あることを決めるのに、教会で多数決をとることになった。
何かを決める時に、何でもかんでも多数決で決めることが、
良いとは限らないだろう。
「最大多数の最大幸福」(ベンサムの功利主義)がベストとは限らない。
短期的な視野で良いと思うことも、
長期的な視野では変わってくることもある。
また、少数の意見をこそ大切にし、
そこにこそ全体のバランスをとる何かがあるように思う。
教会は一致を大切にするが、画一主義や全体主義を勧めているわけではない。
一人一人の違いを尊重し、多数の意見があってもいい、
それでもキリストにあって一つになれるところに、
キリストの教会の豊かさがあるのだろう。
今回、両方の意見を聞きながら、お互いがお互いのことを確認できた、
そんな良い時になったと思う。
何人かの強い方々の意見にまとめられたのでもなく、
また反対の意見を悪く言うのでもない、皆が各自の意見を出し合いながら、
お互いがお互いを尊重しながら、1つの方向性を出すことができた。
中学3年生の男の子が、自分の意見をしっかりと皆の前で言うことができた、
しかも、その内容がうなずけるもので、気持ちもこもっていた。
その成長した姿を見ることができたこともにも大きな意味があった。
意見が割れている時の司会は、いろいろ気を使うものだが、
結果的に「やっぱり教会は神様が働いておられるなぁ」と感謝を捧げることができた。
何かを決める時に、何でもかんでも多数決で決めることが、
良いとは限らないだろう。
「最大多数の最大幸福」(ベンサムの功利主義)がベストとは限らない。
短期的な視野で良いと思うことも、
長期的な視野では変わってくることもある。
また、少数の意見をこそ大切にし、
そこにこそ全体のバランスをとる何かがあるように思う。
教会は一致を大切にするが、画一主義や全体主義を勧めているわけではない。
一人一人の違いを尊重し、多数の意見があってもいい、
それでもキリストにあって一つになれるところに、
キリストの教会の豊かさがあるのだろう。
今回、両方の意見を聞きながら、お互いがお互いのことを確認できた、
そんな良い時になったと思う。
何人かの強い方々の意見にまとめられたのでもなく、
また反対の意見を悪く言うのでもない、皆が各自の意見を出し合いながら、
お互いがお互いを尊重しながら、1つの方向性を出すことができた。
中学3年生の男の子が、自分の意見をしっかりと皆の前で言うことができた、
しかも、その内容がうなずけるもので、気持ちもこもっていた。
その成長した姿を見ることができたこともにも大きな意味があった。
意見が割れている時の司会は、いろいろ気を使うものだが、
結果的に「やっぱり教会は神様が働いておられるなぁ」と感謝を捧げることができた。