
万里を一時に渡らんと声を帆に挙て推けれ共、時節風たゆみ、塩向て御舟更に不進。水手・梶取如何せんと、あはて騒ぎける間、主上船底より御出有て、膚の御護より、仏舎利を一粒取出させ給て、御畳紙に乗せて、波の上にぞ浮られける。竜神是に納受やしたりけん、海上俄に風替りて、御坐船をば東へ吹送り、追手の船をば西へ吹もどす。さてこそ主上は虎口の難の御遁有て、御船は時間に、伯耆の国名和湊に着にけり。
仏舎利(釈迦の骨)は、龍神に効き目があった。船が進まず絶体絶命の後醍醐天皇の船に突然風が助けに来る。山国育ちのわたくしは木曾川以上の水量を認められないが、我国は海と風に翻弄されてきた国であった。神は山になんとなく「存在」しているのではなく、海と川で実際に「行為」している。
風紋 Fu-mon -保科洋 近畿大学吹奏楽部
高校の時にコンクールの課題曲で演奏した。わたくしはこの題名についてまったく考えもせずに演奏していたが、べつにそれでもよかったのかもしれない。瀬戸内海で実際に見た風紋は、もっと岩やゴミや海藻で寸断されたものであった。「土佐日記」だと、梶取や漕ぎ手がある意味神に近いかもしれない重要な人物として描かれるが、後醍醐天皇を乗せた船の漕ぎ手だっていろいろ知った上で漕いでいたにちがいない。
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面を、にらめながらに過ぎてゆく
――中原中也「憔悴」
本当は、もっと怖ろしいものが海である。わたくしは結局「龍神」みたいな表現が一番しっくりくる。