にもなし
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の真実だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるぢやないか。このお弁当箱には鼬の糞でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飲んぢやつた。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切つても切れねえ縁の艫綱、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋が固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を殴りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかつた。
ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
――太宰治「カチカチ山」
つまり、女を思う男の情熱が激しければ激しいほど、女が鬼に食わるというむごたらしさが生きるのだし、男と女の駈落のさまが美しくせまるものであればあるほど、同様に、むごたらしさが生きるのであります。女が毒婦であったり、男の情熱がいい加減なものであれば、このむごたらしさは有り得ません。又、草の葉の露をさしてあれは何と女がきくけれども男は返事のひますらもないという一挿話がなければ、この物語の値打の大半は消えるものと思われます。
つまり、ただモラルがない、ただ突き放す、ということだけで簡単にこの凄然たる静かな美しさが生れるものではないでしょう。ただモラルがない、突き放すというだけならば、我々は鬼や悪玉をのさばらせて、いくつの物語でも簡単に書くことができます。そういうものではありません。
この三つの物語が私達に伝えてくれる宝石の冷めたさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。
――坂口安吾「文学のふるさと」
……例えば、本当は、最低限、この二つを使って、我々の感情の基盤について議論をはじめた方が有益であろう。それを日本の評判を落とすからどうだとか、左翼の欠点が露呈されたとか、右の新聞もほとんど言ってること嘘じゃねえかとか、論争するまでもないレベルの低いところで争っても意味がない。もう、地球人はインターネットやめた方が良いかもね。議論は議論が行われることによって、本当は何が争われているのか分からなくなってしまうことが屡々である。弁証法はしばしば真実を隠蔽するために行われるものであろう。
……という危惧は、やはり危険なものであろうか。我々は自滅や孤独によってではなく、議論によってしか自由になれないであろう。ただ、それは法廷や教室で行われるべきで、落書きによってではない。落書きはシモの落書きと同じでシンボルでしか展開しない。最近、不安なのは、議論を始めようとすると問題を単純化して整理することをもって場を制覇しようとする者が多くなっているということである。整っているスタイルの割に、後で振り返ってみると思考を誘うものがなにもない。
わたくしが寝ようとしたところ
わたくしの横で黒いものが跳ねたので、母が驚喜のあまり捕獲
↓
↓
↓
おなかが空いていたらしい
わたくしの横で黒いものが跳ねたので、母が驚喜のあまり捕獲
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おなかが空いていたらしい
寝覚ノ床を初めて近くで見るのである。
地元民にとっちゃ、観光名所は殆どそこら辺にある道路と似たようなもんだ……
おおっ
これが浦島が玉手箱をあけて老人の現実に目覚めたということで……「寝覚ノ床」と言われておりますところでございます
という伝説をものともせず、竜宮城での生活が草で再現されている。確かに酒池肉林の夢からは目覚めたくないものであるな……
父が頼んだ木曽牛かなんかのコロッケ
わしが頼んだ木曽牛かなんかのステーキ
木曽牛も木曽馬と同じく足が短いのであろうか……
https://twitter.com/HidekoTakamine/status/509189729275764736
映画『二十四の瞳』に最大の功績があったのは、音楽(木下忠司)のほとんどに小学唱歌を用いたこと、現在では俗臭芬々たる観光地になってしまったが、バスもタクシーも宿屋さえロクになかった、当時の美しい小豆島の風景である。
……市民講座で、「二十四の瞳」にプロレタリア文學以外の何かを見ているやつはただのアホ、と放言したわたくしを遙かに超えている秀子様。さすがだ。
映画『二十四の瞳』に最大の功績があったのは、音楽(木下忠司)のほとんどに小学唱歌を用いたこと、現在では俗臭芬々たる観光地になってしまったが、バスもタクシーも宿屋さえロクになかった、当時の美しい小豆島の風景である。
……市民講座で、「二十四の瞳」にプロレタリア文學以外の何かを見ているやつはただのアホ、と放言したわたくしを遙かに超えている秀子様。さすがだ。
朝ご飯を食べ終わってテレビつけたら、「花とアン」がやってて、ちょうど戦時下の場面で、当時の頭悪そうな糞ガキが花さんの家に「非国民」といいながら石を投げてるところであったので、つい怒り心頭、「この糞ガキは幸福に焼夷弾で死んだであろうか」と思ってしまった今日この頃ですが皆さんいかがおすごしですか。(きっこのブログのまね)
で、他のチャンネルを見たら、にしこり選手というのが、全米のテニス大会決勝で負けたとかいう、わたくしには全く関係のないニュースで盛り上がっていたので、ますますつまらない一日が始まったと思った。だいたいにしこり選手というのは、10代からアメリカでテニスの練習してんじゃん。アメリカのテニスエリート教育のおかげではないか。あ、ごめん。属国から本国を褒めてるのか、みんな。
私の脳内のイメージだけに拠れば、日本のテニス業界は、恐ろしい競技人口を誇りながら、何か変である。
私のテニスのイメージ
↓
1、野球に比べてボールに当てるのが簡単そうである。
2、テニスコートの恋とか、昔盛り上がっていたからであろうが、テニスサークルは、まじめサークルとナンパサークルに分かれている。ちなみに、わたくしは、学生時代、後者に入ったある男の子がいじめにあって大変なことになっているのを見たことがある。
3、**ラブ、**ラブ、となにか卑猥な単語でゲームを進めている。
4、昔、マッケンローとかいう男が試合をしていたのであるが、小学生のわたくしでも分かる汚い単語をコートで吐いていた。いーけないんだ。
5、×川大学のテニスコートは研究棟の近くにある。テニスの人たちの嬌声で研究教育が妨害されておるぞ。
6、シャラポワとかいうセクシーモデルが優勝している。(スカートのけしからん短さは異常)
7、ナブラチロワとかいう眼鏡っ子が優勝している。
8、松岡なんとかという解説者のうるささは異常。
9、×ニスと伏せ字にしただけで、卑猥さが極端にあがる競技はいかがなものか。
10、ウィキペディア経由・佐藤次郎曰く「庭球は人を生かす戦争だ」←違います
11、グラフのお父さんピーター、お母さんハイジ。ここから推測するに、テニス界自体がフィクションの可能性あり。
そういえば、イスラムの人につかまった日本人はどうなったんでしょう?
