BLOGOSって、現役政治家や評論家、ジャーナリスト等が書いているブログを集めて読め、たまには覗いてみるのだが、そういった投稿をしている方々と比べ、意見やコメントを入れる読者の質の低さが窺える。
(注:必ずしもBLOGOSに出ている投稿者の全てが良い記事を書いているとは思っていないし、また読者の全てが質が低いと述べている訳ではないので、そこはお断りしておく)
しかし、やはりBLOGOSを愛読して意見を書くような人は「経済第一主義」で原発再稼動賛成派の人が多く見られるようだ。
議論:原発を再稼動させるべき? - BLOGOS(ブロゴス)
これには本当に驚いたというか、情けなくなってくる・・・。
この「議論」の中での推進派意見もそうだし、原発推進意見のブログを書いている方々もそうだが、そういう方に共通するのは、
【原発と電力事情の現実(背景)を全く理解していない】または、目先にばかり注目して【故意に理解しようとしていない】という事である。
原発推進派(再稼動賛成派)の意見として多く見られる主な主張は次の通りである。
〇 電力不足による企業の衰退、または海外移転。
〇 燃料費高騰での電気料金値上げによる企業(または一般家庭)の逼迫。
〇 主に上記2理由によって、日本経済全体が疲弊し立ち行かなくなるという意見。
(酷いのは原発を動かさないと経済がボロボロになり停電で死者が沢山出てしまうといった空論)
何も知らない人にとっては、日本経済全体を考えた「ごもっとも」な意見に聞こえ、原発推進・再稼動推進派の代表的な意見に終始していますが、単純に、まんまと政府・電力会社(または原発利権に群がる人々)のプロガバンダにやられてるとしか思えない。
そもそもが、政府や電力会社が公表したマスコミ発表を全て鵜呑みにし、自分で殆ど調べもしないで「原発ありき」の今の状況が「絶対的不変」と思っているのでしょう。
ああ、言い換えれば「絶対的不変」だったかもしれません。
しかし、それは、そういう産業(経済)構造に長い年月をかけ、仕向けたからこその結果です。
そうならざるを得ないように、原発に依存した環境を故意に【後付けで】整えたからに過ぎません。
原子力の安全や経済的利益があるかどうかも全く分かっていない段階でスタートし、そしてそれが「間違いでは困る」ので、 「無くてはならない存在に仕立て上げた」という事です。
だから、それが正しかったのか間違っていたのか、
「今この時に」しか、
本気で議論し、国民として判断し決断する時はないのです。
では、ここで少し整理してみましょう。
日本で原発を導入することになったのは、どういう経緯だったでしょうか?
一般的には、1960年代に「原子力の平和利用」という名の下に始まり、1975年の第一次オイルショックで、石油依存度を下げ、エネルギーの安定供給として「原発建設」が加速していったとされています。
しかし、こんなのは全くの後付け理論で、建て前の目くらましでしかないのです。
日本で最初の商業用原子力発電所は、皆さんご存知の通り東海原発で1960年に着工し1966年にスタートします。
では、それまでの経緯を見てみましょう。
まず原子力を語るに、アメリカと冷戦時代というキーワードは外せません。なぜなら、「核」というモノは、兵器の為に開発が進んだ「バケモノ」だからです。
1942年 「マンハッタン計画」という原爆開発がスタート。
1945年 アメリカが世界初の核実験。
広島・長崎へ投下 終戦。
~ 大戦終了後もプルトニウム製造の為に多くの濃縮工場と原子炉を
建設し続け大量の濃縮ウランを保有することになる。
終戦したにも関わらず、こうしたウラン濃縮を辞めないのは、
明らかにソ連を意識しているからで、「平和利用」という言葉で
量産を続けるのである。(詳細は省く)
1953年 アイゼンハワー大統領が「平和の為の原子力」大演説。
1954年 世界初の原子力潜水艦「ノーチラス号」進水。(アメリカ)
ビキニ環礁での水爆実験
→ 第五福竜丸事件発生で日本は原子力批判が強まる。
ソ連が世界初の原子力発電所の運転を開始
原発実用がソ連より遅れ、先の水爆事故での日本での原子力批判が高まり、焦ったアメリカは、「正力松太郎」を原発導入(濃縮ウラン輸出)のプロガバンダターゲットにする。
