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「アンテナ」 心と器 5

2008年06月22日 | 前ブログ 心と器シリーズ

連載5回目です。

「理解」 心と器 4


 

今回からは、そういった人の「基本的気質・考え方の根底」等、共通点を具体的に取り上げてみます。


と、思っていたのですが、今回は、大元の原因から発表しちゃいます。
(なかなか時間が取れないので 笑)

 


まず、そういう人に共通する元凶は、

受信する耳(頭・脳)が常に聞ける状態にはなっていません。
主に自分からの視点で自分の事(段取りとか予定とか苦労の大小とか悩みとか)を考えている事が多いからです。

考えの発想が、「周りにおける自分の考え」ではなく、常に「自分発」(主体が自分)なのです。


それゆえに口(発信)は自分の主観や主義主張が圧倒的に多いです。 もしくは無口になります。

ですから相手の言い分(主義主張・訴え)がストレートに入りにくい。

噛み砕いて100人居たら100人に分かる伝え方をしないと、本当の意味が分からない(真意が伝わらない)。

相手が本当に言いたい事を理解する前に(伝えきる前に)、自分の脳内で自分の知識や経験上の事に置き換えてしまってるのに、聞いた(理解した)と思い込んでいます。

言葉の表面しか捉えられない、行間が読めない、という表現でもいいです。

そういう傾向が確実にあります(勿論100%ではないでしょうが・・)。


なんと、
全ての発端(原因)はここが始まりです。


あらゆる物事を「正確に受信する」アンテナに問題があっては、そこから先の事が「正常」に機能する筈がありません。

元の原因は「アンテナ」です。

これによってその他の要素が現れてくるだけで、元を辿ればココです。



「アンテナ」とは、受信する為にはなくてはならないモノですね。

各家庭にあるTVアンテナや衛星アンテナ。

必ず受信すべき方角に向けます、そうしないと映りませんし聞こえません。

どんなに高価な地デジ大画面薄型TVでも、アンテナが正しい方角に向いていないと無用の長物です。

それがTVなら、ずれたら映りが悪くなったり聞こえが悪くなったりと明確なので、「あ、ずれたな」って分かります。


しかし、この人間界、

人間の受信アンテナはどちらを向いていても、生きてゆけます。
(アンテナを半分しか使わなくても生きてゆけます 笑)

自由にどちらに向けていてもなんら不自由はありません。


しかし、たったひとつ、向けてはいけない方角があると思っています。

 

 


 

それは、「自分」です。


「自分」とは、

正しい情報をキャッチするモノです。

そして正しい情報をキャッチしたのち、「発信」するモノです。


正しい情報とは、

自分以外の全てです。

それは「人」だけではないです、

人間含め、全ての自然界や宇宙が情報です。


どれだけ多くありますか?


その多くの情報をキャッチする為のアンテナです。
(アンテナさんは大忙しですね 笑)

※ですから私は、人間は本来、聞くが7、言うが3と思っていますし、以前にも書きました。


本来、その多くの情報をキャッチしなければならないアンテナが、


少しずれて、「自分」の方角に向いてしまってるんです。


という事は、

自分が発信する情報(感情・考え・悩み)まで、

本来の情報と混線(混同)して、また二重に受信してしまってるんです。
(特にこの場合、負の感情が多い)

これでは正常に機能する筈がありませんね。


情報が(混線して)間違ってては、健康ではありません。


いくら自分を磨こうと勉強を重ねても、いくら書籍を読んで知識を増やしても・・・。

アンテナのずれた高価なTVと同じです。

正しく映し出す(発信する)事は出来ません。


しかも、我々は感情を持った人間ですから、もっと歪みが生じます。

その歪みが、 「うつ」といった心の病となって現れると考えています。


要は、ずれたアンテナの影響で、自分の立ち位置を見失っているんです。

自分の憤り、不満や焦り、といった「負の感情」を二重に受信しているから、

自分の頑張り、自分の理想と現実のギャップに対する焦り、不安といった要素を、

周りからの期待や信頼、時には失望感と共に同時に同列に受信してしまうんです。

という事は、

自分の頑張り、焦り、不安が当然というか

それは、既に定まっている「正しい定義」として受信してしまってるんです。

周りからの評価とかなりのズレがあったとしても・・・。


なので、「本来の自分」は、どの位置なのか、

どうすべきなのかが分からなくなっているのです。

 

あえて今回は悪い例えで言います。

そういう病になる人は、

「フランチェン」になってしまってます。

 

フランチェンは、毎回最後にパニックになります(パニッパニ パニッパニ 笑)

しかし、毎回、「出来るか?」という問いに、

必ず「出来る!」と答えます。
(最近芸風が変わって違う言い方するようですが)

そして実際やってみると、上手く出来ずに最後に「思考停止」になりパニックになってしまうのです。

自分の力量を正確に自分が把握していないからです。

自分の「器」(立ち位置)を理解していないからですね。


フランチェンなら思考停止でコトは済みますが、

この世に生きてる人間は「思考停止」する事は不可能です。


ですから、上手くいかない原因を、また、考え悩むのです。


そして、その「考えや悩み」を、しなくていいのにわざわざ発信し、

ずれたアンテナで、また二重にキャッチしてしまうのです。 

 

上手くいく筈がありません。

 

まず、「本当の自分」を理解していないから・・・。



よく、そういう病の人に対して、

「頑張らなくていい」「それでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」

といった助言が正しいとされていますね。
(私が批判する田舎の心療街医者等の実際のカウンセリング)


ある意味合ってると思いますが、決定的に欠陥があると思っています。

それは、最終段階でする事です。(そのままでOKとする「個を認める」という行為は)


現状の(そういう人の考え方では)ままでは、絶対にダメです。

折角のチャンスです。

「本当の自分を知る」という。


その前(個を認める前)に、本当の自分を掘り下げ、裸の自分を知る事です。


背伸びをしていた自分。

皆に良く見てもらいたいという八方美人な自分。

実力以上に見せようとしていた自分。

ダメな自分を見せたくない(悟られたくない)思いが強い自分。

こんな悪い心を持った自分を知られたくないという自分。

誤解されて釈明したいのに言い出せない自分。

これら含めその他、

多くのダメな自分を剥き出しにする事です。


それらを剥き出した、それが「本来の自分」だからです。

それに蓋をして避けようとするから、息苦しく、生きにくく、

心の病という歪みが生じると思っています。


個を認めるのはそのあと(自分を裸にしてから)です。

病気が良くなったり、また悪くなったりと繰り返すのは、

信頼できない街医者らが、安易に「現状のまま個を認めさせよう」とするからだと考えています。

現状のままだと、根本が変わってないのですから、ちょっとしたストレスで再発してしまうのは当たり前です

そうは思いませんか?


ゆっくりでいいんです。

まず、本来の自分の姿を見つめ直す作業がありきの、

裸になって初めて、「個を認める」という事です。

 

裸になったら、

飾る必要はないんです、

そのままでいいんです。

そこから本当の力をつければいいんです。

背伸びは辞めて、「本当の自分のまま」個を認めて、足るを知った時

 

本当の幸せが待っています。


 


※7/8 少し加筆しました。 


次回、
心と器 6 は、何年か前にあった子豚が主役の映画「ベイブ」第1作目に関するお話しです。
観てない人で観れる方は観ておいて欲しいです。とてもいい映画です。

※もし、そういう病の方が読まれたとしても「フランチェン」の例えで気を悪くなさらないで下さいね。
一般向けの分かり易い例えとして使いました。他意はありませんのでご理解下さい。


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