星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

多数決

2006年10月24日 08時30分25秒 | 日常の出来事
あることを決めるのに、教会で多数決をとることになった。
何かを決める時に、何でもかんでも多数決で決めることが、
良いとは限らないだろう。

「最大多数の最大幸福」(ベンサムの功利主義)がベストとは限らない。
短期的な視野で良いと思うことも、
長期的な視野では変わってくることもある。
また、少数の意見をこそ大切にし、
そこにこそ全体のバランスをとる何かがあるように思う。

教会は一致を大切にするが、画一主義や全体主義を勧めているわけではない。
一人一人の違いを尊重し、多数の意見があってもいい、
それでもキリストにあって一つになれるところに、
キリストの教会の豊かさがあるのだろう。

今回、両方の意見を聞きながら、お互いがお互いのことを確認できた、
そんな良い時になったと思う。
何人かの強い方々の意見にまとめられたのでもなく、
また反対の意見を悪く言うのでもない、皆が各自の意見を出し合いながら、
お互いがお互いを尊重しながら、1つの方向性を出すことができた。

中学3年生の男の子が、自分の意見をしっかりと皆の前で言うことができた、
しかも、その内容がうなずけるもので、気持ちもこもっていた。
その成長した姿を見ることができたこともにも大きな意味があった。

意見が割れている時の司会は、いろいろ気を使うものだが、
結果的に「やっぱり教会は神様が働いておられるなぁ」と感謝を捧げることができた。

強い人

2006年10月21日 08時00分09秒 | 友だち・人物のこと
そんことを言われた何て・・・。
それはひど過ぎる、言ってはいけない言葉だ。
聞いている私のほうが憤りと悲しみを感じた。
どんなに苦しんできたことか。
どんなに嘆いてきたことか。
それなのに、さらに追い討ちをかけるような冷たい言葉。

相手は相手なりの正義感をもって発した言葉なのだろが、
配慮のない正義は、人を傷つけてしまう。

それでもその方は、一言も言い返さなかったそうだ。
込み上げて来る怒りや悲しさがあったと思うのだが、
それでも本当のところを全部語らなかったそうだ。
それを言ってしまえば、他の誰かが傷つくことになるから。
それなら、ここで自分が傷つくことで留めておこうと思ったのだろう。

人を言い負かしたり、語気を荒げて相手を圧倒したり、
人の弱さや欠点を非難したり、
そんなことは強さでも何でもない。

自分を弁護したい言葉、言い返したい言葉、
それらをぐっと飲み込む強さをその人は持っていた。
その人の大きな背中に、キリストの姿を見る思いをした。

光と喜びの種

2006年10月20日 07時56分17秒 | 聖書・賛美・メッセージ
「神に従う人のためには光を
 心のまっすぐな人のためには喜びを
  種蒔いてくださる」 詩編97:11(新共同訳)

神様に従っていきたい、そう思う人の心に
神様は光の種を蒔いて下さっている。
神様に対して心がまっすぐな人には、
喜びの種を蒔いて下さっている。

光の種、喜びの種。
種だから芽が出て成長するまでに少し時間がかかるだろう。
まだ光が見えなかったり、ぼやけていたり、
喜びが溢れていないかもしれない。
しかし、神様に従い、心をまっすぐに神様に向ける人には、
すでに種が蒔かれているのだ。

今日も神様に従い、心を神様にまっすぐ向けていきたい。


日めくり

2006年10月19日 09時56分03秒 | 友だち・人物のこと
トラピスチヌ修道院の売店で、妻が「これいいよぉ」と
「きっと いい日」という卓上の日めくりを見つけた。
表紙を見ると、晴佐久さんが書いたものだった。

勝手に晴佐久さんって気軽に呼んでいるけれど、
もちろん会ったこともない。
晴佐久昌英さん、1957年生まれだから、49歳。
この方はカトリックの司祭で、とってもあったかい詩を書く方だ。
その詩を読んでいると、晴佐久さんのあったかい感性に触れ、
「晴佐久さん」って呼びたくなってくる。
きっと晴佐久さんも、「晴佐久さん」って呼ばれても
にっこり笑っておられるんだろうと思う。

晴佐久さんは、今でいうADHD「注意欠陥・多動性障害」の
傾向が強い子どもで、大人になってもこの障害は残っているらしい。
晴佐久さんがどのようにして司祭になったのか、
それは「消去法の召命」だったことを読んで、とても感銘を受けたことを思い出す。
『神に呼ばれて 召命から献身へ』日本キリスト教団出版局に詳しい)

