を早く出してほしいと督促する電話があったからだと思うが、はっきりしたことは思い出せない。その頃の私は、初めて予算を担当したこともあり、自分の業務内容を把握するので頭がいっぱいだった。しかも、制度改革が目前に迫っていて、日々、とても忙しかった。そのため、この督促については、雑事として後回しにしてしまった。最初はわずらわしいからと先送りし、それがにっちもさっちもいかなくなると、一刻も早くこの案件を目の前から消してしまいたいと思った。今回の事件は、面倒なことを先送りしてしまう自分の性格に起因すると思っている。
また督促があった時には、とりあえず凜の会側をなだめようと、作業をやっているという 形を見せる稟議書を作ってFAXしたが、これ以上先送りできないという状況になり、証明書さえ出せばことは終わるんだろう、という気持ちになって、自分一人で作ってしまった。上司には相談していない。誰にも相談できないうちに、何もかも自分で抱え込んで、にっちもさっちもいかなくなることは、それ以前にもあった。これも、自分の性格が原因だと思う。NPO法人・障害者団体定期刊行物協会からの証明書交付願もあり、凜の会が怪しい団体とは思わなかった。障害者団体が、証明書を悪用して金もうけをするなどの悪いことをするとは考えたこともなかった。郵便料金が負担で困っているなら、証明書を出してあげましょうと、そういう感覚だった。適正に使われると信じていたので、黙っていれば何の問題にもならず、バレない、と思っていた。
作ったのは、5月31日の深夜から6月1日の未明にかけて。作業は、自席のパソコンで 行った。なぜ、証明書の日付を5月28日付にしたのかは、覚えていない。6月1日の朝早く、誰も来ないうちに出勤してプリントアウトし、企画課の印鑑を入れてあるボックスから課長の公印を取り出して押した。私の方から凜の会側に「証明書ができた」と連絡したと思う。
凜の会の河野克史(こうのただし)さんと、厚労省と地下通路でつながっている弁護士会館の地下にある喫茶店「メトロ」で待ち合わせた。後ろめたいので、なるべく厚労省の建物に入れたくなかった。会って、アイスコーヒーか何かを注文し、証明書を渡した。会っていたのは10分程度のもの。とにかく証明書を渡して一刻も早く戻ってきたいと思っていたのは覚えている。サンダルばきで行って、走って帰ってきた。

証明書を渡した場面などは、とても具体的で、自分の生の記憶を話しているのがよく分かりました。
調書についても、「検察官の作文です。いくら自分が単独でやったと言っても、聞いてもらえなかった」「村木課長と私の会話が生々しく再現されていますが、それはでっち上げです」とはっきり証言しました。
國井検事の態度についての次のような証言内容は、同じ人から取り調べを受けた者として、非常によく分かりました。
「(國井検事は)私を自宅から連れていく時も紳士的でしたし、優しいというか、普通の人でした。ただ、僕が言う話は、聞いてメモする時と、そうでない時が、はっきりしていました。自分の興味のあること、都合のいいことはメモにするけれども、私の言っていることをきちんと書いてはくれませんでした」
「厚労省のノンキャリアとキャリアの違いとか、そういうことは結構興味を持ってメモしていました。どういうふうに役人が出世していくのか、そういう話は興味を持って聞いていたように思います」
「(独断でやったと)ちゃんと説明しているんだけど、聞き流してる。うなずいているんだけど、いざ調書のときになると、何もそのことについて書かれていない」
「物静かで、殴ったり蹴ったり脅迫したり、というようなことはないんですけど、僕の話していることを聞いてくれないんです。書いてくれないんです。信じてくれないんです。『具合が悪かったら言ってね』とか『眠れてる? 食事とれてる?』とか気遣ってくれるのに、肝心の僕の話は聞いてくれない。何でそういうふうに、そこだけ冷たいのか、今でも分からない」

