福田財務次官が辞任表明 野党は麻生財務相の責任追及 政権に打撃
万物の霊長類と言いながら、人間は人間として如何に生きるべきかが少しもわかっていない。
年若いものならともかく、それがいい年になっていながら未だにわからないでいるのは、餓鬼にも等しい。
それは人間としての「心を磨く」ことを、忘れていることにある。それを忘れしないでいて、欲得ばかり追い求めていく。
日米首脳会談でも、トランプ大統領が米朝首脳会談の折「拉致被害帰還」の働きを提言するといって、その成果を誇っているが、こういうことは人に任せずに自分が行うべきこと。こんな様では金正恩委員長、首を縦には振る舞い。
何故かというと、「リーダーシップを取って圧力と制裁を加える」と言っているから。
まるで餓鬼大将もいいところ。
財務省調査に疑問・批判=閣僚からも―セクハラ疑惑
国会は、こういう風にいつまでもごたついている。
それというのも、国の指導者である安倍首相が、「行政の長として、自衛隊の最高司令官として」などと言いながら、少しも決着を図ろうとしていないことにある。ただ「うみを出さなければならない」などと言って指示したというだけで済ませている。
この財務次官のセクハラ問題に対して、次官の人権にかかわるといって真相解明に熱意が、それはまるで被害者の女性覇者には人権などないという論理になっている。
そればかりか先月成立した本年度予算には、まるで公務員には人権があるかのようなお手盛りになっているが、か弱い弱者たちには遠慮会釈もなく人権を無視したようになって、社会保障費を減額していっている。
中には政治家には、国民から選出されたものという気になっている者もいるが、そういった者たちは孤独にならなければならない。
悪戯に人や仲間内と会食などするのは、以ての外のこと。そういうことをしているから、すぐに疑いり目で見られていく。
「女性記者と会食した覚えもない」 次官のコメント全文
生物は、もともと純真さを持っている。
清らな生命をもって生まれてきた。
しかし人間においては、成長するとともに汚れを身に着けていく。
人間だけがなぜ汚れを身に着けていくかというと、知恵を持ったことにある。
知恵は、欲を持つことを覚えた。その欲、欲望を満たすにはどうすればいいかを、学習していく。
それが教育となっている。
この財務次官のセクハラ問題にしても、自分が何をコメントしているかわかっていない。それは森友、加計、防衛日報らについても同様なことで、彼らが言っていることは保身のためといっていい。だから認めない。
そして任命責任者からして、保身のために辞任を宣告したりせず、自らが辞職するようにさせようとしている。
それというのも、強く辞職させて辞めさせると、どうも退職金が支給されないからではあるまいか。
安倍首相なども関わりを認めないのは、そんなところに理由があるのかもしれない。
こうした大人社会の、殊に政界の汚れたものが、素直なままに成長しようとしている子供たちの胸も汚れさせている。
それにしても、この次官は週刊誌記者を提訴するといっているが、反対に被害にあった女性記者の提訴を受けたらどうなるか。その覚悟はできているのだろうか。
内閣府幹部「内容は官邸から聞いている」 面会文書記載
先日日曜夜のNHK総合テレビの、「NHKスペシャル」「人間誕生」を録画したのを見た。
子息動物であった動物が二本走行するようになり、道具を使うことを見つけ、メスを取り合いしてすいた動物的な中から「一夫一妻」となり、それによって家庭を築いていく。その家庭を築いていく中で、「思いやりと労り」の「心」を持つまでに進化していったと語られている。
だが今日の現代は、百万年以上に渡ってやっと築かれたこの「心」は、風前の灯火となって崩壊しようとしている。
「心を崩壊」させる基になっているのは「心」を持つことと伴って備わってきた「知恵」にある。この「知恵」があろうことか、「欲」をもたらしめている。
「欲望」である。「欲と欲望」を満足させようとして、「思いやりと労り」の心を叩きのめしている。嫌が上でも壊滅させようと、いじめ、虐待、暴行、窃盗、殺戮、そして戦闘行為にまで及び、もはや「思いやりと労りの心」は崩壊していっている。
こうした中の今、個々の人々が「これではいけない」と立ち上がらなければならない。
そしてこのように人間性を崩壊しようとする者に対して、戦いを挑み反撃を加えるべし。
それは「反平和主義」ではない。武器を持たずに行う「戦闘」なのだから。
武器を持たなき戦闘、それは「信仰と宗教」による戦闘である。
禍々しい宗教がないではないが、そこには「思いやりと労りの心」がない
「今年中の救出」再び訴え=拉致問題で家族会など―東京
こんな残虐で悲嘆を与えるような無粋なことを言うべきではありませんが、拉致被害者の家族の皆さん、拉致された肉親はもう帰らないものと諦めなさい。
拉致被害者救出は安倍政権の最重要課題と言っていた安倍晋三は、今日の通常国会の開会に際して、「働き方改革」などの法案成立を目指す方針だと言っているが、拉致被害者の救出方針については一言も触れていない。
すでに安倍晋三の頭の中からは片鱗も残らず、忘れ去られている。
忘れないでいるなら、平昌オリンピックの開会式に出席するはずだ。
しかし出席しない。出席して北朝鮮の人たちと会見や会談して、拉致被害者の帰国をお願いすればいいものを。
