星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

愛用のペン

2008年06月28日 09時55分13秒 | 日常の出来事
普段、私が愛用しているボールペンは、
「MITSUBISHI uni-ball Signo」のシリーズである。
若干、インクの質に不足を感じるが、
数あるゲルインクボールペンの中では、
一番使いやすく、かれこれ10年は同じシリーズを使用している。

その中でも、ブルーブラックとボルドーブラックを愛用している。
様々な原稿に手直しをする際、赤色のペンだと目がチカチカするが、
ボルドーブラック(いわゆるワインレッド)だと、
目にも優しく、また原稿に修正加筆した部分が一目瞭然なのだ。
そして下手な私の字が、このペンだと少しましになるから不思議だ。

定価は150円なのだろうが、だいたい120円で購入している。
月に2-3本は使い切っている。
私が愛用しているので、いつの間にか妻も使用するようになり、
すぐに見当たらなくなってしまうのだ!

だいたいいつも胸のポケットには、このペンがささっている。
時々、年に1度か2度は、ワイシャツにペンをさしたまま
洗濯をしてしまうことがある・・・。
先日も妻が入院中の洗濯にやってしまった。

120円だからということもあって、いろいろと置き忘れることもある。
そこでいつもだいたいまとめ買い(大人買い?)をする。
もう少し余裕が出たら、万年筆を使ってみたい。
いつの日か、自分へのプレゼントして!

臆病

2008年06月27日 09時10分19秒 | 聖書・賛美・メッセージ
毎日のように報道される極悪非道のように思える事件。
お昼ごはんを食べながらでは、食欲が減退してしまう。
ニュースと言えば、Bad Newsであり、
もっとほのぼのとするようなGood Newsを流せば良いのに。

ヨハネの黙示録に「罪のリスト」が以下のように出てくる。
 「おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、
  人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、
  偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、
  火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである」

どうして「おくびょうな者」が一番先にあげられるのだろうと思った。
人殺しとか、不倫などを含めた姦淫とか、
そういうものが先にあげられてもいいはずだろうと思った。
実際ワイドショー的なニュースでは、
いつもそういうものが大きな話題となっている。

自分自身が「おくびょう」なので、余計に思うのかもしれないが、
臆病というのは、性格傾向、本人の気質であって、
神様に喜ばれない「罪」という意識が私には殆んどなかったのだ。

しかし、どうして臆病になるのかを考えてみると、
それは神様を信じる心、信頼する心が小さいからなのだ。
もっと神様にゆだねて、任せて、信じていけば、
いちいち不安にならなくてもいいし、臆病になることもないはずだ。

この小さな心、不必要に不安になったり、臆病になってしまう心を、
神様を信じる思い、任せる思い、ゆだねる思いで満たしていきたいと思う。

カエルの歌

2008年06月26日 13時29分06秒 | 日常の出来事
教会横の田んぼに水が入り、田植えの時期になると、
いっせいに「カエルの大合唱」が始まるのだ。
しかもそれは夜の夜中で、けっこう大きな鳴き声が、
あたり一面に響き渡っている。

冬の間は冬眠をしているであろうカエル君たちが、
夏のはじまりと共に目を覚まして、
「ゲコゲコゲコー、ゲコゲコゲコー」
と鳴き続けている。

あの鳴き声は、求愛の鳴き声だと聞いたことがある。
雄のカエル君が雌に向かって、
「僕はここにいるよ~!ゲコゲコー」
と叫んでいるかと思うと、頑張れ~、頑張れ~と
思わずエールを送っている。

眠れぬ夜、寝苦しい夜、
すぐ隣の田んぼにいるカエル君たちの鳴き声を聞きながら、
「あー彼らも生きているだなぁ。
 一生懸命叫んで、生きているだんなぁ」
と思いつつ、いつしかこちらもスヤスヤと眠っている。
(妻に言わせると、ガーガーだそうだが・笑)

代えられない

2008年06月25日 08時09分48秒 | 聖書・賛美・メッセージ
妻の母がおられた時、ほとんどどこにも連れて行けなかったので、
せめてもと思い、日帰り温泉に行き、一緒に外食をした。
普段あまり外食をしない私たちだが、
母への感謝の思いも込めて、ちょっと張り込んでみたのだ!

