
小さな社会で行はれ始めた言葉は、構成が自然であり又知らず知らず仲間の感覚を代表して居る為に、よくよく乱暴な聴き苦しいものゝ外は、すぐに承認せられてそこだけでは通用するが、一たび境を出て隣の群と相剋すると、可なり厳峻な審判が下されて優れたものだけが残る。
――柳田國男「国語の将来」
柳田のこのような意見を、例えば共同体の排他性や差別として解釈し、もうそんな時代でないので国語ではなく日本語でよくないかみたいなことをお偉方がいうのが今時。――というか昔からそうかもしれない。柳田にもときどき結果から眺めているところがあり、「優れたもの」とは何かが分からない。