
例の、渡殿より見やれば、妻戸の前に、宮の大夫、春宮の大夫など、さらぬ上達部もあまたさぶらひたまふ。殿、出でさせたまひて、日ごろ埋もれつる遣水つくろはせたまふ。人びとの御けしきども心地よげなり。心の内に思ふことあらむ人も、ただ今は紛れぬべき世のけはひなるうちにも、宮の大夫、ことさらにも笑みほこりたまはねど、人よりまさるうれしさの、おのづから色に出づるぞことわりなる。右の宰相中将は権中納言とたはぶれして、対の簀子にゐたまへり。
彰子の出産に沸き返るなかで、「心の内に思ふことあらむ人も、ただ今は紛れぬべき世のけはひなる」と書いているところがさすが。気が紛れてしまいそう、といっているのであって、別に本当に紛れている訳ではないのだ。右の宰相中将と権中納言が反対側の建物でふざけ合っているのは、よく言われていることだが非常に意味深である。宰相中将である藤原兼隆は道長の兄・道兼の子である。道兼は一条帝即位の謀略に加わり関白になる予定だったが疫病で死んでしまったのである。で、兼隆は叔父の道長に庇護されている訳であった。権中納言の隆家は道長を含む兄弟の長兄・道隆の子である。所謂「長徳の政変」で花山法皇を襲撃した一人で姉の定子はそこで絶望して出家。彼は流罪から帰ってきていたのであった。のちに定子の子(第1皇子)を立太子にしない一条天皇にひでえことを言って批判した人物である。――親父たちの弟・道長の娘(彰子)が一条天皇の第2皇子を産む。このことがどのようなことを意味するのか。彼らにとって、気分の良いことではありえない。
「なにしてんだい!」
ぎくりとして振り返ると、先ほどの洗濯女が土間につっ立っていた。もう半分ほど眼がつり上っている。五郎は返事に窮して黙っていた。すると女は跣のまま簀子の上にあがって来た。
「小探ししているな。言わないでもわかってるぞ!」
女は立ったまま、両手で五郎を引きずり倒した。女の腕は太かった。筋肉がもりもりして、男の腕のようだ。五郎は押えつけられながら、あやまった。
「許して下さい。許して下さい。もう絶対に小探しはしませんから」
「許してやらない。許してやらない。絶対に許してやらない」
――梅崎春生「幻化」
簀子というとこの場面を思い出してしまうわたくしであるが、――不可視な暴力に曝されている二〇世紀の文学者にとって、人間の筋肉が持っている力はまた別の物質的なものではない感触に満ちていた。平安時代だって、原爆や爆弾はなくてもそれはたぶんある。二人の青年が対の簀子で「たはぶれ」しているところに心以上の暴力がなんとなく起きかけているのではなかろうか。