いつもは安いくるくる回る回転寿司に行くのだが、
同じ回転寿司でもとても高い店に連れて行ったのだ。
やはりネタが違う!めちゃくちゃ美味しい!
母もとても喜んでくれたので嬉しかった。
北海道にはない「赤出汁」の味噌汁も、
お口に合ったようで喜んでおられた。

美味しいものを食べると、
わざわざ家に帰ってカップラーメンを食べようとはしない。
お腹の中は、美味しいもので満たされているからだ。

聖歌521番に「キリストにはかえられません」という名曲がある。
「世の楽しみよ 去れ 世の誉れよ 行け
 キリストにはかえられません
 世の何ものも」 というコーラス部分がある。

これは何も禁欲的な歌ではない。
「キリスト以外のものは、駄目!」、
「世俗化された楽しみは、信仰上良くない!」
そんな内容ではないのだ。

美味しいお寿司を食べた後に、
わざわざ美味しくないものを食べようとしないように、
キリストの素晴らしさを知ってとても喜んでいるのだから、
わざわざ他のもので心を満たそうとしないのである。

禁欲的に「キリストには代えられません」と歌うのではなく、
感謝に浸りながら「キリストには代えられません」と歌うのだ。
 

阪神ファン!?

2008年06月24日 07時51分20秒 | 驚いたこと
私は、ちょっぴりの阪神ファンである。
何が何でもタイガースというほどでもなく、
試合を見ないと落ち着かないこともなく、
結果的に阪神が勝つと嬉しいなぁという程度だ。

東京にいる時、神宮球場へ一度だけ試合を見に行った。
7回に風船を飛ばしたことは、とても楽しかった!
一度は機会があったら、甲子園で阪神戦を見てみたい。

先日の日曜日の夕方、甲子園の近くにある教会を訪れていた。
帰りに近くのコインパーキングに車を取りに行くと、
一台の車が、バックで駐車をしようとしていた。
かなりずれてバックしてきたが、ハンドルを切るだろうと思っていたら、
そのままポールめがけて突っ込んできたので、
思わず「ストップ、ストップ!」と大きな声をかけたのだが、
そのまま思いっきりポールにぶつかった!

運転席から出てきたのは、かなり派手な関西のおばちゃん。
「あちゃー!」という声と共に、すぐに車を確かめた。
「おー、へっこんでない!」と言われるので、
「こっちのバンパーがずれましたよ」と教えてあげると、
またまた大きな声で「あー、くそー!!!」と言いながら、
何度も何度もバンパーを叩くのだ。

そんなに強引に叩いても・・・・。
ポールに激突したくらいの勢いで、何度も何度も・・・。
そして「今日は朝からついてへんねん。
もしかしたら、今晩、阪神負けるんちゃうかー!」
と大きな声で言いながら、バンパーを叩き続けていた。

恐るべし阪神ファン・・・。
もちろん皆ではないだろうけれど。
私の甲子園応援デビューは、さらに遠のいたように感じた(笑)

サムエルから

2008年06月21日 10時18分16秒 | 友だち・人物のこと
数ヶ月の間、一緒に礼拝を捧げたサムエルさんからメールが届いた!
マリ共和国というアフリカにある国で、
サムエルさんに会うまでは全く気にもとめなかった国だ。
でも今は、アフリカのどこの国よりもマリ共和国を近くに感じる。

前に立って話しをしているのがサムエルさんだろうかと思ったが、
きっと写真を撮っているのがサムエルさんだろう。
数百人いる教会と聞いていたので、大きな教会をイメージしていた。
でもやはりイスラム教国、いろいろと迫害もあるのだろう。
現在、会堂建築を計画中だとのことだ。

メールは全てローマ字(とこどころ怪しい・笑)の日本語で記されており、
何だかテレビドラマの回想シーンのように、
サムエルさんのやさしい声が聞こえてくるようだ。
手紙の最後は、こう締めくくられていた。

 Sensei, okusan wa doo desuka,
 kuru toki chotto byooki deshita kara.
 Watashiwa anata no tame ni inorishimasu.
 Watashi no koto wasurenaide kudasai.
 Rachel mo genki desu.
 Watashi ni shinsetsuni shite kudasatte
 kokoro kara arigatoo gozaimashita.
 Dewa ja matta!!!!!!!

