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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

妬神社を訪ねる(兵庫の神社2)

2024-02-12 23:55:01 | 神社仏閣




観光客や湯治客の一瞥に堪えているお宮で、人妻が夫の愛人を×し自分も深い温泉に身を沈めたというのだ。というわけで、きれいな女性の盛装をみると沸くとか、自分の醜い心をけなすと沸くとか、――まるで、ネット上の言論のようである。あまりに沸騰し過ぎたせいか、いまは枯れているという。

レスコフの「マクベス夫人」でさえ、夫の浮気に激怒して、その恋人を自分と一緒に極寒の川に沈めたが、ここまで水が意志をもつことはなかった。ソ連では、極悪人の親玉が死なないと雪も溶けない。わが国では、だいたい定期的に山が動いたり海や川が押し寄せてきたりする。上の温泉が涸れたのも、共産主義の鳥居をつけたからではないのか。

増富稲荷神社を訪ねる(兵庫の神社1)

2024-02-11 14:58:07 | 神社仏閣


以前、有馬に行ったときにたずねた。明治四〇年(一九〇七年)誕生、祭神は大欲望系「増富稲荷大明神」。戦争に勝つ、儲ける的な意味で、近代日本の勢いが感じられる。ネットで過去の写真をみてみると、だいぶ赤い鳥居が「増」えているようである。この勢いで往くと、周りにある秀吉関係の像のあたりまでこの神社の圏内に飲み込まれるのではなかろうか。



本殿。


雨の和霊神社を訪ねる――香川の神社(43-2)

2023-11-17 23:14:14 | 神社仏閣


坂出で仕事があったので帰りに和霊神社に寄ってみた。雨が降っていた。



神社には全てではないが、いろんなものに屋根がついている。雨が降っていると、たしかに雨からいろいろ守られているのが分かるのであった。



鳥居は雨が降っていると雨宿りもさせてくれない。これは晴天用だ。

旭大明神を訪ねる(香川の神社224)

2023-06-03 19:31:16 | 神社仏閣




旭大明神は紙町。アパートと住宅に埋もれるようにひっそりと。

由縁の碑によると、この地に高松市で教師をしていた藤田さんというひとが退職して移ってきていたのだが、昭和三年、これより少し北に走る琴平街道の工事の時に、川原から石棺が見出され、そこから白い蛇が出てきたので、霊験あらたかということになり、藤田さんちの鎮守として祀ったということである。金比羅信仰はインドの水の神クンピーラからきているというが、蛇なのである。このことと関係あるかわからないが、近くの御坊川も琴平街道も、出てきた蛇も総じて水の流れのような何かで、香川にとってはまさに命そのものである。石棺からでてきた蛇というのもいい。死からの復活を示しているようである。金比羅(琴平)街道を通る人たちはみずからが水となり、生となって歩んだにちがいない。いや、そうばかりとはいえないのだ。

数年前、弟が出征したとき、母は、武運長久の願をかけに、山口からわざわざ琴平詣りをした。五月雨のころであった。父にあたる人は七年来の中風で衰弱が目立っていたから、母の琴平詣りも、ほんとうの願がけ一心で、住んでいる町の駅を出たのは夜中のことであった。私がお伴をして、尾の道で汽船にのった。尾の道と云えば「暗夜行路」できき知った町の名である。町を見る間もなく船にのりこみ、多度津につくやいなやバスにつみこまれ、琴平の大鳥居の下へついたときには、かなりの雨になった。
 番傘を、下から煽る風にふき上げられまいと母の上にかざして何百段かの石段をのぼりつめたとき、更に高い本殿まで昇って椽側に腰をおろしたとき、私のこころは憤りでふるえるようであった。子を無事にかえしてほしいと思う母親、許婚の命があるようにと願う若い女。本殿のところに腰かけてみていれば、降りそぼつ雨にうたれて、お百度をふんでいる人さえある。せまい陰気な雨の境内は人ごみで雑踏し、賽銭をなげる音がし、祈祷の声がする。切ない心で諸国から集ったこれらの人々が、みんなあの幾百段をのぼって来ている。信仰の勿体なさを深くするため、印象づけるため、すべての流行する信仰建築は、きっとこういう途中の難関を計算に入れている。善光寺の山門までの長い単調な爪先のぼりの道中は何のためだろう。いじらしい人間の心を食い、無事息災をいのる心でたつきを立てるならば、せめて、年よりの足にたやすい方便を考えてもよいだろう。こういう願かけに、義弟の尊い生命の安危をたくしかねる私の心は、素朴な憤りにふるえた。こういうあわれな仕草で、自分の思いを表現するしかない人民の立場、しきたりが心に刻まれたのであった。
 そういう憤ろしい思いで雨の中をのぼり下った琴平の大鳥居の下に、こういう小道や公会堂があって、暗いやるせない信心とはまるでちがう新しい気運が、そこで開かれている会合で活溌に表現されている現在が愉快であった。こういう著るしい歴史の対照のもとで、琴平の町が私の生活に再び登場して来ようとは思いもかけなかった。そういう心もちは、琴平の裏町のこまやかな風景をすなおに私に感じさせるのであった。


