★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

上野千鶴子対佐藤友哉対東浩紀対大今良時対北杜夫対為永春水

2013-11-19 23:01:54 | 文学


今日は、評論注釈の演習で、前回に続き上野千鶴子の『おひとりさまの老後』の一部を扱う。授業前に、『おひとりさまの老後』をなるたけ相対化するために、佐藤友哉『世界の終わりの終わり』と東浩紀『一般意志2.0』と大今良時『聲の形1』をひっつかんで教室に向かう。んで、演習者の発表の前に、その三冊を用いて即席で、上野千鶴子がやさしく無視しているものについて論じてみた。……こんなことをやっていると、ますます精神が荒みそうである。演習者の発表の途中で、北杜夫の「少年」も紹介しておいた……。北杜夫は、たしかこの「少年」について「乳臭い作品だ」と言っていたと思うが、ある種、評論というものはもっと乳臭いものであろうと思う。そして論理が論理である限り、「乳臭い論だ」と過去の論理を否定することさえ禁じられているのだから……。最近の一億総評論家時代が成熟を志向しない理由もそんなところにあるのかもしれない。しかしだからといって、小説の方が、「春色梅児誉美」などではまずいとわたくしは思う。佐藤友哉などはいったい自分の小説をどんな風に思っているのであろうか?