星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

サービス

2007年05月31日 07時58分55秒 | 読書・映画
先週、久しぶりに本屋をぶらぶらしていて、
お目当ての本は買わずに、何となく衝動買いをしてしまった本、
丸木伊参『ユナイテッドアローズ 心に響くサービス』

ファッション関係にうとい私は、
ユナイテッドアローズ(UA)なる洋服販売店があるとは知らなかった。
とにかく徹底してお客様満足度を優先するのである。
試着室に入った客の靴を出船の方向に揃えるのは当然、
靴の汚れに気づいたら、即、磨くそうだ。
もちろん、客はこれに感動し、常連となる。
そういう逸話はたくさんあり、
顧客からの感謝の便りが続々と到着するようだ。

UAの販売員は、「お客様が心から喜んでくれたことに
私自身が感激」するという。
顧客の喜ぶ顔を見ること、どうすれば感激するかをいつも考え、
大げさなサービスではなく、小さく、ささやかなサービスをする。
たとえ小さく、ささやかな親切・配慮であっても、
心がこもっていれば、顧客の心にも届くと信じサービスをする。

最近のテレビニュースで、外資系の高級ホテルが特集されていた。
ホテルの従業員は、上司の許可なしに自己判断で、
お客のために20万円を上限として使えるそうである。
たとえば、たまたまその日がお客の誕生日だと知ると、
花束やプレゼントを用意するのだそうだ。
ここでも「最高のおもてなし」を目指している。

サービスって、少し軽い言葉のような響きがあるけれど、
実は、人を生かすこと、人を喜ばせることが根底にあるのだろう。
聖書にも「仕えなさい」という言葉がよく出てくる。
これは形式的に、あるいは「いやいやしぶしぶ」ということではなく、
相手の喜びのために、相手が生きるために何かをすること、
それが「仕える」ということなのだろう。
そして「仕える」ことができるということは、
「仕えられる」よりも、実は大きな喜びが沸いてくるのだろう。

人間は、神の形に似せて造られた。神は、人を生きるものとする。
だから、自己満足の喜びよりも、誰かに喜んでもらった喜びの方が、
はるかに大きな喜びとなり、存在意義を感じずにはおれないのだろう。
自分がしたことで、相手がことのほか喜んでくれたら、
笑顔になってくれたら、これほどの喜びはない。
そしてそれは根源的な喜びだろう。

義兄(と言っても2つ年下なのだが)が、
ウェスタン風の洋服を扱う店長をしている。
この本をプレゼントしようと思った。




亜阿相界

2007年05月29日 09時46分17秒 | 動植物から
皆で親睦会やピクニックに行くための下見を兼ねて、
河内長野市にある大阪府立花の文化園に行って来た。
田舎であるにも関わらず、駐車場1日500円、
入園料大人1人500円はいただけなかったが、
なかなかのんびりできるところでとても良かった。
(年間パスが1500円ということで、
 もし近所にあれば、必ず買っていると思う)

本来は月曜が休園のようだが、
花の季節である4月、5月は休まずに開園とのことでラッキー!
この時期の見所の1つは、バラ園だった。

妻はどのバラの香りがいいか、しきりに鼻を近づけている。
「あんまり香りばっかり嗅いでると、
 『サザエさん』の終わりの歌に出てくる波平さんみたいになるで!」
と注意をしつつ、私はバラの美しさよりも、そのネーミングがとても楽しかった。

花の形態などから付けられたと思うもの
「パーマネント ウェイブ」、「いちばん星」、
「たそがれ」、「EASY GOING」、「サプライズ」等

人の名前や固有名詞から付けられたと思うもの
「Mr.リンカーン」、「アンネ・フランク」、
「プリンセス・ミチコ」、「ラスベガス」、
「イングリッド・バーグマン」、
「クリスチャン・ディオール」等

音楽から付けられたと思うもの
「ブラスバンド」、「ALL THAT JAZZ」、
「アヴェ・マリア」、「ルンバ」、「バロック」等

バラの品種改良の多さと、ネーミングの面白さに驚く。
旧約聖書の創世記2章19節に記されている、
アダムが生物に名前をつけるのを、神様が見られている様子を思い出す。
きっと神様も微笑みながらアダムが付ける名前を聞いておられたことだろう。

