★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

語り手というイデオロギー

2018-11-24 23:53:46 | 漫画など


昨日、「戦中・戦後のくらし 香川展」と、「平和祈念展in高松」が、瓦町FLAGでやっていたので観てきた。そのとき、平和記念展示資料館のつくった二冊の漫画をもらったので読んでみた。満州からの引き揚げを描いた『遙かなる赤い夕陽』とシベリア抑留を描いた『シベリアからの手紙』である。

内容についても言いたいことはあるが、わたくしが気になったのは、その語り――、子どもや孫世代たちが、戦争体験者の手記や手紙を読むという形式である。これは現在の大人や子ども達を語り手(ならびに読者)にすることで読者をあらかじめ作中に引き入れてしまうという小説でもよくある詐術、いや手法と言うだけではない。読者の反応をあらかじめ書き込んでおくという装置である。すなわち本質的には誘導装置というよりイデオロギー装置である。「三丁目の夕日」や「永遠の0」、「小さいおうち」などで使われたのが記憶に新しい。

八十年代以降の語り論の隆盛は、文学研究の発展という意味合いだけでは説明できない。近代の相対化という、近代を内部から越えるということの断念でもあり、ある種の過去からの逃避である面が確実にあったような気がする。当時を想起してわたくしはそう思うのである。本当は、近代小説の語りは、語りの内部の相対化ではなく、もう少し具体的な感情の発露であって、どうも太宰の「人間失格」なんかが戦後に書かれたころから、手記を紹介する語り手が所謂「立ち位置」的な何かに変化しているのかもしれない。無論かなり前からそういうものはあったが、――戦後になってからは過去を振り返ることに個人以外の罪障感がつきまとうようになる。戦争のせいである。太宰は、「人間失格」や「パンドラの匣」を「道化の華」のスタイルで書くべきであったような気がするが、そうなるとそれは反省のリアリズムではあろうが、反省をしていないようにみえるので都合が悪いのだ。

わたくしは、戦争を記憶の伝承とかの、コミュニケーションの問題にしてしまうのには以前から反対である。

わたくし自身は、高松市の神社巡りをやって、文化的な愛着というよりなんとなく空間的な愛着が湧いてきてから、高松空襲の写真が身に染みるようになったから、問題は、コミュニケーションではなくリアリズムを整えることだと思わざるを得なかった。


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