
春の夜の、コンクリートの建物の並んだ、丸之内の裏通りのごみ箱一つ見えない、アスフアルトの往来に、ふと、野菜サラダのにほひを感じたと芥川龍之介は書いてゐる。
この通りには、ところどころに西洋料理店はあるし、大方は、地下室が、料理場になつてゐて、ほ道とすれすれすれに通風窓があるから、野菜サラダだらうが、かきフライであらうが、鼻が悪くない限りごみ箱を連想し、その所在を気にせずとも、それより遙に新鮮なにほひを感じるのは当然である。
当時、このあたりに洋食屋が一軒もなかつたと、好意的に解釈するとして――
今僕の前を行く、これも帝劇の帰りの慶応の学生も、洋食に関して極めて博学を示してゐる。
「日本の海老はラブスターとは、いはないんだね」
春の夜の丸之内の裏通りに、ふと洋食を感じるのは、どうやら春の夜の定式らしい。
――小津安二郎「丸之内点景」