大温室には、大きな袋をもった食虫植物や、
花と実がミッキーマウスの顔に見える
「ミッキーマウスの木」もあり面白かった。

サボテンのコーナーでは、バラに負けないほどに
ユニークな名前が幾つも付けられていた。
小さくてスマートで可愛い「小人の祭り」。
くねくねしてどこに伸びるか分からない「奇想天外」。
摩天楼のように見えるからか「不夜城」。

その他、いろいろなサボテンの名前があったが、
今回、私の中のネーミング大賞は、
「亜阿相界(アアソウカイ)」!!
意味はよく分からないが、「亜阿相界」と言われても、
「アアソウカイ!」と答える以外にない。
サボテンよりも、名札にシャッターを切ってしまうのであった。

約束の「石」

2007年05月28日 11時38分05秒 | 健康
医師から、「もう出たかもしれないし、まだかもしれない」
と言われていた石が、ついに出てきたのである!
日曜日の朝、トイレで少々違和感を感じていたら、
「あっ」と思った瞬間に、石が・・・。

早速、指先に乗せて妻に報告すると、
やや体を反らせながら「どうやってとったの?」と言う。
便器の中に落ちたものを拾い上げたのでは、
というもっともな推測をしている妻に、
「大丈夫、ちゃんと洗ったから。便器に落ちてないで。
 先の方にちょこっと付いてた」(失礼)と説明。

安心をしてもらって、早速2人で不思議がりながら観察した。
画像からは分かりにくいが、
石と言っても小石のように丸々したものではない。
2ミリ程度の大きさで、砂粒を大きくしたような感じである。
キャラメル色で、所々、キラリと光っている。
石の成分は、千差万別と聞いている。
私のはいったい何だろうか?

ある人は、パチンコ玉のような大きさの石が、
カラーンと便器に音を立てて出てきたとも聞いていた。
そして体外に石が出る時も、かなりの痛みがあると聞いていた。
私の場合、少々の違和感ぐらいで、本当に良かった。

多くの方にご心配をおかけしました。
再発防止に心がけていきたいと思います。
この日の夜は、約束の石が出てきたということで、
コーラで祝杯をあげました!
(こういう炭酸も、石の原因だったりして・・・)





「病気になったら」

2007年05月26日 18時41分05秒 | 健康
kayoさんのコメントを読みつつ、
思い出した晴佐久昌英さんの詩を紹介します。
幼少時から障害を持ち、病気になっている人の気持ちを
誰よりもよく知っている晴佐久さんだから書ける詩なのでしょう。


「病気になったら」

 病気になったら どんどん泣こう
 痛くて眠れないといって泣き
 手術がこわいといって涙ぐみ
 死にたくないよといって めそめそしよう
 恥も外聞もいらない
 いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
 かっこわるく涙をこぼそう
 またとないチャンスをもらったのだ
 自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを

 病気になったら おもいっきり甘えよう
 あれが食べたいといい
 こうしてほしいと頼み
 もうすこしそばにいてとお願いしよう
 遠慮も気づかいもいらない
 正直に わがままに自分をさらけだし
 赤ん坊のようにみんなに甘えよう
 またとないチャンスをもらったのだ
 思いやりと まごころに触れるチャンスを

 病気になったら 心ゆくまで感動しよう
 食べられることがどれほどありがたいことか
 歩けることがどんなにすばらしいことか
 新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか
 忘れていた感謝のこころを取りもどし
 この瞬間自分が存在している神秘
 見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
 またとないチャンスをもらったのだ
 いのちの不思議を味わうチャンスを

 病気になったら すてきな友達をつくろう
 同じ病を背負った仲間
 日夜看病してくれる人
 すぐに駆けつけてくれる友人たち
 義理のことばも 儀礼の品もいらない
 黙って手を握るだけですべてを分かち合える
 あたたかい友達をつくろう
 またとないチャンスをもらったのだ
 試練がみんなを結ぶチャンスを

 病気になったら 必ず治ると信じよう
 原因がわからず長引いたとしても
 治療法がなく悪化したとしても
 現代医学では治らないといわれたとしても
 あきらめずに道をさがし続けよう
 奇跡的に回復した人はいくらでもいる
 できるかぎりのことをして 信じて待とう
 またとないチャンスをもらったのだ
 信じるよろこびを生きるチャンスを

 病気になったら 安心して祈ろう
 天にむかって思いのすべてをぶちまけ
 どうか助けてくださいと必死にすがり
 深夜 ことばを失ってひざまずこう
 このわたしを愛して生み 慈しんで育て
 わが子として抱きあげるほほえみに
 すべてをゆだねて手を合わせよう
 またとないチャンスをもらったのだ
 まことの親に出会えるチャンスを

