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「真面目」 心と器 8

2008年08月14日 | 前ブログ 心と器シリーズ

連載8回目です。

前回記事「引き算」 心と器 7 


さて、ここまで「心の病」になる人の、「負」の部分にスポットを当ててきました。

今回は、違った内容で攻めます。

 

というのは、

今の時代、真面目に生きてりゃ、「心も荒むさっ!」って事。

今の時代ね、少々「鬱な状態」になる位の方が人として正常な感性なのかも知れないって事なんですよ。

いい共通点としてね、

とにかく真面目なんです。○○がつく程。


ここで私が言っている「被害者意識的経験不足による思考の偏り」にも、私の見解としては3パターンありまして。

1・「ペルソナ人格(仮面型)」

常に演じていて、仮面ばかりの人で、どれが本当の自分かわからなくなっている。

仮面を被り過ぎて本当の自分を出せなくなっているような方を指しています。

このような方は、元々他人の目を気にし過ぎる傾向があって、それを演じ過ぎるがあまり本音と建前の区別が、本人でさえ分からなくなってしまう状態です。

しかし、これは「他者に不快感を与えてはいけない」という気持ちが強いからであって、それは他者にとても気を遣える優しい真面目さです。


2・「貪り人格」

これは、自分がどんなに非常識であれ、どんなに一般レベルよりスキルが劣っていても、自分と世間とを同列に比較出来ない。

自分が世間一般より非常に劣っている事実、経験不足な事実はさておき、自分の現状がどうであれ、自分が思った事、自分がやりたい事を突き進んでしまうといった方です。

誰でもね、自分が一番大事なんですよ。

それは、どんな人であれ、変わりのない事実。

自分の感じた事、自分が思った事、自分が考えた事が、一番率直で素直な意見なんです。

それが自分にとっては一番正しい選択で、それ以外に考えられなくなっているだけです。

それも言い換えればとても「自分に正直な」真面目さです。

そこまで自分に正直に生きれたら・・・と羨ましくもなったりしますね。
(普通は出来ませんけど 汗)

しかし、自分の思いにだけ正直では、世の中のルールと反する事が出てきてしまいます。

それを無視し、自分だけの思いを突き進んでも、後でロクな事にならないのはこれまでに述べてきた通りです。


あと、このパターンの人に「理想貪り人格」というのも入ります。

「こうしなければいけない」とか「こうあるべき」を優先するが余り、自分の力量を棚上げし(忘れ)、自分の出来る「器」を越えてしまっているのに、それに気付かず、「こうしなければ・・」という事をやろうとします。

それは、とても危険です。
以前の「理解」心と器 4 の中でなるきっかけ例の 10・突発的 という原因と間違って(勘違い)しまう場合があるからです。
何度も書いてる通り、本人にいろんな「きっかけとなる原因」が分かっていないと治りにくいからとても危険なのです。
それは、考えている事は「こうしなければ」という「理想」であり「あるべき姿」だから、自分は間違っていないという意識が強いので、自分に原因はない危険な勘違いを起こすからです。

しかも、器を越えてしまっているので、「あるべき姿」の前に、基本的なもっと「当たり前」の事が抜けてしまっている(欠落)事が往々にしてあります。

それに本人は気付かないのですから痛いです。早く周りが気付かせてあげる必要があります。

この場合も、「こうしなければ・・」という「あるべき姿」を追い求める真面目さが障害になってしまっています。


3・「貪りペルソナ人格」 要するに1と2の複合型です。

これが一番やっかいです。そしてこのパターンが一番多いように思います。

常に外面(ソトヅラ)は良く、他人に好意的に見えます。

しかし、内面は「貪り人格」そのままで、外と内のギャップに心が悲鳴を上げ、外面を保とうと必死で情緒不安定な状態の方です。

そして、最後には当然内面の貪り人格が勝ってしまい愚業を犯します。

それを見た周囲は、それまで「演じていた外面」とのギャップに驚き、一挙に遠退く人も出ます。

すると、それに気付いた本人は、ある意味「人間不信」になり、人を信頼とか頼るとかを更にしなくなります。

しかも本人もそれを自覚していたりする為、それを悟られまいと余計に外へ自分の感情を出せなくなって、そのギャップに、自責の念で自分が嫌になり、最も悪循環のパターンにはまってしまいます。

これも、ペルソナの真面目さ、貪りの「正直」という真面目さが障害になってしまってます。

 

このように、基本、凄く真面目なんです。

今の時代、情報が入り乱れ、世代が入れ替わり、

世代の移り変わりと共に「人の考え方」や「守るべき普通」も、商品の様に「多種多様化」してしまっています。

「普通」がどれなのか?

どれが正しいのか?

本当に混沌とした世の中になってしまっています。


そんなこの時代に「生きる」という事は、ある意味真面目ではやっていけないのかも知れません。


それほど、

日本人全体の心は、大気不安定の空模様の様な情緒不安定になっている気がします。

そんなこの時代、真面目に生きてたら心も病み気味になっても当たり前って事です。


でも、そういう時代のこの日本に生きてるのですから、泣き言ばかりは言ってられませんね。

真面目過ぎるんですよ、そういう方って。

ただね、少し不器用なだけ・・・。

少し真面目過ぎるだけ・・・。

少し真面目に考え過ぎるだけ・・・。

それだけなんです。


綺麗だけじゃ生きられない。

過去記事「汚さ」


悪も善の一部。

過去記事「悪も善」


 

真面目にも時と場合。


人間、最初っからダメな生き物なんですよ。


それを知って、それを認めて下さい。

 

真面目なのが決していい事ではないよ(笑)


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