星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

大掃除

2007年12月31日 11時40分59秒 | 日常の出来事
昨日で今年の教会行事が全て終わり、
今日からお正月の準備に取り掛かっている。
教会の古いカレンダー6枚を新しいものに張り替え、
掲示板に「謹賀新年」、看板に元旦礼拝の案内、
礼拝堂の御言葉掛け軸を来年度のものに張り替えた。

そしてかねてから妻に約束させられていた「窓拭き」を実行。
一昨日ぐらいから強風で、出窓には否応なしに雨風が吹き付けていた。
「もしかしたら、窓拭きは勘弁してもらえるか!?」と思いきや、
「晴れてきたから大丈夫やねぇ」とのお言葉を頂戴した。

住まいが教会の3階なので、ただでさえ風がきつく、
雨はやんで晴れたものの相変わらずの強風。
心の中で「強風注意報発令中」とつぶやきながら、
年末年始を気持ちよく過ごすために3階の窓を拭ききったのであった。

教会の大掃除は11月に終わっているので、
我が家の住まいだけで、しかも夫婦2人なのでそんなに汚れていない。
後は書斎に山のように積もっている書類を整理するだけである。

思えば、幼い頃から大掃除の窓拭きとお風呂掃除は、
何故か私の仕事と決まっていた。
お風呂掃除では「カビキラー」の臭いと戦いつつ、
ピカピカにして大晦日の一番風呂に入ったものだった。

大掃除は日本だけのものなのか?
海外でもそういう習慣があるのだろうか?
とにもかくにも、新しい年を新しい気持ちで迎えるために、
大掃除をするということは、良いことだなぁと思う。

自分の背中

2007年12月29日 11時33分36秒 | Weblog
数年ぐらいあ前からだろうか、背中にある2つの肩甲骨の間に、
直径2センチぐらいの脂肪のかたまりのようなものがある。
20代を過ぎ、30代も半ばになると、シミやらシワとか、
いろいろなものが体に出てくるなぁと感じていた。
もしかしたらコブになるのかなぁと思っていた。

ところが数日前からその背中のかたまりに痛みが走り出していた。
「痛みがないから良性の腫瘍みたいなものじゃないの」と言っていた妻が、
「どれどれ」と心配そうに私の背中を見ると、
そのかたまりがやや赤くなり、少し膿んでいるようであった。

早速妻に消毒をしてもらい、痛みが引かなければ、
年明けにでも皮膚科で診てもらおうかと話している。
(どうせ大したものではないと思うのだが・・・)

「蕁麻疹(じんましん)の影響じゃないの?」と
全くの素人診断をする妻に、自分の手が充分に届かない場所に
入浴前にはバンドエイドを貼ってもらったりしている。
ありがたいことだなぁと思う。

そういう自分の背中のことを考えていると、
高校生の時に学校の図書室で借りた山本周五郎の『さぶ』の1節を思い出した。
(正確に言うと『さぶ』で覚えているのは、この台詞だけである!)

それは
 「どんなに賢くっても、
  にんげん自分の背中を見ることはできないんだからね」
という言葉だ。

今年も1年が終わろうとしている。
自分で自分のことはみな分かったつもりでいるようなことが多いが、
自分で自分の背中を見ることはできない。
自分の目には見えない自分の良くないところ、
知らずに犯している罪がきっとあるだろう。
神様の前に悔い改めてきちんと心の大掃除をして新年を迎えたい。
背中の小さな痛みから、そんなことを考えていた。

シンフォニー

2007年12月28日 10時18分37秒 | Weblog
教会員の所属する交響楽団の定期演奏会に招かれて、
25日のクリスマスの夜、とっても優雅なひと時を過ごした。
高速を降りてからやや混んでいたために、15分前の到着となり、
座席は前の方しか空いていなかったが、
近くで教会員の演奏している姿を見ることができた。

入場してきた時、「目があったかなぁ?」と思うが、
私たちが前の方に座っていることには気づいていたようだ!
少々緊張している様子がこちらにも伝わってきた。
ヴィオラを始めて1年経たないうちに、
こんな大きな会場で演奏するなんて、すごいなぁっと思った。

指揮者に合わせて、楽団がシンフォニーを奏でる、
素晴らしいなぁって思う。
聖書に「心を合わせる」という言葉が何回も出てくるが、
それは「スンフォーネ」というギリシア語で、
シンフォニーの語源となっている言葉だ。

管楽器、打楽器、弦楽器、違った音色だけれども交響曲、
互いの音が交じり合い響きあい、指揮に合わせて一つとなって、
シンフォニーとなってハーモニーを奏でる。
美しい調べの中で、心を合わせるとはそういうこと何だなぁと思っていた。

