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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

そうだ、山羊が迷って出たときに

2014-04-16 22:46:38 | 文学


 女の人たちはみんな立ちどまってしまいました。教会へ行くところらしくバイブルも持っていたのです。
「こっちへ山羊が一疋迷って来たんですが、ご覧になりませんでしたでしょうか。」
 みんなは顔を見合せました。それから一人が答えました。
「さあ、わたくしどもはまっすぐに来ただけですから。」
 そうだ、山羊が迷って出たときに人のようにみちを歩くのではないのです。わたくしはおじぎしました。

――宮澤賢治「ポラーノの広場」

まいまいつぶろの疾走

2014-04-15 23:22:52 | 日記


最近、悪夢が多いのだが、つかまえてきた蝸牛を水槽から出して部屋の床に置くと、腹足が自転車の車輪のように立ち上がり、ものすごい勢いで走り出すという挿話がいつも入っている。絶対につかまえることの出来ない。嫌な感じというより絶望である。

それより遙に新鮮なにほひ

2014-04-14 23:45:40 | 文学


 春の夜の、コンクリートの建物の並んだ、丸之内の裏通りのごみ箱一つ見えない、アスフアルトの往来に、ふと、野菜サラダのにほひを感じたと芥川龍之介は書いてゐる。
 この通りには、ところどころに西洋料理店はあるし、大方は、地下室が、料理場になつてゐて、ほ道とすれすれすれに通風窓があるから、野菜サラダだらうが、かきフライであらうが、鼻が悪くない限りごみ箱を連想し、その所在を気にせずとも、それより遙に新鮮なにほひを感じるのは当然である。
 当時、このあたりに洋食屋が一軒もなかつたと、好意的に解釈するとして――
 今僕の前を行く、これも帝劇の帰りの慶応の学生も、洋食に関して極めて博学を示してゐる。
「日本の海老はラブスターとは、いはないんだね」
 春の夜の丸之内の裏通りに、ふと洋食を感じるのは、どうやら春の夜の定式らしい。

――小津安二郎「丸之内点景」

死に顔や寝顔まで、にせ物は

2014-04-13 23:18:43 | 文学


「死に顔や寝顔まで、にせ物はまねことができぬはずです。Pのおじさんは、春日町の空家にいた女の死に顔を見て、たしかに川上糸子だと判断なさったでしょう。だから、それが本当の川上糸子だったのです。
 それに、悪漢たちは、川上糸子が死んだということを、警察の人に見せたかったのです。そうして、さらにその死骸を隠して、わざと事件を紛糾させたかったのです」
「何のために?」
「さあ、それはよく分かりませんが、あるいは単に、彼ら誘拐団の威力を示して、警察をからかうつもりだったかもしれません」
「君のところへ電話をかけたり、糸子の死骸の上に君宛ての名刺を置いたりしたのも、やはり君をからかうためだったろうか」
「無論そうでしょうが、僕はその点がまだはっきり理解できません。僕をからかうのが不利益であることぐらい、彼らも知っているはずです。だから、僕のところへ電話かけたり、僕宛ての名刺を置いたりしたのは、果たして彼ら誘拐団の本意であるかどうか疑わしいと思います。

――小酒井不木「深夜の電話」


……戦後のスターが、素性や過去の不利をものともせず与えられた立場を世の中相手に屹立してがんばるというキャラクターだったとすると、(たとえば、美空ひばりとか星飛雄馬とか……王選手だって、中国人……)、現在はそのあたりは居なくなったかもしれない。少なくとも、音楽や野球の業界にはいなくなった気がする。芸人にはまだいるかな、有吉とかマツコとか(←忙しそうで体調が心配)。彼らはやはりある種お手本でありかつ大衆の自画像だったわけである。最近、新たに台頭してきたのは、明らかにちょっといまいちな能力の持ち主であり過ちを今もやらかしていそうなんだが、開き直るタイプの人たち――、安倍ちゃん、偽楽聖、おぼちゃん、(ちょっと前ならホリエモン)といったスターたちである。やはりこれはわれわれの姿だと言って良いと思う。われわれはこの十年間ぐらいの間、予想を超えた出来事に傷ついてきている。それは人間が過去の人間ではなくなっており、突然信用できなくなったような出来事であり、その恐怖を、もしかしたら、安倍やなにらやで――その苦しい一貫性への苦闘の劇で――慰撫しているのかもしれない。ただ、こんな反省をすべての人々が意識するほど世の中甘くはない。根本的に「死に顔や寝顔まで、にせ物はまねことができぬはず」というのは、推理小説の現実性に過ぎず、われわれの日常ではそんなこと「ばかり」起こっていると見做すべきである。

