恋愛小説の講義をしていて、予想通りというか、予感通りというか、悪寒通りというか、「演歌」をちょっと勉強してみようという気になった。
演歌と言っても、なんの曲も浮かんでこない現在の私が思い浮かべるのは、小林秀雄が対談相手の三島由紀夫に言った、「金閣寺」は叙情詩であって小説じゃないとかなんとかいう、例の発言である。なぜかといえば、何かをやるまでのことは叙情詩にはなるけど、やった後は人との関係性が生じて小説になるというのだ。いかにも社会的なものを妙に重視する小林の言いそうなことであると昔思った記憶があるが、そうすると、松田聖子の歌う松本隆の詩は叙情詩であるが、「川の流れのように」とか「うらみ・ます」とか「越冬つばめ」は小説であるということになるのであろうか。
思うに、演歌の人はかなり汚れちまった内容を歌う割に綺麗なかっこをしているのはなぜだろう。演歌は、プロレタリアートの音楽にはなり得なかったのだろうか。共産党の演歌の扱いはどうだったのだろう?
まったく知らないことだらけである。