 そしていつか 病気が治っても治らなくても
 みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
 甘えとわがままを受け入れて自由になり
 感動と感謝によって大きくなり
 友達に囲まれて豊かになり
 信じ続けて強くなり
 自分は神の子だと知るだろう
 病気になったら またとないチャンス到来
 病のときは恵みのとき

晴佐久昌英「だいじょうぶだよ」女子パウロ会


造影剤

2007年05月25日 11時43分55秒 | 健康
尋常ならざる痛みを経験したあの日から約2週間、
尿路結石が体外に出たかどうかを調べるための検査を行った。
実は、造影剤注入は初体験。
造影剤どころか、バリウムも飲んだことがないし、
点滴すらも打ったことがない。
今までは健康だったんだなぁと思う。

バリウムのように飲むものとばっかり思っていたが、
造影剤を静脈に注入し、X線で撮影し、
スムーズに流れているか否かを診るようである。

説明書には、造影剤の副作用が記されており、
「10~20万人につき1人の割合(0.0005%~0.001%)
 で死亡するする場合もあります」とあり、
同意書に署名を求められた。
「10万人~20万人につき1人」と言われると
「もしかして・・・」と思うけれど、
「0.0005%~0.001%」と但し書きがあるので、
「それやったら大丈夫やな」と思うのが不思議だ。
数字のマジック!?

結局、石は出ているかもしれないし、出ていないかも・・・、
というぐらい小さな石で、「もしかしたらこれかも」と、
小さな小さな白点を示された。
「まぁ順調に流れているので、時間の問題でしょう。
 よく水を飲んで、走ったり等、運動して下さい」とのこと。

帰宅後、しばらく体のだるさが続いたが、
造影剤による軽い副作用のようだ。

それにしても、この検査で5000円近くの医療費。
今回の結石で、4回診察してもらい、医療費もばかにならない。
やっぱり普段の生活習慣で病気を予防しておくことが大切だなぁと思う。

周囲の牧師たちの「結石ブラザーズ」の仲間入りを果たしてしまったが、
「4回目!」などと笑って言われる「再発組」への仲間入りは、
何としても阻止しなければと思うこの頃であった。



ゴリアテ

2007年05月24日 10時26分08秒 | 教会学校
日曜日、ピクニックに出かけるということで
子どもから大人まで一緒に礼拝を捧げた。

旧約聖書サムエル記上17章に出てくる巨人ゴリアテを
少年ダビデが倒す有名なシーン。
身長が6キュビト半(2メートル86センチ)!
子ども大人も「そんな奴おらんやろう」と思いやすいので、
まず現代、世界で一番背の高い人のお話しをした。

その人はウクライナに住むスタドニックさん。
身長2メートル53センチ!
10年以上前に、難波にある大阪府立体育館の近くで、
バレーボールの選手とすれ違ったことがあるが、
ただでさえ小さな私だが、彼らがまるで別世界の人々に思えた。
恐らく2メートル前後だろう。
そのバレーボールの選手より50センチ高いのだから、驚きだ。

そしてさらにスタドニックさんよりも33センチ高いゴリアテ。
前日に実物大のゴリアテを作成した。
さすがに作成するのが大変で、何度も「やめとけば良かった」と後悔。
しかし驚く子どもたちの顔を楽しみにしながら完成した!
イラストを拡大したので、頭が大き過ぎるけれど、
身長は実物大で同じである。

我ながら、さすがに大きいなぁとしばし見つめる。
イスラエルの勇士たちが震える中、少年ダビデが戦いに挑んでいく。
その勇気は、やはり16章でサムエルから祈ってもらい、
聖霊の力を頂いていたからであろう。

問題や困難が大きいことが問題ではなく、
問題よりもはるかに大きい神に頼っているか、
神の力を信じているか、それが問題であることをつくづく思う。
時々、このゴリアテを出してみて、自問してみるのもいいだろう。

しかしこのゴリアテを、
どこにどうやってしまおうかと悩んでいるのであった。

ピクニック

2007年05月22日 07時57分04秒 | 教会学校
日曜日の礼拝後、「せんなん里海公園」へピクニックに出かけた。
子どもと大人で総勢40人ぐらい。
下見に訪れた時は、ゴールデンウィークだったので、
どこもかしこも人だらけだったが、
駐車場のおじさんによると「GWの1/3ぐらい」ということで、
程よい人並みで、「のんびリング」することができた。

時々私を蹴ったり「浣腸」したりしてくる小2の男の子と、
ずいぶん長い間、二人でキャッチボールをした。
きっと二人の友情が深まったと思う!

