そして、類ひ稀なるモロコシ酒の利き目は、盞を傾ければ忽ち羽化登仙、二盞を呑み尽せば王侯貴族の宮殿に主となつて、錦の寝椅子に恍惚としてゐるものを、あの声を耳にするがいなや、真さかさまに元の馬小屋に戻つてしまふと、憤つて、やがてはわたしの帰来と知つても故意に扉を開けようともしなかつた。
“And travellers, now within that valley
Through the red―litten windows see
Vast forms, that move fantastically――
わたしは、いつまでも、ものゝ怪の、カケスのやうに鳴きつゞけてゐた。
わたしは当時邦訳「物質的並びに精神的宇宙に関する論文」の苦業を――苦業、何といふ長い間の苦業であつたことよ、悲風惨雨とは正しくわたしのこれに適当な言葉と云はずには居られない――幾星霜の苦業を終へて、一切の苦業裡に於ける生命――「一切の生命裡に於ける生命、生命、生命」をもつて「宇宙の通観」の途上に、稍々機嫌麗はしく、オルゴールのゼンマイを巻いてゐると附記して置かう。
――牧野信一「幽霊の出る宮殿」