はやく救出しなければならないのではないでしょうか。
うさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月様 見て跳ねる
ううさぎ うさぎぎ 何見て跳ねねる 十五夜お月様あ 見てて跳ねる
うううぎ うぎぎぎ 何てて跳ねねる 十五夜お月あ 見てててねる
うううう ぎぎぎぎ てててねねねる 十五夜あああ ててててねる
増えた人間関係を頭の中でたどりつつお土産に大金をはたいていると……
大雨
ずぶ濡れ
バスターミナルに逃げ込む
もう帰るよ プンプン
上高地の眺めはすごかったなあ
明神池は綺麗だったなあ……
複製芸術にはアウラがない。そういや、そんな説もありましたなあ(鼻ほじほじ)
新島々駅にたどり着く。女の子がお出迎え
イナゴを買って帰る
(終)
大雨
ずぶ濡れ
バスターミナルに逃げ込む
もう帰るよ プンプン
上高地の眺めはすごかったなあ
明神池は綺麗だったなあ……
複製芸術にはアウラがない。そういや、そんな説もありましたなあ(鼻ほじほじ)
新島々駅にたどり着く。女の子がお出迎え
イナゴを買って帰る
(終)
猿の通行量の方が多い明神橋
クロポトキンが相互扶助論の中に、蟹も同類を劬ると云う実例を引いたのはこの蟹である。次男の蟹は小説家になった。勿論小説家のことだから、女に惚れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名であるなどと、好い加減な皮肉を並べている。三男の蟹は愚物だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這いに歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏の先にこの獲物を拾い上げた。すると高い柿の木の梢に虱を取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はあるまい。
――芥川龍之介「猿蟹合戦」
小僧が久し振りに山奥の猿の都へ帰って来ると、猿共は泣いて喜んだ。小僧も生れて始めて嬉し泣きに泣いた。そして云った。
「人間の都より猿の都の方が余っ程いい。もう決してここを出て行かないから安心しておくれ」
――夢野久作「猿小僧」
雨に降られて、猿たちに夢中になっていたら、「明神池」に行くの忘れてた!!!
「まえがきに代えて――女子会観戦記」は、あまり面白くなかったというか、古市氏の*抜きっぷりがいつもの調子であった。「家庭なんてルンバとセコムにでも守ってもらえばいい」とか、「女子会とは万人に開かれたアゴラである」とか、言いたいことは分かるのであるが、中学生じゃあるまいし、なんというぼんやりとした思考であろう。
しかし、古市氏の本領は、まさに女子会の中で可愛いことを言うことにあり、女子を喜ばす点において、おそろしく頭脳の鋭さを見せる。以下、古市氏名言集。
西森 古市さんは、そんな階層の違う人と結婚する気は全くないでしょう?古市さんと結婚する人は、古市さんと同じぐらいの年収がないとやっていけないだろうなと思っているのですが……。
古市 いや、逆に僕より上がいいです。
水無田 サラッと言っちゃいましたね(笑)。
古市 結婚によって階層上昇を図りたい!
……階層上昇!!
水無田 私の友達は、類は友を呼ばずに優秀な女性ばかりなんですが、四〇歳を過ぎて結婚したのは、みんな相手は外国人というパターンでした。どういうことよ、と思いましたが(笑)。
古市 僕も外国人と結婚したいですね。
水無田 だんだん固まってきましたね、古市さんのお相手のプロファイリングが……。
…………
水無田 そういえば古市さんは、永久脱毛しているとうかがいました。
古市 ひげだけですけどね。
……何っ!!
千田 おごってもらったほうがラクですよね。
古市 僕もおごられたい!(笑)
……おいッ
古市 いや、結婚はしたいですけどね。どういう女子と結婚したらいいのでしょうか?
水無田 そんなこと聞かれても……(笑)。
…………
以前、古市氏が上野千鶴子と『週刊読書人』で対談してて、上野氏に説教されていたのを読んだ。若い世代と先行世代と同世代を激しく憎んでいるわたくしは、とりあえず、上野氏のいっていることに殆ど賛成であった。上野氏は個人で何かに立ち向かおうとしているからであった。しかし、この本の対談で、個人で語っているのは古市氏の方であったように思われる。わたくしの中にも古市氏みたいなものを発見して少し共感した。ただ、わたくしが、上の世代の人たちに向かって上のような可愛い態度をとる場合、本当は、別に主張したことがあるわけでじゃなく、頭が全く働かない場合に、なんとか知恵を授けて欲しい時である。ヒヨコの口パクと同じなのだ。私は、所謂「草食系」みたいな男子が、マッチョな男より傲岸なのをたくさん目撃してきている。上の古市氏の発言にしたところで、髭はなくとも、皮肉はあるのである。皮肉は常に権力の萌芽を含んでいる。
私は、一見平和なこのような本を楽しく読む以上のことはしない。