不本意な調書が作られていく過程については、時に泣きながら、語りました。いくら事実を語っても受け入れられない。自分の知らない情報をどんどん教えられて混乱していく。自分以外はみんなが村木の指示を認めていると言われ、記憶に自信がなくなる。そんな中で、検事が望む調書を作らなければ、家に戻れないのではないかと、次第に追いつめられていくプロセスが伝わってきました。法廷では、被疑者ノートの一部が読み上げられ、取り調べの状況や上村さんの当時の精神状態がどのようなものであったかが、克明に明らかにされました。
上村さんが、事実と異なる調書の作成に応じてしまった自分自身を責め続けていることも、言葉の端々からにじみ出ていました。
「どうしても、自分が一刻も早く拘置所から出たいという、他人を犠牲にしてでも、自分のことばっかり考えるようになっていく、そういう卑しい自分になりました」
裁判を傍聴していた次女が、こう言いました。
「上村さんに、『もう怒ってないよ』って言ってあげたい」
この言葉が、うちの家族の気持ちを代表していると思います。
上村さんの証言で、裁判は一つの大きな山を越えた、という感じがしました。


解説
不本意な調書が作られていく過程については、時に泣きながら、語りました。いくら事実を語っても受け入れられない。自分の知らない情報をどんどん教えられて混乱していく。自分以外はみんなが村木の指示を認めていると言われ、記憶に自信がなくなる。そんな中で、検事が望む調書を作らなければ、家に戻れないのではないかと、次第に追いつめられていくプロセスが伝わってきました。法廷では、被疑者ノートの一部が読み上げられ、取り調べの状況や上村さんの当時の精神状態がどのようなものであったかが、克明に明らかにされました。

上村さんが弱い自分をさらけ出して証言台に立った姿は、胸に刺さりました。
上村さんが検察官に負けて「偽りの調書」に同意をしたために、ありもしない罪を着せられてしまった村木さんですが、上村さんに対する恨みがましい記述がまったくなく、かえって彼の今後の人生を心配し、同情しているところに感動します。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その3

2023-05-06 01:45:33 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに

 


