
シューマンのピアノ協奏曲第三楽章が三拍子であると今頃気付いたのだが、それはともかく、日本は過去の栄光に縋っているという意味でロシアとか北朝鮮に近いのはもちろん、もっといろいろにているかもしれない。この前小林節がうちの大学で講演していた時も「アベちゃんはキムさんに近い」と言っていたけれども、このことは単に民主主義を解しないということではなく、もっと深刻な類似かもしれない。私自身を考えてみても、なぜちゃんと読めてもいないドストエフスキーに惹かれ、露西亜音楽が好きなのであろうか。
日本人は、なぜ英語をあまり喜んで学ばないのであろうか?本当は、アメリカの文化があまり好きではないのではないか。
今後、印度や中国が覇権を握った場合、案外、過去の日本において埋め込まれた文化的な何かが力を発揮しはじめるかもしれないのだが、その場合にもただ待っていてはやはり日本は文化的属国であろう。
やっぱり一つでも重要な作品を残しておくしかないのではないだろうか……