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「養老孟司」

2008年08月14日 | 前ブログ フォーカス27「時空の先」

「さすが、素晴らしい!」

 

これは、もやもやしていた「温暖化論争のヒートアップ」についてすっきりさせてくれた記事です。

さすがです!

石油問題の?ウソの顔?:養老孟司(東京大学名誉教授) (1)(Voice) - goo ニュース


特に共感や面白い所を抜粋

「アノー」と私は小さい声でいいたい。石油はどうなりますか。経済は大丈夫でしょうか。テレビ局や新聞の皆さんの給料は当分は保証されるし、大臣や官僚は絶対に大丈夫でしょうが、イカ釣りだけじゃない、農業を含め、燃料ギリギリでやっている業種はどうなりますか。
車がないと暮らせない田舎はどうしたらいいんでしょう。あれこれ手を打ったほうがよくないですか。運送費は上がりつづけるはずですが、物流をどう合理化すればいいのでしょうか。何か私にできることがありますか。

現在の原油高が続けば、あるいは下がっても高止まりするなら、必ず不景気になる。不景気下の物価上昇、つまりスタグフレーションである。そこでは省エネは掛け声ではなく、たんに実質的な生活上の問題となる。つまり官民挙げて大声で省エネを説教する必要が、どこにあるのか。

あはは(笑)その通り!


大切な姉が肺ガンで死んだことについて、ゴアは姉の喫煙が原因だという医師の説明を無条件で受け入れる。ガンの原因がそれほど単純なら、とうの昔にガンの予防は終わっているはずである。私は因果関係に関する、現代人のはっきりいえばアホさ加減が、ほとんど我慢ならないときがある。

私も我慢なりません(笑)


私がいちばん問題を感じるのは、ゴアにとってたいへん良い姉だったことについて、タバコが貢献した可能性を、ゴアが一顧だにしていないことである。「あの人は酒を飲まなければ、いい人なんだが」という表現を考えたらわかるであろう。
酒を飲むことはその人の一部であって、飲んでストレスを発散するおかげで、飲まないときには、いい人でいられるのかもしれない。
おそらくゴアのような家族に囲まれていた姉にとっては、タバコでも吸わなきゃ、やってられなかったのであろう。それが無意識にわかっているからこそ、ゴアはタバコを目の敵にしたのかもしれない。姉の死は自分のせいじゃないよ、と。


タバコを吸うのも、酒を飲むのもその人の全部の中の一部だ!
「タバコ」とか「酒」とか物質そのものに無意味な「原因」を転嫁したってどうなるもんでもない!
いい加減論点のすり替えを辞めてくれませんか?世論さん!


物理的な世界では、因果関係は単純である。石油は使っていれば、やがてなくなる。そんなことは、小学生だってわかる。しかし人の身体というシステムは、物理学と同じような自然科学の対象であっても、その複雑さは言語に絶する。それは必ずしも話をごまかすためではない。人体を構成する細胞は10兆の桁に達し、1個の細胞に含まれるタンパクの種類は2万といわれる。そうした構造が「生きて動いている」ことを、どう「説明」すればいいのか。そこに、ある特定の化学物質を放り込むのがクスリだが、その結果何が起こるか、どこまで正確に説明が可能だと信じているのだろうか。科学と政策の関係を私が憂慮するのは、そうした基礎的な点について、科学者のあいだですら、一般的な合意がないことを知っているからである。

う~~~ん!! 全くその通り!すっきり!


「俺たちはやってもいいが、おまえらはやるな」。欧米の心理はそれであろう。それには産業革命以来のいわゆる近代文明、私が石油文明と呼ぶものを創り出したのはわれわれだという、暗黙の矜持があるに違いない。アジア人なんて、真似しているだけじゃないか。

欧米野郎の考えてる事はそんなもんだと思ってます、私も。
話は少しそれますが、
皆さんご存知のドイツの自動車会社「メルセデス」。
こいつらと直接話した事ありますか?(ヤナセじゃないですよ)
奴ら、日本人なんてもの凄く見下してますよ?
お前ら「猿真似民族のくせに偉そうに我会社に文句つけるな!」って態度ですよ、露骨に。
日本では有り得ない程の低俗な故障ばかり頻繁にする車作ってるクセに!
「お前らこそ偉そうに世界を牽引してる様な顔すんな!」って言いたい。


それなら洞爺湖サミットとは何だったのか。日本の立ち位置はどこなのか。先んじて欧米化したアジアの国として、中印にどんどん「発展」せよというのか。欧米の本音のように、おまえらの発展なんて、迷惑だからやめろというのか。いったいどっちなのか。

どっちなんでしょうね、顔色伺いの福田さん?


日本政府の言い分が、日本人の私にすらわからないんだから、諸外国にわかるわけがない。そこをいわずにごまかして通るほど、世界という世間は甘くない。

そうだ!そうだ!


世界の炭酸ガスを増やすのに寄与しているのは、この日本国ではない。大排出国は米国、中国、EU、インド、ロシアなどであり、そこの炭酸ガスが減らなけりゃ、実際の効果はない。日本人が全員息を止めて死んでしまっても、炭酸ガスの5パーセントも減らない。 
じゃあどうすればいいのかって、もともと自分の問題じゃないものまで自分の問題みたいな顔をしたがるから、訳がわからなくなる。
日本の寄与率の範囲で行動するしかない。本気で2050年までに日本が半減するというのなら、結構なことである。ただし不言実行。しかも実行したとして、日本だけなら、世界の炭酸ガスの排出量の2パーセント減程度にしかならない。「あとは知らないよ」とはっきりいうべきであろう。


そういう事です! スッキリ!