調書と食い違う証言

2月、3月に集中して証人尋問が行われるので、裁判所の近くにウィークリーマンションを借りました。膨大な資料を持って往復するのは大変なので、荷物置き場兼滞在場所です。ゴミ出しや買い物などは大変ですが、それでもホテルよりリラックスできました。
証人尋問は2月2日の第2回公判から始まりました。まず、検察側証人として、3日連続で、凜の会の幹部二人に対する尋問がありました。いずれの証人も、基本的には検察側のストーリーに沿う証言をしましたが、調書の内容と食い違ったり、検察側の主尋問と弁護側の反対尋問で言うことが変わったり、曖昧な言い方も多くありました。取り調べの時に、意に沿わない供述をすると、検事が声を荒らげたり、机を叩いたりして、事実を押しつける場面があったことも明らかになりました。
倉沢さんは、私には2回会ったと述べました。調書では4回会ったと言っていたのですが、そのうち最初に私に挨拶に来たという点(事件の「入口」)と、最後に私から証明書を受け取ったという場面(事件の「出口」)だけ証言を維持し、後は「(供述調書は)事実と違う」といって否定しました。
調書では最初の挨拶の時に私が言ったことになっているセリフも、実は上村さんの前任の係長のものであり、私とはほとんど会話をしていないと述べるなど、調書の内容とはずいぶん異なる証言でした。検察側のストーリー通りの調書にサインしたのは、取り調べ検事から、厚労省の関係者はみな認めていると言われ、さらに「新たに裁判員裁判が導入されたので、平易な調書が必要だ」と説得されたから、と言うのです。もちろん、この裁判は裁判員裁判対象事件ではありません。
白井検事が供述調書を読み上げて尋問しても、「署名はしたけれど、事実とは違います」という証言が続きました。たまりかねたのか、白井検事が「取り調べで暴力をふるわれたり、脅かされたことはありましたか?」と聞く場面もありました。
その時の白井検事と倉沢さんのやりとりは、とても興味深いものでした。
倉沢「暴力はありませんが、何回かテーブルを叩かれたことはありました」
白井「どんな時にテーブルを叩かれたのですか」
倉沢「同じ内容で間違った返事をしたときです。つまり、最初の質問でそのとおりです、と言って、後で、いやそれは違います、と言い直したときとかです」
検察の見立てに合う供述が「答え」であり、それに合わない内容は、それが事実であったとしても、「間違い」という取り調べだったのでしょう。
また、弘中弁護士の反対尋問に対し、倉沢さんは最初、裁判の前に検察官と事前の打ち合わせを行ったことを隠していて、その点を指摘されると、「打ち合わせ自体がいけないことだと記憶していた(ので隠した)」と弁明しました。打ち合わせをしたことをやましく感じるような状況があったのでしょうか。ご自分の裁判のこともあり、事件の「入口」と「出口」の部分について、検察から「これだけはちゃんと言うように」と事前に強く指示されて、断れなかったのかもしれません。見たところ、いかにも人のよさそうな、ちょっと頼りない雰囲気のおじいさんで、公判でも、言うことがどんどん変わってしまいます。そういう人の、はっきりしない話を使って事件を作り上げ、私を逮捕・起訴したか……と思うと、検察に対する怒りがさらに高まりました。
しかも、ようやく維持された「出口」についての倉沢証言は、明らかに客観的事実と矛盾するものでした。彼は、調書でも法廷でも、証明書を受け取ったとする時の状況を説明しています。それによると、自席にいた私の正面に、机をはさむ形で倉沢氏が立ち、まるで表彰状を授与する時のように、双方が両手で証明書を受け渡したそうです。
ところが、当時の私の机の前には、人の背丈より少し低いくらいの衝立があり、その向こうには奥行き30センチほどのスチール製キャビネットが置いてありました。とても、机をはさんで私と向き合う位置に人が立つことはできません。
にもかかわらず、このような証言がなされたのは、検察側が厚労省内の実況見分もやらず、私の執務環境をまったく知らなかったためでした。偽造した証明書を依頼者に渡す、つまりまさに犯罪が行われたと自らが主張する現場を確かめることさえ、検察側はやっていなかったのです。ストーリーに沿った供述調書を作成し、それと同趣旨の法廷証言さえ得られればよく、客観的な事実をいかに軽視していたかが、この一事からもよく分かりました。
一方の弁護団は、現場の調査を行い、写真や見取り図をつけた調査報告書を作成し、検察側の主張が客観的事実と矛盾することを裏付ける証拠として提出しました。
証人尋問は、もっぱら弁護士が質問する、私はやりとりをただ聞いているだけです。それでも、その内容に嘘や矛盾はないかと集中して聞くので、かなりくたびれます。三日連続の裁判が終わった時には、頭が痛く、家に帰って量ってみたら体重も減っていました。

 


解説
このような証言がなされたのは、検察側が厚労省内の実況見分もやらず、私の執務環境をまったく知らなかったためでした。偽造した証明書を依頼者に渡す、つまりまさに犯罪が行われたと自らが主張する現場を確かめることさえ、検察側はやっていなかったのです。ストーリーに沿った供述調書を作成し、それと同趣旨の法廷証言さえ得られればよく、客観的な事実をいかに軽視していたかが、この一事からもよく分かりました。

キムタク主演の「ヒーロー」なら、検事みずから現場に向かうのにな。
現実の検察官なんてこんなものなのでしょう。
がっかりです。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その2

