令和5年10月8日(日)
お早うございます。
一週間の蒲郡市長選挙戦も昨日で終わりました。
今日は投票日です。投票がまだお済でない方は是非、投票にお出掛け下さい。
よろしくお願いいたします。
今日は、郷土で生まれ、郷土の発展に尽くしたり、さまざまな分野でめざましい活躍をし、大きな業績をあげられた先輩たち、郷土の偉人について、紹介して参ります。
今回は、「海運業の発展 水野嘉七(みずの かひち」を紹介いたします。
水野嘉七は、安政三(1856)年に貧しい農家の七男として生まれた。
逆境にもめげず、できる仕事は何でも引き受け、寝食を忘れて働いた。
やがて、その姿が認められ、小さいけれど回漕(廻船)店の養子となり、人を使う立場になった。
そして、時には大阪や遠く鹿児島までも出かけるほど人の何倍も働き続けた。
そのおかげではしけ(小船)を持つ回漕業(海運業)者になれたのである。
昭和三年、三十余命のはしけ関係者は、水野嘉七の功績を永久に残すために、乃木山の一角、
三河湾を見下ろす地に彼の顕彰碑を建て、謝恩祭を行った。
<水野嘉七の顕彰碑の碑文>
水野嘉七氏は夙に力を海運の業に致され、
氏が熱誠により明治参拾九年拾月三菱石炭部を荷主として創めて石炭汽船日海丸の入港を見たり。
爾来町運隆々として進み 以て今日の盛況を見るに至りたえるは 氏が本町海運業に貢献せられたる事
輿って力ありと謂うべきなり これに茲に有志相諮り本像を建設して不朽の功績を千歳に伝えんとす
お早うございます。
一週間の蒲郡市長選挙戦も昨日で終わりました。
今日は投票日です。投票がまだお済でない方は是非、投票にお出掛け下さい。
よろしくお願いいたします。
今日は、郷土で生まれ、郷土の発展に尽くしたり、さまざまな分野でめざましい活躍をし、大きな業績をあげられた先輩たち、郷土の偉人について、紹介して参ります。
今回は、「海運業の発展 水野嘉七(みずの かひち」を紹介いたします。
水野嘉七は、安政三(1856)年に貧しい農家の七男として生まれた。
逆境にもめげず、できる仕事は何でも引き受け、寝食を忘れて働いた。
やがて、その姿が認められ、小さいけれど回漕(廻船)店の養子となり、人を使う立場になった。
そして、時には大阪や遠く鹿児島までも出かけるほど人の何倍も働き続けた。
そのおかげではしけ(小船)を持つ回漕業(海運業)者になれたのである。
昭和三年、三十余命のはしけ関係者は、水野嘉七の功績を永久に残すために、乃木山の一角、
三河湾を見下ろす地に彼の顕彰碑を建て、謝恩祭を行った。
<水野嘉七の顕彰碑の碑文>
水野嘉七氏は夙に力を海運の業に致され、
氏が熱誠により明治参拾九年拾月三菱石炭部を荷主として創めて石炭汽船日海丸の入港を見たり。
爾来町運隆々として進み 以て今日の盛況を見るに至りたえるは 氏が本町海運業に貢献せられたる事
輿って力ありと謂うべきなり これに茲に有志相諮り本像を建設して不朽の功績を千歳に伝えんとす
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます