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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

虎の尾をふんだがかみついてこなかった世界

2023-10-04 23:10:51 | 思想


履、虎尾不咥人。亨

虎の尾をふんだが、かみついてこない、いいね。こんなのも、朝の目覚めが良くないので今日は一日調子悪い、みたいな現代人よりもよほどましな世界である。詩経に、果物をなげてくれたので佩玉をなげ返したよ結婚しよう、みたいな歌があるけど、ほんといまどきのライン上のくだらないコミュニケーションよりもかなりしゃれている。

こういう世界でこそ、言葉に込められた思いみたいなものが果実の残り香のように辛うじてありうるのである。いまでもやたら、人物のこころを説明させる授業はあるが、たいがいその残り香を芳香剤で打ち消す体のものである。

今年は麦茶に目覚めた夏であった。

メーリさんのひつじ、ひつじ――事件がまだ炎上中である。今日は、記者会見を仕切っていた運営会社が手を上げてても無視するNGリストを持っていたとかなんとかで紛糾していた。NGリストって自分がやってはいけないことならわかるが、無視するリストをNGってなにかおかしいよな。まあ、あれだよな――政府が憲法を無視するときもそんなかんじの認識のねじれが起きてると思われる。

今も昔も、教育の現場を破壊するのはいろんな意味で勇気のない教員であり、これをごまかす理屈ばかりが発明されている。それを笑いながら卑怯な人間が世の中に出て行く。これはとても因果の筋が通り過ぎている、自明の理すぎる現実である。ジャニーズの会見騒動もそのレベルの話である。こんなことをやっていたら、逆に、虎の尾をふんでもかみついてこないイイネ、――が世界を占う輝きを失って、ただ陰謀の結果になってしまうではないか。陰謀論が流行るのも、そもそもつまらない因果の効果に頼って我々が仕事をするようになったからだ。その因果律への信仰はあまりにくだらない。ボスの犯罪的地獄の王国にも、逆に男性同士の芳香を放つ世界が出現してしまった世界を讃える人さえいなくなるであろう。この先にまっているのは、芸能の死滅である。確かにもう死んでたと言えば、戦時中あたりから死んでいるといえばいえるのであろう。今度授業で、ジャニー帝国における、敗戦と戦後思想の欲望の関係について推測したことを喋るつもりであるが、そもそもその帝国は死からの復活であっても敗戦の刻印を押された惜しいものである他はないのだ。ジャニー氏と我々は欲望を共有していたのか、いたに決まってる、と細に喋ってもあまりに受けが悪かったが、それはそうだ。