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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

花★海の弁財天を訪ねる(香川の神社211)

2020-07-04 16:42:32 | 神社仏閣


屋上にあったりする神社は数知れずですが、花★海では入り口の脇にあります。



平成二年に建てられた鳥居。令和二年がこんなことになるとは思ってませんでしたな……。日本の神様は金儲けもいいですが、いろんな意味でちゃんと働いて欲しいですね……。寝てるんでしょうか……。わたくしも昨日と今日はたくさん寝てしまいました。



後ろの建物と本殿の屋根の色が一緒ですね。このあたりは、寺とかも重要なものが多いし、ありがたさに合わせたのであろうか……。違うか……。ここの食事と温泉はいいですよ。

伏石神社横の観音堂を訪ねる(香川の地蔵49)

2020-01-02 23:21:08 | 神社仏閣


この観音堂は、伏石神社の横にあって、もともと神仏分離の前は伏石神社のなかに一緒に祀られていたものである。由縁を書いた碑によると、明治二年に多肥西村の庵に移動した後、明治十年に前川八百造宅に移る。碑では、前川氏が毎日「白衣に紺色の袴をつけてお給仕をしていた様子」を記している。明治四十四年、溝渕氏が観音堂を個人で建立する。ちなみに、明治四十四年は、有島の「或る女」とか谷崎の「少年」の年だけれども、西田幾多郎の『善の研究』とか生田長江の『ツァラトゥストラ』の翻訳の年でもあった。昭和50年代に入って修繕。ちゃんと調査したら、江戸時代初期から元禄、江戸末期と幅広い時代のものと判明したそうだ。

となりの伏石神社も、日露戦争後にいろいろな塔や碑がにょきにょきと建っている。近代文学も明治40年代に爆発的に今の形を整えたが、ほかの文化もそうだったのかもしれなかった。

豊玉姫神社を訪ねる(香川の神社206)

2019-10-19 18:09:14 | 神社仏閣


豊玉姫神社は男木島。最近は猫と風景でちょっとした観光スポットになっているようである。



神社は山の急斜面にある。もっとも、この島の家はみんな急斜面にあるのだが……。参道を登ってゆくと、左手に落下しないように縛り付けられた「出征紀念」の碑がある。助役の名前が最後にあって、彼が世話人になって建てたのかと推察される。



その上には、鐘楼。神社に鐘楼はおかしいとかもう思わなくなりましたね。もともと神社が仏堂を真似てんのかもしれんしね。『神社誌』をみたら、この神社について「別当長寿院神職三宅云々……」という記述が『玉藻集』にあるらしいですね――



拝殿。拝殿の正面には、男木中生徒会による「豊玉姫神社」の説明が掲げてありました。これによると、山幸が針を落っことしたのが大槌と小槌の両島の間だそうである。つまり……あそこあたりか



鳥居の向こうに二つ小さい▲の島が二つありましょう。あれが鳥居扱いにもなってるらしくて、山幸が針を落っことした海の地点から境内までが参道なのである。長いなあ……。というか、山幸は慣れないのに、沖まで出てんじゃないよ。ともかく、困っている山幸に竜神が「東に島があってそこに釣り針があるよ」と言ったので、男木島に上陸したのです。そりゃあるだろう、島なんだから。――それはともかく、すなわち、――間違えました。山幸は男木島から沖にでたのではありません。どこか遠くから漂流してきていたのです。どこから来たのか知りませんが、さすが海のでかさを知らない山幸です。川だと思って油断したのではないでしょうか。

 

狛犬さん。



本殿。



境内社。



名物猫。スフィンクスのごとし。


女木島の住吉神社を訪ねる(香川の神社205)

2019-10-18 23:02:32 | 神社仏閣


住吉神社は女木島。鳥居には「住吉太神宮」とあり。

この神社はこのお祭りで有名。

女木島 住吉神社大祭 @住吉神社


神輿まくりじゃないかっ

既に八幡と元宮社で記したように、神功皇后が「三韓征伐」のときに嵐に遭って女木島に寄って無事を祈念したという。「三韓征伐」自体が、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神が皇后に神がかりして「俺たちを祀れば熊襲なんてほっといて三韓はすぐ降伏だ」とかなんとか言ったので行われたのだ。最近なんかもたぶん政府のいくらかは神かがりして「セクシーとは魅力的である」とか言っているのであるが、それはともかく、「三韓征伐」が熊襲殲滅よりセクシーだと思われたのであった。(たぶん、どっちも自信がなかったとみた……)この三神は、イザナギが黄泉国の汚れを禊ぎしたときに、瀬の深いところ、中間、表面から生成されたのであった。確かに、水の恐ろしさは、深さが分からないところがある。海が荒れてるというのは、表面なのか、深さからなのか……。よく分からんが、これは、津波の場合と嵐の場合の双方を考えていたことになるのではなかろうか。たぶん違う。我々の意識のなかには、こんな海のような二枚舌的なものがあるのではなかろうか。二枚舌というのは、恐怖がそのひとにとって二回あったのだと思う。



拝殿。

 

陶器狛犬さん。



本殿



『香川県神社誌』によると、これは猿田彦神社である。明治四四年に合祀。八幡も、境内社が合祀されたのは四四年であった。『善の研究』の頃である。漱石も博士号を辞退した。鷗外は「妄想」で海をぼーっと眺めていた。

その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、刹那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々たる目が大きく睜られて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。

これは走馬燈ではない。海の深さみたいなものを拒否した、「思想」の時間なのである。