また金正恩委員長との会談を取り持ってもらうよう依頼すべきなのに、それもする気がないでいる。
安倍晋三がそして一生懸命になっているのは、憲法改正のことばかり。
この憲法改正に対する名分や大義が、おかしな名分や大義になっている。
現憲法は、押し付け憲法といって止まず、それ故自主憲法を制定しなければならないという。そしてそれはまた現憲法は理想主義になっており、今の時代にそぐわない時代遅れだと言っている。
それで現実的な憲法に改憲する必裕があるのだという。
しかし我々は、希望という理想や願望という理想を目指そうとして生きていく。
即ち現実の厳しい中でも希望や願望を持ち、その理想の実現を必死になって取り組もうとしている。
即ち我々は、辛さ苦しさ、悲しさ苦労に耐えて、理想の灯に向かって生きようとしている。
拉致被害者の家族の皆さん、残虐な言葉ですが拉致された肉親のことは諦めましょう。
それよりもこんなことが二度と起こらない人類世界に、それを理想として持って取り組んでいくことに致しましょう。
最強寒波いつまで?大雪と寒さの見通し
ここ数年、異常なほどの大雪、超大型台風や風水害に見舞われている。
これを想定外とか異常とか言っていて、特別視している。特別視した自然災害とみなしている。
しかしこれらの巨大化した自然災害は、最早自然災害とは言えない。
どういえばいいかというと「人工災害」といわなければならない。
自然災害がどうして強力になり巨大化していくのかというと、それは我々の生活に起因している。
我々は豊かで快適に、かつ便利な生活を求めてきた。それが科学技術の発展とともに高度化していったが、その反面のように負の面が大きなものとなって表れてきている。
自然環境の悪化などとなり、それに我々の快適さは資源採掘に依存していたことと、その資源を加工して製品化していく過程でその悪化が増大していった。
それによって即ち今日の災害は、人工的災害となってきている。
振り袖被害1億5千万円、横浜市だけで214件
この振袖事件の加害者、即ち首謀者は何者かというとて、それはアベノミクスである。
アベノミクスの謳い文句に煽られて、その成果に参加していたがために、晴れの成人の日を迎えようとしていた人たちが被害にあっている。
情け容赦なく成果主義一辺倒のアベノミクスは、別の面でも様々な被害を撒き散らしている。
高齢者詐欺などもその内に入り、みんながなけなしのものを奪い取られていく。
【めぐみへの手紙】「思いがけない奇跡を」お正月のたび、思います 痛恨の思い、底知れぬ焦り
安倍晋三というこの国の指導者は、まったく当てにならない。何でも持ち出して、それに「政権の優先課題」と称するばかりで、少しの成果が上がらないままに次を持ち出している。
拉致被害者の家族たちが早い帰国をと切望しているのに、安倍晋三は冬休みの正月休みだと言って、のんきにゴルフやっている。少しも身を入れて、本気になっていない。それというのも、トランプ大統領に依存したがっているから、自分は高みの見物としゃれこんでいる。
この国の指導者がこんな有様の中では、国際赤十字社による接触しかあるまい。
国際赤十字社より、北朝鮮への拉致被害者の方たちの入国を認めてもらうように手配していただくことだ。
勿論こうした行為は命がけになるだろう。しかし家族の方たちは、こうした命がけの行為でもってしても、家族を取り戻そうとされるはず。
口先だけで腰抜けな指導者とは違い、自力で頑張られるだろう。
「穏やかで心豊かな年に」=皇居で新年一般参賀
天皇陛下が新年の一般参賀の席で、「本年が少しでも多くの人にとり、穏やかで心豊かな年となるよう願っております」と述べられたことの内には、総理の意向や忖度のない政治で、戦争放棄や兵器保有などの存続を望まれる意向を示されている。
今の政権への、戒めのお言葉であって、ここには政治に介入したものは一言も福載れていない。
「コミケですりをするために来た」 窃盗容疑で男逮捕
今年のNHK紅白歌合戦のタイトルは、「夢を歌おう」と題されている。
しかし現実として、現状としては良い夢とは言えない大晦日の中で行われており、ただ舞台装置や衣装や化粧がけばけばしい程に豪華なだけで、将来を示し築ける夢とはなっていない。
この事件のように、将来を悲観する事件や、京都での刺殺事件と、歌などの演技でできる夢ではない。
安倍首相なんかも、冬休みだとしていいことに、ゴルフ三昧やっている。
あれほど政権の優先課題はと言っていた地震や風水害復興は、すっかりもう忘れている。本気になっているならば、今なお避難所生活を強いられて年を越さなければならない人たちに、年越し蕎麦を配ってあげるといい。もちろんその代金は、自分が持ってこそ値打ちがある。
しかし「国民の安全と安心」というのに、少しでも良いお正月を迎えられるようにと働かないでいる。
私なぞのような者の学童時代には、木下藤吉郎や二宮金次郎などについて、「暇を惜しみ、楽する間を惜しみ、遊ぶ間も惜しんで務めていた」と話して聞かせられていた。
そこに教育の姿があったと言える。
しかし安倍首相は、教育改革や道徳教育の必須化と言いながら、自分はそこから離れた特別な存在のようにしている。
安倍首相こそ、一番教育や道徳のやり直し教育を受けるべき必要がある。
そうでないと、将来を担う子供たちの夢は損なわれていくばかりである。