キャンドルサービスコンサート

2007年12月27日 12時56分38秒 | 聖書・賛美・メッセージ
23日の夜、岩渕まことさんを迎えて
キャンドルサービスコンサートが開かれた。
教会員以外に51名の方々が訪れて下さり、
クリスマスの夜をご一緒に過ごさせて頂いた。

シンガーソングライターの岩渕さんは、
やはり歌い手(芸能人)としての独特のオーラがある。
しかしそのオーラは、人を寄せ付けないものではなく、
人を暖かく包み込むものである。
舞台に立った瞬間から、すでに会衆と1つになっていた。

私の好きな「祈り」や「願い」、
そしてサウンドチェックの時には歌われていた「旅人たちの街」は、
歌われなかったが(リクエストしておけば良かった・笑)、
星野富弘さんや横田早紀江さんの詩に作曲された曲を、
心に沁み込むギターの音色を奏でながら歌われた。

今年はコンサートの終盤にキャンドルサービスをもった。
「わたしは世の光である。
 わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、
 命の光をもつであろう」ヨハネ8章12節

世の光として来られたキリストの光を、
1人が1人が心に写し帰して頂くことをお勧めした。
「来て良かった」、多くの方々がそんな思いをもたれたようで感謝だった。





クリスマス祝会

2007年12月26日 11時16分49秒 | 聖書・賛美・メッセージ
23日の午後は、クリスマス礼拝に引き続いて祝会があった。
いつもよりもご馳走が出て、いろんな出し物があり、
けっこう楽しみにしている行事である。

今までに「ものまね」大会があったり、
恒例の電車クイズ、スピーチ、楽器演奏、
今年はヴィオラの演奏があった!

また「この人は誰だ?」ということで、
幼少の頃の写真を持ってきてもらい、
その人は誰かを当てて、商品をゲットする。
全然分からない人もいれば、「そのままやん!」と思う人も。
親子でそっくりな方もいて驚いた。

約50人の出席で、とても楽しいひと時だった。
料理は全て手作りで、みんな喜んで食べていた。
ケーキもなかなかこっていて、売り物のようだ。



きっと私たちがキリストの名によって集まるところに、
イエス様もご一緒して下さって微笑んでおられたと思う!
「見よ、兄弟が和合して共におるのは
 いかに麗しく楽しいことであろう」詩篇133:1

今年は企画の段階で関わったり、写真のパワーポイントも作ったが、
来年は全部をお任せしたいと思っている!



クリスマス礼拝

2007年12月25日 10時46分21秒 | 聖書・賛美・メッセージ
世界で初めのクリスマスに、東の国の博士たちがやってきた。
彼らはユダヤ人ではなく、遠い国の外国人。
それでも救い主の誕生を心から喜び、お祝いした。

今年のクリスマス礼拝には、中国の方々、カンボジアの方、
そしてアフリカはマリ共和国の方々が集い、
共にクリスマス礼拝を捧げることができた。

彼らは近くの国際交流センターで学んでいる方々で、
本国の研究所員であったり、外交官であったりと、
国の要職に就いている方々である。
さながら「西の国から来た博士たち」のようだ!

「全ての人に与えられる大きな喜び」と聖書にある。
クリスマスに国境はない。
どんな人もクリスマスの喜びに預かることができる。
お正月をおめでたく迎えられない人も、
クリスマスはそういう人の悲しみに慰めを与える日となる。

老若男女、全ての人に与えられる大きな喜びを感謝しつつ

キリストの誕生日

2007年12月22日 13時44分30秒 | 聖書・賛美・メッセージ
明日12月23日は祝日で、平成天皇の誕生日である。
皇后陛下の誕生日は、10月20日で我が妻と同じ。
皇太子はの誕生日は、2月23日でいずれこの日が祝日になるかも。

昭和天皇の誕生日は、4月29日と記憶に新しい。
しかし大正天皇の誕生日が8月31日、
明治天皇誕生日が11月3日(文化の日)、
ここまで言えるとなかなかの皇室ファンだろう。

世界史を紐解くと、時の元首や国王、皇帝の誕生日は、盛大に祝われている。
しかし、それはその国王や皇帝の生きている間だけのことである。
大正天皇や明治天皇は、死去されたのだから、
もう国民が誕生日をこぞって祝うことはしない。

昨年はモーツアルトの生誕250周年で、
沢山のCDや書籍が販売されていた。
またオランダの画家レンブラントの生誕400周年で、
各地でレンブラント展が開かれたいたようだ。
それは区切りの年だから記念しているのであって、
毎年毎年モーツアルトとレンブラントの誕生日を
世界中が祝っているわけではない。

クリスマスはイエス・キリストの誕生日。
1000年、2000年という区切りのいい年だけ
クリスマスが祝われてきたのではない。
約2000年に渡って毎年毎年クリスマスが世界中で祝われてきた。  
普通は死んだ人の誕生日は祝わない。
でもクリスマス、イエス様の誕生日はお祝いされる。

何故?
それはイエス・キリストは死んでいなくなった方ではなく、
今も生きておられるからである!
今年も何十億という人々がキリストの御降誕をお祝いする。
それはキリストが私の人生を変えて下さった、救ってくれた、
そして信じる者と共にいて下さり、
今も生きておられることを心から感謝してお祝いするのである。

 「この方(キリスト)は常に生きていて、
  人々のために執り成しておられるので、
  御自分を通して神に近づく人たちを、
  完全に救うことがおできになります」へブル7章25節

551?

2007年12月21日 11時17分30秒 | 妻とのこと
何かで忙しくしていて私の手が放せないので、
妻が表の案内板にポスターを貼り付けていた。
そしてしばらくして戻ってくると、
「ポスターを貼っていたら、お向かいの○○さんが、
 551を持ってきてくれた!」と言った。

私は内心
「お、551の豚マン美味しいねんなぁ。久しぶりやなぁ。
 お向かいさんとの物々交換もなかなかやなぁ」
と思っていた。

さらに妻は話しを続けて、
「なかなかガラス戸が開かなくて、
 551で滑りやすくなったわ~」とのこと。
その時点で気づいた私は、
「それは551じゃなくて、5-56!
 KURE5-56のスプレーやろ!」と訂正した。
「あー、それそれ」との返事。

ちなみに551の由来は、
「『551(ここがいちばん)』
という語呂合わせから来ているもの」らしい。

そして5-56の由来は、
「商品を開発した米国のケミカルメーカー「CRC」の創立時の住所が
 フィラデルフィア州の「1丁目16番地」だったので、
 最初の商品が『1―16』と命名されました。
 そのまま商品がバージョンアップするたびに2-26・・・3-36と続き、
 現在は5-56なんだそうです」とのこと。

それにしても先日の「肉襦袢」と「肉布団」といい、またしても勘違い。
私の心はまさに
「551が無い時~」状態になってしまった。
ちゃんちゃん。


盗まれた!?

2007年12月20日 08時33分21秒 | 日常の出来事
近くにある「りんくうプレミアムアウトレット」の周辺は、
もともと海だったところを埋め立ててできた空港の前島である。
もう前島という言い方もしないけれど。
最近は旧パパラの跡地に「シークル」が営業され、
観覧車も復活し、土日祝はいっそうたくさんの人々が訪れているようだ。

以前からりんくう周辺を車で通っていて気になっていたのが上記の画像。
街路樹の横に2本の鉄棒らしきものがある。
「木を支えている訳でもなさそうだし・・・」と思っていると、
同じりんくうの違う道路に、下記の姿を発見した。



携帯画像なので見にくいが、お分かりになるだろうか。
街路樹が倒れないように、鉄棒の周りに丸い柵が2本あるのだ!
この2本の柵がある街路樹と無い街路樹がある。
恐らく金属泥棒にやられたのだろうと思う。

銅線や側溝のフタや様々な金属が盗まれているというニュースが
一時期報道されていたが、ここもやられていたのか・・・。

もう数年前になるが、教会の玄関横の木にクリスマスシーズンに付ける
イルミネーションが盗まれていたことがあった。
それ以来、ビニールにまかれた細い針金でイルミネーションと植木を結んでいる。
以前は鉢に植えていたお花も盗まれたそうだ。
3株植えていて、真ん中の一番高いお花がなかったそうである・・・。

「汝、盗むなかれ」という十戒を思い出すのであった。

エキスポランド

2007年12月19日 15時19分57秒 | 日常の出来事
今年から入るように任命された委員会が、
エキスポランド近くのホテルで開かれ、
先ほど帰ってきたばかりで少々お疲れモード。
昨日は夜中の0時半ぐらいに終わった・・・。
これでも例年に比べれば早い方だとのこと。

多分初めてモノレールに乗り、「万博記念公園」で降りた。
駅前も何だか閑散としており、人影もほとんどない。
大きな遊園地なのになぁと思っていると、
「そう言えば、5月の事故などで、休園しているんだ」と思い出した。
大きな「太陽の塔」もひっそりと立っていた。

1970年開催の万博、私は1972年生まれ。
関西教区の男性牧師の中で一番若い私は、
「万博の時、私はまだ生まれてなかったんですよ!」
と言うと、40代、50代、60代の先生方は一様に驚かれる。

きっと十数年後には、
「私、平成生まれなんです!」と若手の牧師に言われ、
「え~!」と今度は自分が驚く声をあげているんだろうなぁ。