1956年 イギリスが原子力発電所の運転を開始(東海原発の原子炉はイギリス製)
1958年 やっとアメリカでも運転開始
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1960年 東海原発着工となる訳ですが、それ以前の1954年に「原子炉研究調査費」という名目で当時としては巨額の予算が通ります。
1953年、正力は読売新聞を既に大きくしており、初の民放TV「日本テレビ」を創設する。
(1954年 第五福竜丸事件)
1955年から読売新聞に「原子力平和利用」のキャンペーン記事が度々登載される。
同年2月、正力は富山2区から衆議院に立候補・当選
同年4月、財界に働きかけ「原子力平和利用懇談会」を発足し、推進学会からも参加させた。
正力は、当時の水力発電の為のダム建設費の高コストや電力不足を揚げ、原発がなければ日本は貧困のままだと新聞やTVを利用して大々的に宣伝する。
1955年 6月 日米原子力協定仮調印
1956年 1月 原子力委員長に正力が就任
1957年 国務大臣として、正力は東海実験炉のスイッチを押し、臨海に達する。
1960年 東海原発本格建設着工
1966年 9月 同 営業運転開始
ざっと主にこういった経緯で日本での原発導入がなされた。
要は、アメリカの核軍事工場の維持拡大の為に「平和利用」という名で日本も利用され、中曽根・正力の強力タッグにより、「平和・安全・安価」などとプロガバンダされ導入されてしまった訳です。
詳しくはこの ↓ 動画を参照されたい。
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
私は、ここでも述べている通り、こういった経緯がその時代には仕方の無かった事だったかも知れないと半分は思っています。
しかし、一つの物事を検証する時、「事の始まり(始まる経緯)」というのは非常に重要なポイントになる事は言うまでもありません。
結局、日本における「原子力発電」は、
間違いなくアメリカの軍用工場の濃縮ウランを使う為に利用され、
それを正当化させる為に、「安全・安心・安価」と嘘の宣伝をし、
電源三法まで制定し次々と建設され、世界3位の原発保有国となってしまったのだ。
原発を擁護した、オイルショック・地球温暖化(二酸化炭素排出増起因)などは、
反対論が広まっては困る為に、原発擁護に利用されただけなのだ・・・。
安全でない事を証明し、
火力・水力より安価でない事が表面化した今でも、
再稼動容認や推進派などの意見は、こうした事実から目を背けているとしか思えない・・・。
後日、また追記する事にする。
私も再稼働容認については憤りを感じる一人です。
福島の「あってはならないはずの事故」が、全く収束していないのに、何故そんな事ができるのか?
放射能をコントロールできない事を、まざまざと見せつけられたのに、再稼働するなんて信じられません。
まずは、福島の原発を、これ以上の被害が出ないまま廃炉にする事。
それと、放射能による健康問題に、ある程度の結論が出てから、原発稼働について議論すべきだと思います。
それが、何十年かかっても、です。
代替エネルギーがない訳ではないのに・・・
命よりも優先される物があるのでしょうか?
こんばんは、お元気ですか?
コメントし難い内容記事にコメント有難うございます。しかも現状把握がしっかり出来た上で非常に的確ですね。
>放射能をコントロールできない事を、まざまざと見せつけられたのに、再稼働するなんて信じられません。
その通りです。
しかし、奴らは未だに「あれは津波で電源を失ったせいで、電源確保さえ出来れば2度とあんな事は起こらない」と言うでしょうね(怒)
>放射能による健康問題に、ある程度の結論が出てから、原発稼働について議論すべきだと思います。それが、何十年かかっても、です。
これも全くその通りです。
チェルノブイリの事例が沢山あるにも関わらず、都合の悪いデータには「因果関係が証明されていない」などと知らんぷりしています。
国民の命や安全よりも目先の経済を優先する国なんてどうかしていますね。
とても響くね~、君の言葉は・・・。
虚しさが!