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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

嵐の昼に1

2010-12-03 23:22:53 | 日記


確かに黒い雲であった



ニッポンの夜明けだ。



確かに不気味に色が変わる朝であった

1校時から山崎ハコの「きょうだい心中」を、大教室にて大音響で流す予定

演歌の悪寒

2010-12-03 05:34:27 | 音楽


恋愛小説の講義をしていて、予想通りというか、予感通りというか、悪寒通りというか、「演歌」をちょっと勉強してみようという気になった。

演歌と言っても、なんの曲も浮かんでこない現在の私が思い浮かべるのは、小林秀雄が対談相手の三島由紀夫に言った、「金閣寺」は叙情詩であって小説じゃないとかなんとかいう、例の発言である。なぜかといえば、何かをやるまでのことは叙情詩にはなるけど、やった後は人との関係性が生じて小説になるというのだ。いかにも社会的なものを妙に重視する小林の言いそうなことであると昔思った記憶があるが、そうすると、松田聖子の歌う松本隆の詩は叙情詩であるが、「川の流れのように」とか「うらみ・ます」とか「越冬つばめ」は小説であるということになるのであろうか。

思うに、演歌の人はかなり汚れちまった内容を歌う割に綺麗なかっこをしているのはなぜだろう。演歌は、プロレタリアートの音楽にはなり得なかったのだろうか。共産党の演歌の扱いはどうだったのだろう?

まったく知らないことだらけである。