AVENUE DE L'OERA の数千の街灯が遠見の書割の様に並んで見える。芝居がへりの群衆が派手な衣裳に黒い DOMINO を引つかけて右にゆき、左に行く。僕は薄い外套の襟を立てて、このまま画室へ帰らうか、SOUPER でも喰はうか、と METRO の入口の欄干の大理石によりかかつて考へた。
五六日、夜ふかしが続くので、今夜は帰つて善く眠らうと心を極めて、METRO の地下の停車場へ降りかけた。籠つて湿つた空気の臭ひと薄暗い隧道とが人を吸ひ込まうとしてゐる。十燭の電灯が隧道の曲り角にぼんやりと光つてゐる。其の下をちらと絹帽が黒く光つて通つた。僕は降りかけた足を停めた。画室の寒い薄暗い窖の様な寝室がまざまざと眼に見えて、今、此の PLACE に波をうつてゐる群衆から離れて、一人あんな遠くへ帰つてゆくのが、如何にも INHUMAIN の事の様に思へてならなかつた。
――高村光太郎「珈琲店」