晴佐久司祭のメッセージを聞きに、多くの人々が教会に訪れるそうだ。
あるところには「カリスマ神父」と評されていたが、
でもやっぱり「晴佐久さん」だろうなぁと思う。


「きっといい日」から幾つか晴佐久さんの言葉を
  
  毎日一粒の種をまきつづければ
  いつか金色の麦畑

  こころの一番奥にある
  光さしこむ聖堂で祈る

  無力は力
  君は弱いときこそ強い

  いま このときも
  わたしのために祈っている人がいる

  失ったのではない
  お返しいたのだ

  つらいときは冬眠しよう
  雪どけの春が起こすまで

  さあ もう寝よう
  あしたはきっと いい日



お義兄さん

2006年10月17日 08時10分53秒 | 日常の出来事
私には弟が3人いるけれど、兄はいなかった。
でも結婚して、妻の兄がお義兄さんになったことは嬉しかった。

今回の函館滞在中も、忙しい仕事をわざわざ早く切り上げて、
一緒に夕食を囲むことができた。
何だかんだといろいろ話しができるのが嬉しい。

去年は一緒に銭湯にも行った。
函館の銭湯は、銭湯と言っても温泉である。
(大阪の町にある銭湯は、~温泉と記していても、銭湯である)

隣で洗髪などをしていると、
「背中を流しましょう!」と言われた!
何だか不意打ちをくらったようで驚いた。
本来は私の方から言わなければいけない言葉。
「いやいや、私が流します!」と慌ててお義兄さんの背中を流した。
いったいどれくらいの時間、背中を洗えばいいのだろうか、
背中だけでいいだろうなぁ、何だかいろんなことを考えたが、
とにかくお互いに背中を流し合うひと時となった。

いつ頃からか、お互いに背中を流し合う習慣、伝統、
あるいは交わり、というものが自分の周囲にはなくなっていた。
小学生の時、父親と銭湯に行った時に父親の背中を、
また剣道の合宿などで師範の背中を流したこと以来になるだろうか。
とにかく、義弟として認めてもらったような、そんなひと時だった。

私たちが帰る日に、わざわざ挨拶をしにお昼休みに戻って来られた。
いいお兄さんだなぁと感謝した。
姉の旦那やその両親、弟たちの妻やその家族、
兄弟たちが結婚すると家族がどんどん広がっていく。
不思議だなぁと思う。

お寿司三昧

2006年10月14日 10時02分57秒 | 嬉しかったこと
7月25日の「続ささやかな楽しみ」の続き!

あのコツコツコツコツ貯めた10円玉、5円玉、1円玉の合計17499円を
本格的に使う時がやってきた!
8月に夏ばて防止のために、1度「手巻き寿司」をしたのに引き続き、
北海道で美味しいものを食べようということになった。

せっかく北海道なのだからと、やはり新鮮な海の幸を堪能することにした。
やはりお寿司だろうということで、妻が函館にいる時に
講師接待に使っていた回転寿司に行ってきた。
観光客だけではなく、地元の方も通う「函太郎」という店だ。
回転寿司と言っても、本州の回転寿司とはネタの新鮮さが違う。
もちろん値段の方も普段の私たちでは食べられないものもある。

しかし、今回はあの17499円があるからかなり太っ腹。
値段を気にせずに、お腹一杯いただける・・・つもりだった。
私が400~500円ぐらいのお皿のネタを取ろうとすると、
横から妻が「よ~く考えて!」と言う。
いやいや、よ~く考えて欲しいのは、そちらの方だ!
この夕食代は、私が貯めたものから支払うのだから。
しかも、よ~く考えなくてもいいようにと、楽しみにしていたもの。

やはりジェネリック食品を得意とする妻である。
なかなか普段の癖は治らないものだ。
400~500円のネタは、1皿か2皿ぐらいしか食べられなかったが、
それでも、お腹一杯いただいた。

次の日、義母を誘って「何でも好きなものをご馳走しますよ!」と言うと、
「お寿司が食べたい」と言われ、同じ函太郎の五稜郭店に行ってきた!
もちろん義母には、昨晩お寿司を食べたことは内緒にして。
義母は普段あまり外食しないので、喜んでおられたので嬉しかった。

札幌ではS先生に「とっぴー」というお寿司屋に連れて行ってもらっている。
名前はちょっと・・・だが、やはり美味しかった!
三日連続のお寿司三昧の旅行であった。
何だか、ちょっとせこいような気もするが、
それでも満足、満足。ささやかな楽しみの続きであった。

トラピスト修道院

2006年10月13日 08時23分23秒 | 日常の出来事
今年はトラピヌス修道院に行ったが、
去年はトラピスト修道院に足を運んだ。
函館市内から少し離れているので、
観光客はほとんどトラピヌス修道院にしかいかないだろう。

