
その箭に五六寸なる、紙牌を結び提げて、「奉納若一王子権現、所願成就」と書きたるける。「さては、真の征箭ならず、守を否して、賊を愛する、百姓ばらが所為にやあらん。とく蒐り出だして生けどれ」
庚申塚に引き出された額蔵である。悪徳役人が竹槍で突こうとすると、稲塚から鏑矢が飛んでくる。その矢に、若一王子権現云々という紙が結んであるのであった。若一王子権現は、アマテラス、その実、十一面観音という結構強いお方である。いまでも、ときどき神仏分離政策を乗り越えた神社がある。高松にもあるがな。庚申塚もけっこう捜すとあるのであるが……。
それはともかく、射られた方が、これは征箭(戦闘用の矢)じゃねえぞ神社のやつだ、お上を否定し賊を愛する庶民の為業だっ、と思い切り「身の丈発言」をしているのがいい。わたくしの妄想では、江戸期のいつからか、庚申信仰も若一王子信仰も、庶民の馬鹿騒ぎのツールとして意識されていて、明治期の神仏分離や迷信殲滅政策も突然出てきたものじゃないのだ。
今日も、天皇をツールとして馬鹿騒ぎをやらかしている人々がいたが、本人たちのごく一部が案外、文化についてなんらかの認識を得てる可能性がある一方、権力の側には明らかに侮蔑的な認識がある人間が多数いるに違いない。したがって、――馬鹿騒ぎは、それが権力によって全否定される前兆でもある。
N君に別れて玄関の石段をのぼり切ると、正面の陳列壇のガラス戸があけてあって、壇上の聖林寺十一面観音の側に洋服を着た若い男が立っていた。下にいる館員に向かって「肉体美」を説明しているのである。ガラス戸のあいているのはありがたかったが、この若者はどうも邪魔になってならなかった。やがてその男は得意そうに体をゆすぶりながら、ヒラリと床へ飛び下りてくれたが、すぐ側でまた館員に「乳のあたりの肉体美」を説き始めた。N君が渋面をつくって出て行ったわけがこれでわかった。
しかしわたくしたちはガラス戸のあいている機会を逃さないために、やはりこのそばを立ち去ることができなかった。それほどガラスの凹凸や面の反射が邪魔になるのである。
――和辻哲郎「古寺巡礼」
フェノロサや和辻によって崇められている聖林寺十一面観音であるが、わたくしは、この観音像になんとなく居心地の悪い感覚を持つ。それは上の「若い男」の下品な振る舞いに似た淫靡なノイズのようなものだ。わたくしは、やはり宗教において偶像崇拝は危険だと思った。我々は、偶像に似てくるのである。その似姿は、上の若い男のようにもなるし、三犬士みたいにもなる。生身の人間が偶像の場合は、こんな揺れ幅では済まない。
故に、とりあえず、天皇には、その口調を祝詞みたいな口調にもどしていただきたい。現代においては、天皇の口調が唯一、言語のJPOP化に抵抗していたようなきがするからである。