2023-05-05 01:38:30 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


「私は無罪です」

10年1月27日の初公判は、とても緊張しました。法廷に足を踏み入れたのは、その日が生まれて初めて。事前に、私はどこに座って、どこに出て、裁判長から何を聞かれて、どう答えればいいのか、ということを教えていただいていて、その手順でほとんど頭がいっぱいでした。意見陳述は事前に用意した書面を読み上げたのですが、本当にふわふわしていて、地に足がついていない感じでした。
起訴状に対する意見陳述では、「私は無罪です」と言いましたが、この表現も、弁護団と相談しました。マスコミなどに話をする時には、「無実」という言葉を使っていたのですが、裁判での勝ち負けは、必ずしも「無実」かどうか、ではない。裁判のルールで決められるのは、有罪か無罪か。だから法廷では、私もそのルールに従って主張をしていきましょう、ということにしました。
それに、「無実」だからといって無罪になるとは限らない。有罪判決が確定した人の「無実」がずいぶん後になってから判明して、再審でやっと無罪が認められた、というケースも、いくつもあります。「無実」だから必ず無罪が勝ち取れると思うと、最後にそうならなかった時に辛い。最後に決めるのは裁判官、そして、裁判官は神様ではないので、やはり不確実なところがあります。どういう結果が出ても自分が壊れてしまわないように、というのは、私としては大事なことでした。確実でないものにすがって、それがうまくいかないで絶望するのは避けたかったのです。
裁判の結果がどうであろうと、私が「無実」であることは変わらない。裁判所で闘う以上は、「無実」を社会に証明する方法として、「無罪」を目指す。でも、たとえ悪い結果が出たとしても、がっかりすることなく、最後まで闘う。そんな思いを込めて、「私は無罪です」と言った のです。
問題の証明書作成に関して、共謀も指示もしたことはなく、一切関わっていないと起訴事実を否認して、次のように述べました。
〈私は、これまで、公務員という自分の職業に誇りを持ち、また、公務員として国民から信頼を得ることを大切にして、仕事に従事してきました。そうした中で、与党であれ、野党であれ、有力議員といわれる方であれ、国会議員から依頼を受ければ法に反することも引き受ける、などということは、ありえません〉
このあたりまでは、緊張で体がふわふわしている状況が続きましたが、検察側の冒頭陳述を聞いているうちに、強い怒りが湧いてきました。逮捕された後の取り調べで國井検事が話していた最初のストーリーと、ほとんど寸分たがわぬ筋書きでした。あの後、フロッピーのプロパティの発見があって、検察側のストーリーでは日付が合わないということを公判前整理手続で指摘して、我々弁護団の主張も分かったわけです。それで、少しは方針を軌道修正するのかと思ったら、全然できていなかった。このまま、あのストーリーで突き進むのかと、憤りのあまりアドレナリンが出てきて、お陰でふわふわしていた気持ちが落ち着きました。このストーリーとこれから闘うのだと、敵の姿がはっきり見えたので、気持ちが定まったのです。
検察側冒頭陳述でも、私が上村さんに「指示」したという日時は「6月上旬」というだけで、特定されていませんでした。検察官の冒頭陳述が終わると、弘中弁護士がやおら立ちあがって釈明を求めました。
「6月上旬のいつの日のことか」
検察官は、「証拠上、特定できないものは記載していない」と言うだけで、日時をはっきりさせようとしませんでした。
弁護側の冒頭陳述では、私が法を逸脱して証明書の不正な発行に踏み切る理由はないこと、上村さんが自身の裁判の公判前整理手続で「独断で行った」と述べていることなどを挙げて、検察側のストーリーを厳しく批判しました。特に、フロッピーのプロパティから、証明書の作成日時は6月1日未明であり、「6月上旬」に私が指示したとする検察側主張は「破綻している」と断言しました。

 


解説
検察側の冒頭陳述を聞いているうちに、強い怒りが湧いてきました。逮捕された後の取り調べで國井検事が話していた最初のストーリーと、ほとんど寸分たがわぬ筋書きでした。あの後、フロッピーのプロパティの発見があって、検察側のストーリーでは日付が合わないということを公判前整理手続で指摘して、我々弁護団の主張も分かったわけです。それで、少しは方針を軌道修正するのかと思ったら、全然できていなかった。このまま、あのストーリーで突き進むのかと、憤りのあまりアドレナリンが出てきて、お陰でふわふわしていた気持ちが落ち着きました。このストーリーとこれから闘うのだと、敵の姿がはっきり見えたので、気持ちが定まったのです。

検察というのは、あくまで自分の誤りを認めない人たちの集まりなのですね。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その1

2023-05-04 01:30:16 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


■第3章 裁判で明らかにされた真相

 