温暖化ガスは石油によるだけではないが、ともあれ、わかりやすいように、50年後の石油半減をめざす。簡単じゃないですか。
それで困るのは誰か。私にはわからない。年に1パーセントは大きな数字ではない。それでもかなりの実効があるはずである。どうせ石油は10年以内にピークアウトするのだから、もうピークアウトしたものとすればいい。
それなのに、消費をあれこれ制限しようという「精神運動」を始めた。いったい石油の使い道って、どれだけあるのか。小さくは宅配便からジェット燃料まで、電気からプラスティック製品まで、考えただけで気が遠くなる。それを「節約せよ」って、アンタ、どこまで本気か。総量制限をかけなかったら、私が節約した分を、誰かが「いいように使ってしまう」のを、どう防ぐのだ。インド洋で使ってしまうかもしれないじゃないか。

(笑) そういう事!


臭いにおいは、本から絶て。サミットでなぜそういわなかったのか。
石油問題について、私はまったくの素人である。でも「本を絶つ」のが、いちばんもっともな解答じゃないのか。それをやらないについては、やらない理由があろう。だから右に述べたように、「節約せよ」と説くだけが目的じゃないかと疑う。節約せよという相手は、それなら消費国に決まっている。当面は中国とインドだし、日本もオミソで入っているかもしれない。おまえらは二流市民なんだから、我慢すりゃいいだろ。それが本音だろうと私は思う。
そもそも欧米人くらい、いわば手前勝手な人たちが、本当に地球が危ないと思うのなら、「本を絶つ」という手に出るはずである。どう考えたって、それがいちばん確実でしかも単純なんだから。
それでも石油を増産する国には、イラクと同じで「侵攻」すればいい。大量破壊兵器でも何でも、理由はいくらでも付けられるであろう。あとで「そんなもの、ありませんでした」で通る世界である。
しかもそれによって、産油国も石油会社も得をする。石油のピークアウトは遠のくし、どうせ原油価格は上がるのだから、当分は困らない。
それどころか、エクソン・モービルなんて、会社として米国史上最高の利益を出している。イカ釣り漁船の補償は、石油会社にしてもらったらいかが。

そうだ!その通り!

何より不思議なのは、温暖化狂奏曲のなかで、「本を絶て」という意見が出ず、それがなぜかという質問も、当然出ていないことである。サミットに世界中から偉い人が集まるなら、どうしてそれが出ないのか。NHKの委員たちはどう思っているのか。
そこに暗黙の了解があるのなら、それが何か、メディアに教えてもらいたい。もしそれがないというのなら、現在の温暖化キャンペーンはデマゴギーだと断ずるしかない。

そうだと思ってます私は、とっくに!


省エネを政府つまり官僚や政治家、あるいはマスコミに説教される必要なんかない。庶民は周囲の必然に従って行動するしかないので、その必然の条件をまともにつくっていくのが、政治や行政の真の仕事ではないか。
禁煙運動ひいてはタスポ、自動車の後部座席のシートベルトなんぞという、枝葉の先のゴミ払いみたいなことをさせるために、国民は官僚に給料を支払っているのか。来るべき世界のために本気で戦ってほしい。

そういう事!! 超スッキリ!!


文明人とは、ひたすら「秩序」を求める人たちである。

めっちゃ同感!


なぜ秩序を要求するのか。意識とは、秩序活動にほかならないからである。意識的にランダムな行動が可能か。それを考えたら、すぐにわかるはずである。意識はランダムに働けないからこそ、サイコロのような単純極まる道具が、古代から残っている。

そうそう!


文明とはその意味でつまり秩序であり、あるシステムの秩序はシステムの外部に無秩序を放り出す。それが炭酸ガス問題、環境問題の本質である。
人間は意識だけで生きているのではない。なんと、人生の3分の1は、確実に意識がない。でも、その時間なんか「ない」と見なすのが文明である。眠って意識がなくたって、身体は生きているではないか。意識こそむしろ、身体の部分的な機能にすぎない。その意味での「全き人間」を、近代文明は忘れてしまった。

そういう事ですね、さすが!


意識で身体をコントロールすれば「健康になる」。そう「思っている」。「思っている」のは意識ではないか。身体は意識より大きい。ゆえに根本的には意識は身体をコントロールできない。できると思う人は、自分の命日を背中に書いて歩いてくれたまえ。

それはちょっと・・・。同感できない部分があるな。


代替エネルギーを私が論じない理由は、おわかりいただけるであろう。どうせ同じことだからである。どこかにエントロピーを増やしてしまう。問題は意識中心主義であって、そこに気が付かなければ、何の解決もない。
昨年秋に、たまたまラオスのお百姓に質問した。「年に何回、米をつくるんですか」。途端に叱られた。「冗談じゃない、あんなシンドイこと、年に1度でたくさんだ」。
世界銀行で働く人と、ラオスのお百姓と、どちらが人間として余裕があるのか。

心のあり方ですね、出来ればそう生きたいですね。


都会人、文明人の身勝手も、ぼちぼちいい加減にしてほしい。
稼げばいいってものじゃないだろ。日本が世界で威張る必要もないだろ。
お金であれ、他人の評価であれ、「やったこと」に対してあとから「ついてくる」のであって、

可能なかぎり稼ごうとか、世界の評価を求めて何かしようなんて、「あらかじめ意識で考えたってムダ」、乞食根性を起こすんじゃない。

 

「痛快です、あざ~~す(笑)」


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