
『ははは乗客はどんな日でもありますね、しかも世界中から集って来る。偉い人も偉くない人もある。或人は一目見ると直ぐ、ハハア此の人は偉いぞとわかる。だが時としては皆目見当のつかない人もある。とにかく人間というものは此の世の中で一番面白いものだ。』
話しているうちに、何とも得体の知れないものが欄干の間から見えた。
『あれは?』
『コロシアムだ、大きな丼鉢のようだがあの容量は八万人だ。あの中央の緑の美しいのをごらんなさい。秋になるとあすこでフットボールの競技があるのだ。』
船長は時計を出してみて『あ、時間だ!』
エレベーターはまた私たちを運んで下界に降した。降りながら彼は言った。
『近いうちに、あなたは此の高塔から日本の歌がチャイムとなって響くのを聞くだろう!』
私はその意味がわからなかった。けれども、それから四五日経った或日の夕方であった。三人の日本人がコロシアムの壁上に立って、タマルパイの彼方に沈む紅い夕陽を眺めていると、六時の時報が高塔から響き出した。
『お、もう六時だ!』
一人が塔の方を見た時、こは抑も何事ぞ! 高塔の上からバークレーの町々に、オークランドの家々に静かに流れ渡るその歌は。
『みどりもぞ濃き柏葉の、蔭を今宵の宿りにて……』
一高の寮歌が、カリフォルニヤ大学のカムパニールからチャイムとなって響いているのだ。
感慨無量の体で涙ぐみながら聞き入っているのは一高出身の向野元生氏。その傍に立っていたのが、南満鉄道の貴島氏と、明治学院教授の鷲山弟三郎氏であった。云うまでもなく、此のチャイムのミュージシャンは、チャールス・ビ・ワイカーと云う誠実な高塔守である。
……「バークレーより」(沖野岩三郎)
警察の留置場にいたときよく、言問橋の袂に住んでいる「青空一家」や三河島のバタヤ(屑買い)が引張られてきた。そんな連中は入ってくると、臭いジトジトしたシャツを脱いで、虱を取り出した。真っ黒なコロッとした虱が、折目という折目にウジョウジョたかっていた。
──「独房」(小林多喜二)