なぜ世の中が混迷し、犯罪や争いが絶えないかというと、「絶対智」が得られないことにある。またたとえ得られるものがいたとしても、その「絶対智」を正しく受け継ぐ、相続、伝承していくことができえないことにある。
そして又、いかなる「絶対智」であっても、時を経るに従って衰退していくという、運命ともいうべき定めが課せられている。仏教間においても、「正法、像法、末法」といわれる思想感があり、私たち人間の命にも「幼年期、青年期、壮年期、老年期」の後に「死」となる。物質界においても、この宇宙ですら「幼年期、成年期、老年期」の後に「ビックパン」を起こして壊滅する。こうした事と同様に、我々人間にのみ与えられている精神世界でも、こうした「幼年期、成年期、成年期、壮年期、老年期」などの後に、混迷して精神混乱期があるのは当然のこととなりえる。
仏教は、こうした変転性、流転性という「無常観」に裏打ちされた思想の上に立っていますが、哲学や道徳は、そういうことがないようです。そのために、ただ一方的な進歩性と拡大基調を求めることに終始する事となり、それが混迷と争いを増加する素因ともなっています。