2009年1月4日 新年礼拝メッセージの中から
「落胆しない」Ⅱコリント4:1-6
パウロは偉大な働きをした人物でしょう。
たくさんの地域で、多くの人々に福音を宣べ伝えました。
しかし彼の伝道旅行の1/4は、牢獄の中だったと言われています。
何度も何度も捕まり、鞭打たれ、長い間閉じ込められるのです。
それでもキリストに似る者となったパウロは、
「落胆しない」信仰生活を送ったのです!
っと言っても正確には、落胆することもありました。
悩むこともありました。パウロもやはり私たちと同じ人の子ですから。
しかし彼は時に落胆することはあっても、
いつまでも落胆し続けることはなかったのです。
思い煩うことはあっても、思い煩い続けることはなかったのです。
1.なぜならパウロの心の中には、
神のあわれみ、神の愛が注がれていたからです。(4:1-2)
神のあわれみを受けた務めだから、神の愛が注がれている、
そこを土台としていたから、落胆し切ることはなかったのです。
神の愛やあわれみは、どんな落胆させる出来事よりも大きいのです。
2.またパウロは、この世の神(=サタン)を認識していたから、
だから落胆し続けることはありませんでした。(4:3-4)
サタンが働くと、私たちは普通、思い悩むものです。
しかしパウロは、この世において、サタンはいつでも働いてくる、
そういう認識を持っていたから、いちいち落胆しないのです。
またサタンがどんなに働いても、最終的な勝利者は、
イエス・キリストだと知っているから、落胆し切らないのです。
3.最後にパウロは、どんな時にもキリストの栄光を信じていた、
だから落胆し続けることはなかったのです。(4:5-6)
どんな暗闇もキリストの栄光に打ち勝つことは出来ないからです!
今年もサタンは私たちの目を曇らせ、キリストを見えなくさせ、
神から私たちを離そうと執拗に働いてきます。
私たちを一時的に落胆させるような出来事があるでしょう。
いや今年もきっとあるのです。
しかし恐るるに足らずです。
私たちには、勝利者イエスが共にいるのですから!
神の愛を信じ、キリストの栄光が現わされると信じていくなら、
たとえ私たちは落胆することはあっても、
落胆し続けること、落胆し切ってしまうことはないのです!
「落胆しない」Ⅱコリント4:1-6
パウロは偉大な働きをした人物でしょう。
たくさんの地域で、多くの人々に福音を宣べ伝えました。
しかし彼の伝道旅行の1/4は、牢獄の中だったと言われています。
何度も何度も捕まり、鞭打たれ、長い間閉じ込められるのです。
それでもキリストに似る者となったパウロは、
「落胆しない」信仰生活を送ったのです!
っと言っても正確には、落胆することもありました。
悩むこともありました。パウロもやはり私たちと同じ人の子ですから。
しかし彼は時に落胆することはあっても、
いつまでも落胆し続けることはなかったのです。
思い煩うことはあっても、思い煩い続けることはなかったのです。
1.なぜならパウロの心の中には、
神のあわれみ、神の愛が注がれていたからです。(4:1-2)
神のあわれみを受けた務めだから、神の愛が注がれている、
そこを土台としていたから、落胆し切ることはなかったのです。
神の愛やあわれみは、どんな落胆させる出来事よりも大きいのです。
2.またパウロは、この世の神(=サタン)を認識していたから、
だから落胆し続けることはありませんでした。(4:3-4)
サタンが働くと、私たちは普通、思い悩むものです。
しかしパウロは、この世において、サタンはいつでも働いてくる、
そういう認識を持っていたから、いちいち落胆しないのです。
またサタンがどんなに働いても、最終的な勝利者は、
イエス・キリストだと知っているから、落胆し切らないのです。
3.最後にパウロは、どんな時にもキリストの栄光を信じていた、
だから落胆し続けることはなかったのです。(4:5-6)
どんな暗闇もキリストの栄光に打ち勝つことは出来ないからです!
今年もサタンは私たちの目を曇らせ、キリストを見えなくさせ、
神から私たちを離そうと執拗に働いてきます。
私たちを一時的に落胆させるような出来事があるでしょう。
いや今年もきっとあるのです。
しかし恐るるに足らずです。
私たちには、勝利者イエスが共にいるのですから!
神の愛を信じ、キリストの栄光が現わされると信じていくなら、
たとえ私たちは落胆することはあっても、
落胆し続けること、落胆し切ってしまうことはないのです!