守護霊・八重桜・仕事・Godzilla

2014-04-12 23:36:34 | 思想
http://www.amazon.co.jp/gp/product/486395459X?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=486395459X&linkCode=shr&tag=dragoner-22

「小保方晴子さん守護霊インタビュー それでも「STAP細胞」は存在する」

←こんどは「ゴースト」ライター登場か

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140412-00000551-fnn-pol

「安倍首相、「桜を見る会」で一句「給料の 上がりし春は 八重桜」」

←大至急、歌人をゴーストライターにつけよう。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0403Z_U4A400C1000000/?dg=1
「仕事って何 「脳がちぎれるほど考えよ」  (孫正義ソフトバンク社長)」

←いやです

http://www.youtube.com/watch?v=64c6VLNJQiE&feature=youtu.be
Godzilla - Extended Look

←日本文化完全敗北の予感……

此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう

2014-04-10 00:22:33 | 文学


 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボヨボの老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

――寺田寅彦「伊香保」

海賊という白昼夢

2014-04-09 03:01:17 | 文学


本屋大賞が和田竜の「村上海賊の娘」という作品に決まったそうで、わたくしは本屋大賞の受賞作品を一つも読んでおらず、今回の作品も読んでない。なんでも本屋大賞というのは、「書店員が最も売りたい本を投票で選ぶ」らしいのである。わたくしは一度本屋でアルバイトをしたことがあるが、本はとっても重いな、という印象しかない……ので、書店員の皆さんが「最も売りたい本」という意識を果たして持っているのか、わからない。何しろ、それは、「売りたい」のであって、所謂推薦本ですらないからだ。女子高生が「コルナイ=ヤーノシュ自伝って超よくね?」と友達にオススメするのとも違うし、わたくしが、学生に向かって「共産党宣言をまだ読んでないのか、さっさと買ってこい」と言う(言ってないが)のとも違う。西村賢太がどこかで、「書店員如きが選んでどうするんだ」と、いつもの知的コンプレックス問題を突っついていたが、それはともかく、まあ問題は、選ぶプロセスと、大賞の真の目的であろう。

文学賞の選考は、わたくしも経験したからちょっとわかるが、投票数で最終決定するまで、あーだこーだ議論するので、いろんな意味で文学的に何が正しいのか、という問題を避けて通れない。良くも悪くも議論で勝った意見が尊重される側面もある。本屋大賞がどうやって決まっているのか知らんが、なぜ議論するかと言えば、投票というのは、「意見が封じられている」状態であるからだ。国民投票にしても選挙にしても、最後はみんな黙って投票する。大声で意見を言いながら投票している人をわたくしは少なくとも見たことがない。で、もう一つの大賞の目的だが、「売りたい本」を決めるのではなくて、「売れるので売る本」を決めることである。……というわけで、書店員各人が仮に「最も売りたい本」を思い描いていたとしても、投票によって平積みにすべき本が決まるわけであるから、ますます「村上海賊の娘」より「ロボット妹―改め人類皆兄妹! 目醒めよ愛の妹力」や「ドイツ農民戦争」を売りたいですとは言えなくなる。言えば、「最も売りたい本は『村上海賊』」だとか、意味不明な店長の言葉が返ってくる始末である……。で、買った方も「やっぱ面白かったな」と、いつもの言を繰り返す……、ならまだましだが、映画化されたその作品を観た原作未読のあほんだらが「超泣けた」と、泣けないまともな人間を脅迫し……