――宮本百合子「琴平」

石清尾八幡宮の市立祭を訪ねる(香川の神社109-9)

2023-05-03 23:49:46 | 神社仏閣


石清尾八幡の市立祭である。



わたしは木曽の水無神社に頼みごとに行ったりして育ったけど、あの神社は神木のような巨大樹の中に埋没している神社なので、それが防風林になり案外風の音が聞こえない。ここの石清尾八幡は山体に沿って剥き出しになっている。だから、神事をしているときに、風が巻いたり立ったりするかんじがあり、雅楽や祝詞が風に舞っている感じがする。昔は非常にある種人口的な妙な雰囲気を醸していたに違いない。昔は海岸ももっと近かっただろうから潮の匂いもしたかもしれない。

室町時代、管領の細川頼之が戦勝奉賽祭にともなって社殿を建てたので、それを契機に4月3日にお祭りをおこなうことにし、そこで農道具や植木の市が立ったそうなのである。だから「市立祭」と言うらしい。

いまでは、非常に長い参道(八幡通)が歩行者天国となり、いろんな催しがおこなわれている。今日は、綱引き大会とか、国分寺太鼓演奏とか、今年は吉田亜希氏などのパフォーマンスもおこなわれていた。最近は水無神社の祭もそうだけど、外国人も混じった雑多な空間ができあがっている。

ところで、今日の神事をみてておもったが、地元の有力な人たち?から捧げられていたおいしそうな食べ物、もし、木曽の水無神社であったら、周囲の山猿集団の襲撃をうけてしまう気がした。高松の山にも猿はいるんだろうけど、まだ神社に集う人間の数が多いので大丈夫かもしれない。思うに、昔のお祭りはまわりの動物に対する威嚇みたいな意味もあった気がするんだな。。火を炊いて大騒ぎしてね。。

囚人墓を訪ねる(香川の地蔵30)

2023-03-03 17:14:46 | 神社仏閣


詰田川。これは雨の時には水位上昇が心配だ。。



。。。。

わたくしの田舎にも近くに刑場や火葬場、牢屋などがあった。関所があったから、関所破りをした人間が逃げたところをどうした、みたいな場所もあったであろう。上の段地区なんて、山城の工夫なのか、関所破りで罪人が迷うようになにかわからんが、曲がりくねっており、待ち伏せして罪人を切り捨てたり捕縛する仕組みである。藤沢周平の小説なんかだとわが八沢地区はちゃんばらの舞台だ。

われわれの先祖たちは、罪人たちと死体と共存してきた。



案内板に曰く、

宝暦年間、役人が囚人を連れて刑場へ向かう途中宝蔵院渡し(高徳線鉄橋付近)を渡り対岸に着いた時囚人が逃げ出したので、役人が追いかけて切り捨てた。これを知った村人が囚人を哀れんで、お地蔵さんを建てて供養したものと伝えられている。

と。いまでも新開西地区の十五軒の人々が盆供養するという。

 

宝暦十一年辛巳 木太村 三界万㚑 念仏講中 十一月□日 
世話人 好太郎 与助 弥右衛門 恒次郎