車の中では、小6の男の子と色んな話しが出来て楽しかった。
途中にあった「100KING」(15分100円でいろいる遊べる施設)に、
連れて行く約束もさせられた!
(これは暗唱聖句を5つ覚えたら、とか何か課題を作らねば)

天候もよく、ミニ運動会でもそれなりに楽しめた。
今回の様子だと、来年は点数表を作り、
本格的に赤組と白組に分かれ、競技をもっと増やすと
きっとさらに盛り上がるだろう。

さすがに潮干狩りをする人はいなかった。
危険と言われる大阪湾のあさり。
でも、実際は浜辺で撮ったあさりは、
大阪湾産ではない別のあさりと交換するらしい。
やっぱり商売やなぁ。

外に出て一緒にお弁当を食べ、
普段以上の交わりをし、体を動かす、
心にも体にも何と健康的なことか。
もちろん、その日の夜、次の日と、
足の痛みは否応なしに襲ってきた・・・。



少しだけ

2007年05月19日 11時39分21秒 | 動植物から
うさぎ君の出来事の続き

教会の玄関前に置かれていたうさぎ君たち、
いよいよ受け入れ先のH小学校に連れて行くことになった。
段ボールからもう一度バスケットに入れ、車で向かった。

このご時勢、小学校の門は閉められており、
いかにも田舎のおっちゃんという感じの守衛さんが、
私たちを職員室へ案内してくれた。

教頭先生から話しを聞いていた校長先生が応対してくれて、
うさぎ小屋に案内してくれた。
途中、子どもたちが校長先生に「絶好調!」と何度も声をかけていた。
校長先生は「いつも絶好調じゃないんやけどなぁ」と
独り言のように言っていた。
恐らく全校朝礼で、「絶好調」についての訓話をしたのだろう。

その絶好調校長に連れられてきたうさぎ小屋には、
白いうさぎが十数羽おり、あっちこっちに動き回っていた。
気さくな校長先生としばらく雑談をした後、
担当の先生がおられなかったので、
うさぎ君たちをバスケットに入れたまま
校長先生に預けて車に向かった。

この時、実は、私は「寂しかった」のである。
朝の5時から半日の間、悪戦苦闘しながら一緒に過ごしたうさぎ君たち。
「白うさぎにいじめられないだろうか」
「環境に慣れるだろうか」
「小学生は優しくしてくれるだろうか」
いろいろ思いながら、やはりうさぎ君たちとの別れが
正直、寂しかったのである。

ここで、初めて私は、うさぎ君を教会に置いていった人の気持ちを
少しだけ理解することができたのであった。
内心、「ほんまに無責任やなぁ」、
「生き物を飼うんやったら、最後まで面倒みな~」、
「せっかくのお休み、予定が台無しやわ~」、
実は、そんなことを思っていたのだった。

しかし、たった半日一緒にいただけで寂しさが込み上げてくる。
きっと元の飼い主は、断腸の思いで教会の玄関にうさぎを置いたのだろう。
「母親と子ども」ということなので、子どもの「ぼく」が産まれた時から、
ずっと世話をして見守ってきたのかもしれない。
何度も何度も玄関に置いたバスケットを振り返りながら、
「ごめんなぁ。病気になってどうしても育てられへんねん」、
そんな思いでいっぱいだったんじゃないだろうか。

「おのおの自分のことばかりではなく、
 人のことも考えなさい」という聖書の言葉を思い出した。
正義論だけでは、人の心は見えてこないだろう。
うさぎ君たちと別れる寂しさを味わって、
少しだけ元の飼い主の気持ちを知ることができた。

元の飼い主さん、
教会で「はな」と「ぼく」を飼えませんでしたが、
気さくな絶好調校長に預けてきました。
きっと担当の先生が責任をもって育ててくれると思います。
そしてピーターラビットのような「ぼく」君も、
子どもたちから可愛がられると思います。
元の飼い主さんの寂しさが、慰められますようにお祈りします。


