★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

私下半身を好きになるから、アッコは上半身を好きになりなよ

2013-11-02 14:27:22 | 漫画など


政府が、また相変わらず秘密情報を保護する策とかを考えているらしい。法律作らにゃ秘密が漏れるような政体は、歴史の教訓として、だいたいいつも既に肝心なところが漏れていたんだと思うし、スピルバーグの「イーグル・アイ」に描かれているごとく、もはや問題は秘密を隔離することより(もう今時無理だろそもそも……)も、民主主義的意志が監視やテロになってしまうのをどうするかという問題であって、時代錯誤の感は否めん。牢屋型がいいのか箱型がいいのか、長い時間をかけて議論してきた権力形態の問題をなかったことにするのか。昨日NHKは、ハーバードの白色白熱講義――「みんなで権力者にならう」とかいう内容の授業を流していたが、そもそもの問題は、コミュニケーションが権力のやりとりの問題に見えてしまうわれわれの感覚であって、最近そこらへんが症状としてますます猖獗をきわめているのは、権力を持ちたい連中が下々にドングリの背比べをさせることによって保身に走っているからである。「どんぐりと山猫」を見るがよい。権力の発生はコミュニケーション一般の結果ではない。権力を欲するやつだけが権力となるに決まっているように、わたくしには思えるんだが……

まあ、それより問題なのは、秘密を保持したい為政者が、本当に秘密にしとくほど重要なことを保持しているのかという問題であるように私には思われる。議事録もきちんと作っていない(あるいは作る能力がない)組織には、そもそも秘密が空気の中を漂っているので、もうどうしようもない。それに、上のハーバード権力者養成講座でも言っていたが、秘密が問題になるのは、支配力や存在感があるやつの場合であって、日本がしばしば盗聴やスパイの対象にすらなっていないのは、仄聞するところだ。……そういうことである。議会が信用されず、陛下に直訴するような人間がでてくるところをみると、戦前も今も、日本の政治屋や庶民たちは、お互いを全く信用していない。お互いに秘密をもっているからではなく、自分に対する秘密――というより批判が「ある」のが嫌であるに過ぎない。秘密を秘密のままにしておきたい心理は、他人が自分に対して秘密にしておくに足る批判や都合の悪いことを「なかったことにする」、という心理であるにちがいなく、国家安全保障とは何の関係もない可能性すらあると思う。そんな「なかったことにする」ような生き方をお互いにした結果濁ってしまった「空気」のなかで期待されるのは、超越的な理性的な無垢である。そこで出てくるのが陛下などである。むろん、昔も今も陛下はたいした権力ではないのだが、三種の神器と同じで、政治屋や庶民とかと違い「なかったことにする」のではなく「何もない」ことによって、そこに良心とか魂が期待されてしまうのである。――隣人よりも西洋人や天皇や能年玲奈の笑顔に期待する訳だ。これが三島由紀夫が言うのと違った意味での日本での超越的なものの動き方であって、頭のよい連中はそうやって天皇や西洋人を利用してきている。単に天皇に褒められようと思った某棋士の場合は違うだろうが……某棋士は、むしろ会社の重役とか理事とかの機嫌をとるようなかんじで、陛下を利用したのではないか?戦略的に無垢なY本氏よりよほど、幼稚に大人である分だけおそろしく不敬であったといへよう。

日本の場合秘密といったら、「蒲団」とか「ひみつのアッコちゃん」みたいなものであろう。中年の恋とかアッコちゃんのコンパクトとかである。ありふれすぎていて何の秘密もないが、秘められたという事実によって秘密である。「ひみつのアッコちゃん」は確かヤング版というのがあって、アッコちゃんが思春期で「マザコン男」に惚れたり、自慰行為を目撃したり、生理の話をしたり……。友人に「私(彼の)下半身を好きになるから、アッコは上半身を好きになりなよ」とか言われたりする。「パンドラの箱」のように世界を滅ぼしかけたりする秘密の箱はない。まったくありふれた光景である。天皇という箱の場合も同じだ、自明の理はでてくるが、それ以上はない。しかしそれでよいこともあるであろう。天皇を担ごうとする連中が自明の理以下の場合は。