草も木も猛暑に萎えて、虻や蜂のうなりに肌を刺されながら、龐統の軍隊は、燃ゆるが如き顔を並べて、十歩攀じては一息つき、二十歩しては汗をぬぐい、喘ぎ喘ぎ踏み登ってきた。
そのうちに、ふと前方を仰ぐと、両側の絶壁は迫り合って、樹木の枝は相交叉し、天もかくれるばかり鬱蒼たる嶮隘な道へさしかかった。
陽かげに入って、龐統は、ほっと肌に汗の冷えをおぼえながら、
「おそらく、こんな嶮しい山道は、蜀のほかにはあるまい。ここはそも、何という地名の所か」
と、途中で捕虜にした敵の兵にたずねた。
降参の兵は、言下に、
「落鳳坡とよび申し候」と、答えた。
「なに、落鳳坡?」
龐統は、なぜか、さっと面色を変えて、急に馬をとめた。
「わが道号は鳳雛という。落鳳坡とは、あら忌わし」
――吉川英治『三国志』「図南の巻」