あきらめずに

2007年05月18日 09時39分37秒 | 動植物から
前々回からの続き

突然の訪問客(?)となった2羽のうさぎくんたち。
いろいろ考え、またある方のアドバイスもあり、
市内の小学校で飼ってもらえないか聞いてみることにした。

まずは教会に一番近い小学校に電話した。
名前を名乗り、教頭先生に電話に出てもらい、
今朝からの出来事をお話しし、飼ってもらえないかお尋ねした。
「急なことなので、少し考えさせて下さい」とのことで、
お電話を頂けることになった。

優しそうな女性の教頭先生で、
「もしかしたら」という期待のもと電話を待っていたが、
しばらくして「残念ながら・・・」とお断りの電話があった。

そこで電話帳を見ながら、私の母校も含めて、
市内の小学校に電話をかけてお願いをした。
 「文鳥を飼っているので」
 「飼料代が高いので」
 「飼育小屋がないので」
 「世話をする者がいないので」
だいたいどこの小学校もそういう返答だった。

電話での問い合わせ時間は、数分間、
ほとんどの教頭先生は、忙しい中、親切に応対して下さった。
しかし中には、私が「キリスト教会の牧師ですが」と言うと、
明らかに怪しい宗教関係者と思い込み、
不快感をあらわにしながら、
「教頭は忙しいので、勤務時間外にして下さい」と
内容も聞かずに「ガチャ切り」されてしまった・・・。

それでも諦めずに、近くにある保育園にも電話した。
しかし優しく断られた。
結局、市内に13校ある小学校の内、11校に断られた。

人間、短時間の内に、何度も何度も断られると、
だんだん気が滅入ってくるものである。
セールスをしている方の気持ちが少し分かるような思いをした。
(この頃、私の頭の中には、NHK『プロフェッショナル』で、
 挫折の場面を流す時のBGMが流れていた)

こうなったらとりあえず市内13校、全部に電話をしようと思い、
最後の2校の内の1校、H小学校に電話をした。
気さくな教頭先生が、親身になって相槌を打ってくれた。
そして「担当の先生と相談しますので、少しお待ち下さい」と言われた。
良き返答が期待できそうな雰囲気だったが、
何せ11校と1保育園に断られているので、
甘い期待はまだしてはならないと、自分に言い聞かせ返答を待った。

そしてついに良き知らせを聞いたのである。
「我が校には、たくさんうさぎがいます。
 もし一緒でよければ、いいですよ」とのこと。
電話口でいつもより20度は深く折り曲げながらお辞儀をし、
その日の午後にうさぎくんたちをH小学校に連れて行くことになった。

(あと1回だけ続きます)

はてさて

2007年05月17日 10時38分26秒 | 動植物から
「バスケット」の続き

バスケットが置かれていた辺りを見渡すと、
猫かイタチのようなものが走って逃げ去った。
今は朝の5時、いつから置かれていたのだろうかと思いつつ、
とりあえず玄関の中にバスケットを移動した。

さてさて「うさぎ」くんたちをどうしたものやらと、
まず動物好きで以前にうさぎを飼っていたHさんと、
同じくいろいろな動物を飼っているSさんに、
事情を説明し、飼ってもらえないかメールをした。

ほどなくSさんからRE:MAIL。
「残念ですが、飼ってあげられません」とのこと。
Sさんは、上の娘が神戸に下宿するようになったので、
もしやと思いましたが・・・。

1時間ぐらいしてHさんからもRE:MAIL。
「うー。心が揺れましたが☆☆
 めいちゃん(室内の愛犬)も居るし
 やっぱり無理です」とのこと。
Hさんは、家の外にも犬が2匹いるしなぁ、確かに。

またまた程なくしてSさんからメールがあり、
職場の食堂に張り出すので、写メールが欲しい、とのこと。
いろいろ心配下さり感謝だった。

小さなバスケットに2羽も入っているので、
とにかく移してあげないとと思い、
大きい段ボールに新聞紙を引き、妻と二人で
悪戦苦闘しながら何とか移してあげた。
お腹がすいているらしく、置き手紙の横にあった
ドッグフードのような餌をあげると、
ボリボリボリボリ食べていた。

ここで私の目と鼻が反応し、くしゃみの連発が始まり、涙目に。
猫アレルギーなのは知っていたが、
うさぎにも反応するなんて・・・。
(妻も動物を飼ったことはなく、
 私のお世話だけで大変などとのたまい給う)
教会で飼ってあげたいのはやまやまなのだが、
やはり無理なようだ・・・。

はてさて、どうしたことだろうと思いつつ
またまた続く・・・