マイケル・ライアンの『デリダとマルクス』が押し入れの中の座布団の間から発見された。そのまま書棚に放り込むのはかわいそうだったので、ちょっと読んでみる。
大学院のはじめのころ読んですごく面白かったのを覚えているのだが、いまはどこが面白かったのかよくわからなくなってしまった。
「隠喩は邪道に導く。隠喩においては、あるものが自分とは違う他者になるのである。」
例えば、最初の文はなかなか淫靡なにおいがしてどきどきする。しかし次の文がいけない。私はこの二つの文は意味が全く違っているようにみえる。せめて文の順が逆の方がいい。10年前の私はこの箇所をどう感じていたのか……。ワスレタ。
マイケル・ライアンの気分としては、彼の周りにいるすましたアカデミシャン(でもマルクスが好き)も、どうせ何もせんところの文学不良(でもマルクスが好き)も、どっちも論理のブルドーザーで押しつぶしたいのだろう。わかります。そんな殊勝な人達がいる現実があればの話だが……。
今日は気温、28度もあった。私の知恵熱のせいだろう。
大学院のはじめのころ読んですごく面白かったのを覚えているのだが、いまはどこが面白かったのかよくわからなくなってしまった。
「隠喩は邪道に導く。隠喩においては、あるものが自分とは違う他者になるのである。」
例えば、最初の文はなかなか淫靡なにおいがしてどきどきする。しかし次の文がいけない。私はこの二つの文は意味が全く違っているようにみえる。せめて文の順が逆の方がいい。10年前の私はこの箇所をどう感じていたのか……。ワスレタ。
マイケル・ライアンの気分としては、彼の周りにいるすましたアカデミシャン(でもマルクスが好き)も、どうせ何もせんところの文学不良(でもマルクスが好き)も、どっちも論理のブルドーザーで押しつぶしたいのだろう。わかります。そんな殊勝な人達がいる現実があればの話だが……。
今日は気温、28度もあった。私の知恵熱のせいだろう。