すなわち、わたくしの妄想によれば、本屋大賞は、今の政治そのままの最悪さを持っているのであるが、そんなことはどうでもよい。

気になったのは、昨年は「海賊になった男」、今年は「村上海賊の娘」と、海賊が二年連続受賞したことである。読んでないから何ともいえないが、海というのは「ロビンソン・クルーソー」以来(じゃなくても)、ロマンの対象としていろいろと問題含みだ。帝国主義が島国発祥らしいのはいまだに問題になっているところでもあろう。……で、あっちの島国はよくわからんからいいとして、私は、先の大戦が「太平洋戦争」だったこと、降伏調印式場が海上だったことなどのイメージが、われわれの戦争のイメージに大きく影を落としているようでならない。あんなに爆弾を落とされながら、われわれは日本が戦場だったとは思ってこなかったのではなかろうか。私がアメリカや中国だったら、日本は格好の戦場候補地と思う。原爆だって、ソ連中国との位置関係に加えて島である日本だから落としやすかったに違いない。国境線はいつも戦場の候補地である。われわれは自分の国を島だと思い、内部と外部のような感覚で世界を見ているかも知れないが、周りから見れば、境界線がちょっと膨らんだようないい感じの形をしている、一種の国境線に見える……。しかも島で閉じているから難民問題も国境の移動による民族問題も発生しない、後腐れのない戦場にできる。

私が、積極的平和主義やら集団的自衛権やらの議論で妙だなと思うのは、どうもわれわれの指導者たちが、右も左も、「戦争に行く」とか「軍隊を送り出す」とかいう感覚で議論しているような気がすることである。パートナーがアメリカだからよけいそんな感覚が強まったのかもしれんが、軍事力を行使する可能性を考えるのは、自分とこの国土でどんぱちやる可能性を考えることでなければならない。海で決着がつくとは限らないではないか。先の大戦だってそうではなかったではないか。というわけで、海賊漫画や海賊小説が流行ることの背後に、われわれの盲点が隠れていなければいいなと思う今日この頃である。

追記)「博士の愛した数式」は読んでた。本屋大賞だったんだ……

或いは事実そこに腕のような活溌なものが

2014-04-08 21:05:42 | 文学


「おおいやだ――」
 彼の話に勝って、それはなんという気味の悪い瘢痕だったろう。それは確かに生きている動物のように蠢めいた。或いは事実そこに腕のような活溌なものが生えていたのかもしれない。そのとき不図妾は、いままでに考えていなかったような恐ろしいことを考え出した。それは真一の瘢痕のあるところに、もう一つ別の人間の身体が癒着していたのではなかろうか。いわゆるシャム兄弟と呼ばれるところの、二人の人間の一部が癒着し合って離れることができないという一種の畸形児のことである。つまり真一の場合は、もともと二人であったものが、瘢痕のところで切開されて別々の二体となったものではあるまいか。そうすると別にあったもう一つの人体はいまどこに居るのだろう。そう考えると、たいへん恐ろしいことだった。
「だが、それは真一の場合の恐怖であって、あたしの身の上の恐怖でないからいい!」

――海野十三「三人の双生児」

雑居世界だということが分りかけた

2014-04-07 21:44:05 | 文学


 カコ技師の話は、正吉をおどろかせた。この宇宙は、地球人類だけが、ひとりいばっていられる世界だと思っていたのに、それが今は夢として破れ去り、ほんとうは他の星の生物たちといっしょに住んでいる雑居世界だということが分りかけた。これはゆだんがならない。また、考えなおさなければならない。もしや宇宙戦争が始まるようになっては、たいへんである。
 正吉は、そんなことを考えていると、なんとなく気分がすぐれなくなった。カコ技師はすぐそれを見てとった。
「正吉君。いやにふさぎこんでしまったじゃないか。とにかく人間は、どんなときにも元気をなくしてしまってはおしまいだよ。そうそう、いま映画室でポパイだのミッキー・マウスの古い漫画映画をうつしているそうだから、行ってみて来たまえ。そして早く、にこにこ正ちゃんに戻りなさい」

――海野十三「三十年後の世界」

そうした巨大な物体を水底に匿し横たえておるべく余りに浅い

2014-04-06 23:33:53 | 文学


ある者はまた次のように論じた。『列車は過って軌道を滑り出した後、数百ヤードの間軌道に沿うて流れておるランカシアー運河の中へ陥没してしまったものだろう』と。けれどもこの臆説は不幸にしてたちまち却下された。運河の水深が発表された結果、そうした巨大な物体を水底に匿し横たえておるべく余りに浅いことがわかったのである。その外にも、いろいろ勝手な臆説、仮説を立てるものもあった。が、その時に当って、突如として全く思いがけない一つの挿話が湧上った。

――コナン・ドイル「臨時急行列車の紛失」(新青年編輯局訳)