動物昆虫記7
扇町にあり。ただ今道路を舗装中……

かなり寂れている。この写真の手前には、りっぱな注連石(明治四十四年十月)があるのであるが……

よくみると真ん中あたりに斜めに汚れがあるのが分かります。というのも、最近まで(いつ頃までだったかは忘れましたが)、この参道の両側の境内にびっしりと長屋が建ち並んでいたからであります。屋根の廂の跡なのでしょう。右側の注連石には、家の中に埋没しているように見えるが……(下記のページを参照……)
http://www.sukima.com/40okayama2003/10ebisu.html
http://www.komainu.org/kagawa/takamatu/ebisu_ougi/ebisu.html
上の方の記事の方は、空襲後のバラック乱立の結果ではないかと言っておられます。昨日の華下天満もそうなので、ここもそうだったのかも知れません。
たぶん位置的には『香川県神社誌』の言うところの「西濱神社」がここのことではなかろうか。それに曰く、
「寛文元年(紀元二三二一)の創祀といふ。玉藻集、三代物語等に蛭子宮、蜆兒社西濱にありと見え、西濱蛭子と稱せらる。明治四十三年西濱本町通南側より遷座せり。」
注連石は、遷座した直後のものらしいです。蛭子(ヒルコ、または、えびす)宮と呼ばれてたんですね。そして地名にあわせて西浜神社、あれるいは、『神社誌』の昭和十三年以降に恵比須神社に……。まあ、周囲の人たちにとっては常に「えびっさん」「おべっさん」みたいなところであろう。恵比須神社は、高松市の北岸地域に点在している。ヒルコさんにしても、えびすさんにしても海の神だからであろうが……。
ヒルコさんは、無論、イザナギとイザナミとの最初の子であったが、葦の舟に入れて流された人。それがふとった恵比須さんと習合したりしなかったり、大黒さんとシンクロしてみたりと、よく分からない神様の一人であろうが、――とにかく、ヒルコをまともな子だとみなかったギとミのカップルは自分が人間であると思い込んでいたに過ぎないのではなかろうか。いまでも、こんな出来の悪い子が自分の子であるはずがないとか言って苦悩している親がいるが、だいたい客観的に見て、親にそっくり、もしくは親より有能、もしくは親よりお馬鹿なのである。ヒルコさんは、西宮に流れ着き、浜のみんなと一緒に仲良く育った。とすると、やっぱりアメーバみたいだったのは、ギとミのほうであり、ヒルコさんは我々に近いのではなかろうか。

皇紀二千六百年記念の狛犬。

昭和二年五月の燈籠。

左側は以前から駐車場になっていたようです……

黒ずんだ本殿
拝殿の左側に境内社みたいな社がつっくいておりまして……


拝殿こちらの神社も、中を覗くとちゃんとお供えされてきれいになっていました。この神社は生きております。

かなり寂れている。この写真の手前には、りっぱな注連石(明治四十四年十月)があるのであるが……


よくみると真ん中あたりに斜めに汚れがあるのが分かります。というのも、最近まで(いつ頃までだったかは忘れましたが)、この参道の両側の境内にびっしりと長屋が建ち並んでいたからであります。屋根の廂の跡なのでしょう。右側の注連石には、家の中に埋没しているように見えるが……(下記のページを参照……)
http://www.sukima.com/40okayama2003/10ebisu.html
http://www.komainu.org/kagawa/takamatu/ebisu_ougi/ebisu.html
上の方の記事の方は、空襲後のバラック乱立の結果ではないかと言っておられます。昨日の華下天満もそうなので、ここもそうだったのかも知れません。
たぶん位置的には『香川県神社誌』の言うところの「西濱神社」がここのことではなかろうか。それに曰く、
「寛文元年(紀元二三二一)の創祀といふ。玉藻集、三代物語等に蛭子宮、蜆兒社西濱にありと見え、西濱蛭子と稱せらる。明治四十三年西濱本町通南側より遷座せり。」
注連石は、遷座した直後のものらしいです。蛭子(ヒルコ、または、えびす)宮と呼ばれてたんですね。そして地名にあわせて西浜神社、あれるいは、『神社誌』の昭和十三年以降に恵比須神社に……。まあ、周囲の人たちにとっては常に「えびっさん」「おべっさん」みたいなところであろう。恵比須神社は、高松市の北岸地域に点在している。ヒルコさんにしても、えびすさんにしても海の神だからであろうが……。
ヒルコさんは、無論、イザナギとイザナミとの最初の子であったが、葦の舟に入れて流された人。それがふとった恵比須さんと習合したりしなかったり、大黒さんとシンクロしてみたりと、よく分からない神様の一人であろうが、――とにかく、ヒルコをまともな子だとみなかったギとミのカップルは自分が人間であると思い込んでいたに過ぎないのではなかろうか。いまでも、こんな出来の悪い子が自分の子であるはずがないとか言って苦悩している親がいるが、だいたい客観的に見て、親にそっくり、もしくは親より有能、もしくは親よりお馬鹿なのである。ヒルコさんは、西宮に流れ着き、浜のみんなと一緒に仲良く育った。とすると、やっぱりアメーバみたいだったのは、ギとミのほうであり、ヒルコさんは我々に近いのではなかろうか。


皇紀二千六百年記念の狛犬。

昭和二年五月の燈籠。

左側は以前から駐車場になっていたようです……

黒ずんだ本殿
拝殿の左側に境内社みたいな社がつっくいておりまして……



拝殿こちらの神社も、中を覗くとちゃんとお供えされてきれいになっていました。この神社は生きております。