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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

宮前地蔵を訪ねる(香川の地蔵27)

2023-01-10 18:55:55 | 神社仏閣


木太町亀池近く。お地蔵さんというのは実によい御顔をしていることが多く、普通に会いにいけるアイドルよりもいい。三次元なのに動かないのもよい。日本の面食い文化は地蔵文化の影響であろうか。地蔵の近くに住んで地蔵を守って生きてゆくのはよい生き方みたいな、そんな倫理を体現する人間がたくさんいたと思うのだ。それがいまはアイドルに化けただけではなかろうか。

「前*+★はキリストを超えた」という本があったけど、実に西洋崇拝であった。アイドルファンである自らの位置づけがいまいちだったのは当然である。*田敦★は地蔵を越えた、いやおれたちはんぼの脇の地蔵をアツく守りぬく、れだけでよかったのである。

水無神社と伏石神社に初詣に行く(長野の神社7ー4、香川の神社2-14)

2023-01-03 23:19:08 | 神社仏閣


木曽の水無神社は、朽ちて行く建物が人々の記憶をも終わらせようとしているみたいなところがある。前近代の本殿にくわえて、木曽氏の宮や、戦争の忠魂碑、戦死者(柱)を集めた木曽の宮が、樹齢何百年かしらん大木ととともに周りを取り囲んでいる。ここでは前近代とともに近代も終わっている。考えてみると、こういう田舎ではもともと時間は常におわりつつあり、それを忘れかける人々に対して、神輿も夏に転がされ、境内に野ざらしにされ、冬に一部焼かれる。こういう神輿のある神社では、木曽宮に祀られる戦死者もそういう円環の中にあるのかもしれない。未来にのびて行く近代的人間主義はノイズであり、明治以降も木曽の人々は、壊される神輿を見ながら、ひいては朽ちて行く神社にも人々は意味を見出していたんじゃないかとも思う。いまも、朽ちて行く神社に村落の死みたいなものを見出す廃村探検家多い。死に意味を見出すのは我々のいまだ生きる意味になっている。持続可能性ではなく、持続不可能なことの意味を考えない社会は人間社会とはいえない。

 

神輿の残骸を一年間野ざらしにしておくことが何か意味深に感じられたのであった。



もっとも、わたくしも子どもの頃は壊される神輿ではなく、大騒ぎの象徴が神輿であった。下は小3の私がみた神輿の世界である。



香川の伏石神社にゆくと、まさに近代が進行し新しく建てられた神社である。樹木も植え直され、切り倒された一部は、表札として頒布されていた。日露戦争の紀念の石柱や軍馬の像とともにいまだ近代は侵攻中である。神社は新たなに作り直されるのが本質であるという説に従うなら、これこそ神社である。あまりにきれいすぎて朽ちてゆくのが想像できないから――木曽の円環して終わって行くなにかは終わってしまっているような気がしてくる。

 



加速主義的狸は、他を抜きすぎて金に溺れている。しかも一円が多い。倹約が他を抜く精神を加速させる。

清明社を訪ねる(長野の神社2-1)

2023-01-01 23:14:05 | 神社仏閣


大みそかには上の段の清明社を再訪する。





木曽はビルらしきビルがないから、神社仏閣がまだまだ町のなかで大きい体で存在を示している。こんな小さい神社でもなかなかのものと思えばなかなかのものである。彫刻が素晴らしいですね。

昨日車内で聞いた寝覚ノ床の説明では言われていなかったが、浦島太郎の晩年、寝覚ノ床が彼の終の棲家であったのは有名である。しかし、そう簡単にいわれてもこまるのは、こんな寒いところでしかも川べりで浦島が耐えられたとは思えないのだ。木曽町が死に場所だったといわれている安倍晴明もおなじではないか。安曇野にもいろんな海に関わる人たちが流れてきて、そこに故郷と神を見出したみたいな話を聞くが、あそこもそこそこ寒いと思う。後世のロマンに対して、流民たちは寒さに震えて多くが死んでいったに違いない。

菊王丸の墓を訪ねる(香川の神社220)

2022-09-04 22:22:03 | 神社仏閣




能登殿、其処退き候へ矢面の雑人原、とて差し詰め引き詰め散々に射給へば矢庭に鎧武者十余騎ばかり射落さる、中にも真先に進んだる奥州佐藤三郎兵衛嗣信は弓手の肩を馬手の脇へつつと射抜かれて暫しも堪らず馬より倒にどうと落つ。能登殿の童に菊王丸といふ大力の剛の者萌黄威の腹巻に三枚甲の緒を締め打物の鞘を外いて嗣信が首を取らんと飛んで懸かるを、忠信傍にありけるが兄が首を取らせじと十三束三伏よつ引いてひやうと放つ。菊王丸が草摺の外れ彼方へつつと射ぬかれて犬居に倒れぬ。能登守これを見給ひて左の手には弓を持ち右の手にて菊王丸を掴んで舟へからりと投げ入らる。敵に首は取られねども痛手なればや死ににけり。


