★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

春と学部生

2024-02-08 03:38:04 | 思想


もう、何かが勝手に生えてきている春である。

恒、亨。无咎。利貞。利有攸往。

順調に事が運び災難は去るので出かけてよい、――出勤するのがこわいのであろうか。占いに惑わされるひまもなく我々は仕事に往くほかはない。そこで問題になるのはいつも、われわれの仕事は何処にあるのか、ということだ。

で、研究にアリと考えた場合つい問題は大学院のありかたのほうに向いてしまうわけであるが、――そう向いたとしても、むしろ問題は学部の卒論へのあり方だと思う。「学部生はこんなもん」とするのではなく、とりあえずきちんと考えない限りどうしようもない。しかし、単にそれを「まじめ」にやらせようとするとすぐ手続きの厳密性みたいなところにいってしまうのがどうもおかしい。それこそ学部教育でそういうことしか教わらなかった人間が教えはじめるとそうなりがちなのは当然だが、おかしいことはおかしいのだ。

研究者養成で勝ち抜いた人というのは、どことなく学部教育を馬鹿にしている人もいると思う。でもだいたい大学院に来た頃にはいろいろな意味で手遅れだったというのがほんとのところじゃないかと思うのであった。

本当に人間は植物のように勝手に生えるものであろうか。