堂々と闘いたい

2009年11月24日に保釈になってからは、家事をしながら、裁判の準備をしていました。公判で一人ひとりの証人にどういうことを弁護人から聞いてほしいか書き出してみたり、弁護団が作った質問項目に意見を言ったり、裁判の冒頭の意見陳述をどうしようか考えたり……。やることは、たくさんありました。
弁護団はプロの集団なので、それなりに自信があったようですが、私は、裁判は初めてなので、見通しはよく分かりませんでした。あれだけ、検察のストーリーに従った調書を取られた人たちが、公判でどういう証言をするのかも、皆目見当もつきませんでした。ただ、密室での取り調べと公判では、大きな違いがあることは分かりました。
密室での取り調べでは、検察と取り調べを受ける側の“勝負”は、検察の勝ちか、よくて引き分けにしかなりません。他の人の調書を元に誘導したり、身柄拘束すると脅かしたり、逆に早期の保釈をほのめかしたり、あらゆる手を使って検察のストーリーに合った調書にサインをさせようとします。そして、閉じられた密室なので、どんなやりとりがあったのかは本人たち以外誰にもわかりません。また、検事が原案を作るので、私の関与をしっかりと否定し続けてくれている職員の調書も、「彼女はやってないはずです」というものにはなりません。「他の人はやったと言っているかもしれないけれど、自分は見てません、知りません」という調書がせいぜいです。一方、裁判になれば、公開の場で公正に証言が行われますし、検察側の証人に対しても、主尋問の後に弁護側が反対尋問をするので、的確な弁護側の質問によって被告人にマイナスの証言もイーブンのところまで持ち直すこともできる、ということでした。
弁護団とは、裁判の内容だけでなく、いろいろなことを話し合いました。たとえば、裁判の冒頭に報道のカメラが入ります。その時、裁判官、検察官、弁護人はそれぞれの席に着いて映るわけですが、そこには被告人はいません。被告人が法廷に入る前に、撮影が行われるからです。そのため、世間は無意識のうちに、悪いことをしたやつは顔を隠したいのだ、と受け止めてしまいがちです。自分が映っても構わない、という被告人は、堂々と映ればいいではないか、と思います。その方が、世間の印象も変わっていくような気がします。
逮捕された時も、保釈された時も、私は顔を隠さないと決めていました。逮捕されて拘置所に移送される時には、同行した女性の職員がそっとマスクを渡してくれて、「お使いになるかならないかは、村木さんの判断で」と言ってくれました。幸い、このときはカーテンがあり外からは見えない車だったので使う場面はありませんでした。保釈の時には、弁護士が帽子やマスクを持ってきてくれました。でも、どちらも使いませんでした。できるだけ隠れないで堂々としていたいと思いました。検察は、マスコミを利用して「やっぱり役人って悪いことするよね」「官僚って悪いよね」というイメージを流布しようとしていたと思います。「逃げる」「隠れる」という行為はその印象を一層強めます。そこから何とか脱したかったのです。もちろん、テレビに映りたかったわけではありませんが。そういう私の思いを、弁護団は真正面から受け止めて、いつも一緒に考えてくれました。
結局、報道のカメラには、弁護団と一緒に裁判所の敷地に入っていくところを撮ってもらうことになりました。初公判を前にした記者会見もやりました。このようなマスコミへの情報提供については、慎重論もありましたが、検察も情報を流すだろうから、こちらもきちんと対応して、フェアな報道を求めていく方がよい、ということになりました。記者会見の翌日の新聞では、双方の言い分がしっかり書かれていました。それまでは、9対1くらいの割合で検察情報が多かったように思いますが、これからは5分5分で書かなければ、という意識は出てきていたように思います。

 


解説
裁判の冒頭に報道のカメラが入ります。その時、裁判官、検察官、弁護人はそれぞれの席に着いて映るわけですが、そこには被告人はいません。被告人が法廷に入る前に、撮影が行われるからです。そのため、世間は無意識のうちに、悪いことをしたやつは顔を隠したいのだ、と受け止めてしまいがちです。自分が映っても構わない、という被告人は、堂々と映ればいいではないか、と思います。その方が、世間の印象も変わっていくような気がします。
逮捕された時も、保釈された時も、私は顔を隠さないと決めていました。

心にやましいところがない人は、やはり行動にも筋が通っていますね。

獅子風蓮