
授業で「パノラマ館」、それについて触れている乱歩や朔太郎などについて話す。ああ、それは「ドラゴンボール」のオープニングみたいなもんです。とつい口走ってみたのですが、実際にオープニングテーマをきいてみたら、「ひろがるほにゃららら~」とちゃんと歌っておりました。わたくしの記憶もまだまだ健在です。授業後、ネットで調べてみたら、「ドラゴンボールパノラマワールド」なるおもちゃまで売っているようです……
だいたい悟空というのは、グローバル人材です。内向きになっているのは尻尾だけで、どんどん外側にいってしまいます。神様やなんとか王に会っても「おっす、オラ悟空」という感じです。コミュ力もスゴイです。ある少女にセクハラをしたのをきっかけに、競技大会の時間を使って結婚してしまうというコミュ力的時間の節約の仕方も知っています。自分の武力は、自分を守るときと「わくわくしてきたぞ」の時だけ使います。友だちを殺された時だけ口が悪くなり「このクズ野郎」とか言ってしまいましたが、普段は、「おっす、オラ悟空」とか「かーめーはめーはー」みたいな事しか言いません。しかし有言実行です。しかも、知らないうちに子どもまで作っており、人口減少対策に一石を投じました。
ゼミでは、菊池寛と志賀直哉について考えました。菊池寛が、志賀直哉のクズっぷりに「義しさ」みたいなものをみているのはいかがなものか。たぶん菊池寛も本当はあまり性格が良くなかったのではないでしょうか。志賀直哉は、「おれの戦闘力は90万です」とか家族のみんなを脅しつけながら、その実戦闘力は1ぐらいのゴミで、お父さんから小遣いをもらいながら女中に手を出しているような輩です。悟空なら「次から次へとおかしなことばかり言いやがってこのクズ野郎」と言いながら、「おっす、オラ悟空」といって友だちになってくれるでしょう。こういうのがヒューマニズムというのです。
「ドラゴンボール」はこう考えてみると、八犬伝と言うより、「近代の超克」という感じに見えてきました。以前、島田雅彦がたしか「ドラゴンボール」とか「ナウシカ」について「愛のテーマ」があると言っていましたが、果たしてそうか。パノラマ好きが志向する次のような場面のつながりに果たして愛があるであろうか。
「かーめーはーめーは~」(「ドラゴンボール」)
その時、北見小五郎は、くらめく様な五色の光の下で、ふと数人の裸女の顔に、或は肩に、紅色の飛沫を見たのです。最初は湯気のしずくに花火の色が映ったのかと、そのまま見すごしていたのですが、やがて、紅の飛沫は益々はげしく降りそそぎ、彼自身の額や頬にも、異様の暖かなしたたりを感じて、それを手にうつして見れば、まがう方なき紅のしずく、人の血潮に相違ないのでした。そして、彼の目の前の湯の表に、フワフワと漂うものを、よく見れば、それは無慙に引き裂かれた人間の手首が、いつのまにかそこへ降っていたのです。
北見小五郎は、その様な血腥い光景の中で、不思議に騒がぬ裸女達をいぶかりながら、彼も又そのまま動くでもなく、池の畔にじっと頭をもたせて、ぼんやりと、彼の胸の辺に漂っている、生々しい手首の花を開いた真赤な切口に見入りました。
か様にして、人見廣介の五体は、花火と共に、粉微塵にくだけ、彼の創造したパノラマ国の、各々の景色の隅々までも、血液と肉塊の雨となって、降りそそいだのでありました。(「パノラマ島奇譚」)