源氏軍の佐藤嗣信を、平教経(能登殿)が射貫いた。この人は清盛の甥である。で、教経の雑用係であった菊王丸という怪力少年(18?)が嗣信の首を取ろうと飛びかかると、嗣信の弟・忠信がそうさせじとこれを射貫いた。

この佐藤嗣信の墓は、安徳天皇社のちょっと北の方にあるのだが行きそびれた。ちょうど安徳天皇社を真ん中に合戦のあった海にむかって鳥が羽を広げるように左手に佐藤の墓、右手に菊王丸の墓がある。平家物語によると、佐藤嗣信は、義経を狙った平教経の矢にあたって死んだ。彼は奥州から義経についてきていた人物で、討たれても簡単にはくたばらず、ベルディのオペラなら軽く10分程度は、義経の胸の中で歌っていたでもあろう。

就中に、 『源平の御合戦に、奥州の佐藤三郎兵衛嗣信といひける者、讃岐国八島のいそにて、主の御命にかはり奉ッてうたれにけり』と、末代の物語に申されむ事こそ、弓矢とる身には今生の面目、冥途の思出にて候へ」


これに比べると「犬居」の姿勢で討たれてしまった菊王丸の哀れさよ。能登殿は咄嗟に右手で菊王丸を摑んで舟のなかに放り投げる。こういう、死ぬまでの二人のコントラストが劇的にできている「平家物語」は、もちろん勝者と敗者の二者に死者が跨がっているからそうなっているのである。事実はどうであろうと、地元の人々は、佐藤殿も菊王丸も墓をつくらざるを得まい。その間に安徳天皇をまつりながら。天皇は、死者たちを跨ぐ要の死者である。

安徳天皇社を訪ねる(香川の神社219)

2022-09-04 19:26:51 | 神社仏閣


もと「壇ノ浦神社」。寿永2年、ここに京から遁れた安徳天皇の御所が置かれたという。『香川県神社誌』には、「讃州府志」を引用し「土人こゝを内裏と呼ぶ」とあり。







周辺にあった、平氏の死者の墓を集めたものといわれる。



本殿。

訪ねて分かったのだが、ここはなかなかの眺めのよいところで、――屋島の古戦場というのは、屋島の山腹からみると屋島と牟礼の間の湾自体、恰も海の京都という感じがある。安徳天皇が入水した壇ノ浦はむろん別の場所であるが、「海の中にも都はありましょう」という女人の言葉は、なんとなく古戦場を上から見ているとそんな気もしてくるから不思議である。

「君はいまだ知ろしめされさぶらはずや。前世の十善戒行の御力によつて、今万乗のあるじと生まれさせたまへども、悪縁に引かれて、御運すでに尽きさせたまひぬ。まづ東に向かはせたまひて、伊勢大神宮に御暇申させたまひ、その後西方浄土の来迎にあづからむと思しめし、西に向かはせたまひて御念仏候ふべし。この国は粟散辺地とて心憂き境にてさぶらへば、極楽浄土とて、めでたき所へ具しまゐらせさぶらふぞ。」

 と、泣く泣く申させたまひければ、山鳩色の御衣にびんづら結はせたまひて御涙におぼれ、小さくうつくしき御手を合はせ、まづ東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させたまひ、その後西に向かはせたまひて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱きたてまつり、

「波の下にも都の候ふぞ。」


鳥居の右端には壇ノ浦養豚組合による「支那事変紀念」の碑があり、前面の鳥居も昭和13年のものであった。戦争は昔の戦争にも碑によって繋がっている。しかしほんとにつなげる必要はなかった。そして、戦われたのはもっと広い海でのことであった。

大島神社を訪ねる(香川の神社218)

2022-09-03 01:52:42 | 神社仏閣


大島は、島の中央に宗教施設が集合している地帯があって、大島神社の背後に歴史的な建造物であるキリスト教会があった。その背後には八十八カ所巡りの縮小版地帯が広がる。大島でみるべきは「空間」的なものである。個々の芸術作品は島の空間と歴史と直截に繋がっている。もはやそれは空間ではないが、そこに島にあったであろう出来事や我々の人生さえ繋がっているからである。しかし、それがさしあたり「空間」として存在していないと認識の発火点たり得ないということが、我々の認識の不幸を示している。東浩紀の福島観光地計画とか、アウシュビッツなどすべてに関聯する問題である。よく言われることであるが、二十世紀の悲惨さは、芸術がもう単なる鑑賞の「対象」物ではなくなるほど、映像や文字が悲惨さを我々の生きて居る空間を覆ってしまったことにある。だから、発火点となるモノを嫌う人たちも一定数でてくる。これは宿命である。

木太町の新開神社を訪ねる(香川の神社217)

2022-01-14 23:36:55 | 神社仏閣


新開神社は木太町。案内の碑には「住吉神社」とあり。香川県神社誌には「保食神」とある。



立派な樹木が護っている。



小さい神社のなかでは立派な造りの方だと思う。ちゃんと今でも人の手が入っていることが分かる。



こういう風にみれば、昔の世界に行くようです。日が翳ってきました。