トラピスト修道院は、男性の修道院で、
全国的にはトラピストバターやクッキーで有名だろう。
空港に行けば、白い恋人などと同じく定番商品として置かれている。

とにかく、景色の美しい修道院だった。
ドラマの撮影にでも使えそうな、ずーっと向こうまで続く
並木道がとても美しかった。

駐車場に、童謡『赤とんぼ』の作詞者として知られている
詩人の三木露風の詩碑が建っていた。
調べてみると、三木露風は30代の初め、
院長の招きで修道院の講師を務め、
文学概論、美学論などを教え、夫人とともに4年間を過ごし、
その間に夫婦で受洗してカトリック信者となったそうだ。

ora et labora「祈り、かつ働け」が修道院のモットーだ。
個人的には、「祈りつつ、働きつつ」と訳したい。
「静と動」が1つになっている歩み。
「動と動」では、本来的ではないということだろう。
神を思う「静」が必要なのだろう。

私の場合は、時々「静」が「怠」になっているかもしれないが・・・。

リジニーの聖テレジア

2006年10月12日 08時02分14秒 | 友だち・人物のこと
函館の観光名所にもなっているトラピスチヌ修道院。
ここにも17年ぶりに訪れた。

今回、心惹かれたのがこの銅像。
銅像と言っても美術的なことはよく分からないが、
銅像のモデルになっている「リジニーの聖テレジア」という人物、
人物紹介にこんなことが記されていた。

 リジニーの聖テレジア
   1873仏 15歳 9年後 24歳で生涯を閉じる
   彼女の生活は平凡で「普通」のものでしたが、幼いイエスに絶対の信頼を置き、
   日常の義務をつつましく、素直に果たしました。その若さにもかかわらず、
   その言葉と行いは模範となって、多くの修道女を導きました。
   その生き方は多くの人々の模範と支えになっています。

彼女は、何か人目をひくような特別なことをしたわけではなさそうだ。
ごくごく普通の平凡な生活を、つつましく素直に過ごしていたようだ。
普通の生活をしていて、それでいて多くの人に何かを感じさせる女性のようだ。

ある人がこんなことを言った、
 「世の中に雑用という用はありません。
  物事を雑にした時に、それは雑用となるのです」。
きっとテレジアは、雑用と思われることも、丁寧に、心を込めて、
1つ1つを、その時その時を大切に、そういう毎日を過ごしていたのだろう。

函館山やその向こうに立待岬が見える、小高い丘にあるトラピヌス修道院で、
派手なこと、とっぴなこと、目立つこと、そういうことよりも、
普通で平凡な毎日を、特別な思いで過ごした24歳の女性の姿をしばし見つめていた。

イカ虫

2006年10月11日 08時14分38秒 | 驚いたこと
函館といえばイカが有名で、
妻の母がいつも美味しいイカの刺身をご馳走してくれる。
去年も美味しく頂いた。これがまた、箸が進む美味しさなのだ。

ところが・・・
その夜、急激な腹痛に襲われた。
この痛さは、今まで体験したことのない痛さだ。
何度もトイレに行き、「ハァハァ、ハァハァ」言っている。
変な汗が流れてくる。

救急車を呼んでもらおうかと思うほどの激しい痛みだったが、
隣で妻が幸せそうにすやすや休んでいる。
明け方になって、やっと痛みがおさまった。

妻に話してみると、それは「イカ虫」によるものだろう、とのことだった。
めったに当たらないのだが、イカ刺しについているイカ虫に当たると、
それはそれは激しい痛みに襲われると聞いたことがあるようだ。
まぁ、これも忘れられない思い出として・・・。

去年のイカ虫事件を、函館に向かう道中、S先生にお話しした。
ニコニコしながら聞いていたS先生。
ところが、妻の実家に着いた時、義母がお土産にイカ刺しを用意していた。
しかも「この時期はイカ虫が付いていることが多く、
1匹だけ付いていましたが、ちゃんと捕りましたので、大丈夫ですよ!」
と、去年の出来事を知らない母は、にこやかに言葉を付け足した。
しかし、ついさっき去年の話しを聞いているS先生は、
作り笑顔70%というような顔をしておられた!

もちろんその夜の食卓にもイカ刺しが並べられていた。
そしていつもよりも念入りにお祈りをして頂いた。
とても美味しかった。
でもイカ刺しを食べる度に、イカ虫を思い出すだろう。


続々夜景

2006年10月10日 07時37分25秒 | 妻とのこと
高校の修学旅行で見た函館の夜景。
感動した17歳の私は、そこで1つのことを思った。
「今度は、この夜景を2人で見たい・・・。」


そして17年後の昨年、それが現実に。
まさか、函館の人と結婚するとは思っていなかった。
まさか、こんな形で実現するとも思っていなかった。

できれば、三大夜景の残り二つ(香港、リオデジャネイロ)も、
いつか行ってみたいなぁと思う。

別に人に言うことでもなく、
何だかお恥ずかしいことで申し訳ないので、
今日はこのへんで。失礼しました。