「ワタシノコト ワスレナイデ クダサイ」
もちろん忘れませんよ!日本とマリで互いに祈り合える幸いを思う。
良き友人、神の家族を与えて下さった神様に感謝します。

まさか!?

2008年06月20日 07時57分49秒 | 聖書・賛美・メッセージ
牧師のお話しの中で、時々使われる例話がある。
その1つに「人生には3つの坂があると言われます」、
という例話がある!
今まで5回ぐらいは聞いたことがあり、
自分自身も3回は語ったことがあると思う(笑)

出所はよく分からないが、
私自身は柏木哲夫ドクターの「生きていく力」で
初めて知ったような気がする。
(この本は、老いについて、人生について記されていて、
 2500人以上の人々を看取った医師の言葉で、
 確信と優しさに裏打ちされている)

さて人生には3つの坂がある。
1つは上り坂。順調に物事が進んでいる時だ。
そして下り阪。何をしても上手くいかないという時だ。
そして3つ目は、「まさか」という坂。
「まさか自分にこんなことが起こるなんて」
「まさか自分の家族がこんなことになるなんて」
そういう場合の「まさか」である。

誰しもそういう「まさか」を経験するものである。
「まさか」の後には、だいたい良くない出来事が続く。
そしてそういう「まさか」を通った時、
神様を信じていることが大きな支えとなるのだ。

そして私はもう1つの「まさか」があると思うのだ。
「まさか」の後に続く、喜びや感謝の出来事である
「まさか神様が、こんなことをしてくれる何て!」
「まさか自分の人生に、こんな素晴らしいことが起こるなんて!」
「最初は嫌だなぁと思っていたけれど、
 まさかこんな結果が待っていたとは!」

そういう神様が与えてくれる喜びの「まさか」、
神様を信じている者が体験できる醍醐味だと思う。


自分を誇らない

2008年06月19日 08時56分40秒 | 友だち・人物のこと
浜名湖の聖会で、私が楽しみにし、期待している1つのことは、
川崎のS先生の味わい深いメッセージを聞くことだ。

どうしてこんなに自然体でおれるのだろうかと思う。
どうしてここまで自分をさらけ出せるのかと思う。
どうしてこれほどに優しい視点をもってるのだろうかと思う。

正直に言うと、神学生時代は、S先生のメッセージが良くわからなかった。
何となくまどろっこしいような、はっきりしないような、
私は学生のくせに、偉そうに、そんな風に思っていた。
しかし今、S先生のメッセージが心に沁みてくるのである。

自分を飾らずにおれるのは、イエス様を一心に信じておられるからだろう。
自分の失敗を誠実に語れるのは、イエス様を見つめておられるからだろう。
自分のことを全く誇らないのは、イエス様をただ誇りとしているからだろう。

そんな大先輩のS先生が、私のような若輩者の前に来て座り込み、
「先生、私のために祈ってくれませんか」と言われるのだ。
腰をかがめて、弟子たちの足を洗われるイエス様の姿が、
S先生の内に映し出されていた。

祈りの中で

2008年06月18日 11時38分39秒 | 聖書・賛美・メッセージ
月曜日から火曜日まで、祈りの山である「浜名福音荘」に行ってきた。
去年からお世話役ということになり、
案内の発送や受付、会計、お風呂の準備、シーツ、部屋割り、
そして司会にメッセージにと1人何役もこなす2日間だった。
それでも関東や関西から20名以上の方々が来られ、
一緒に祈ることができたことを心から喜んでいる。

1日目の夜、集会後の事務処理と打ち合わせを終えて礼拝堂に向かうと、
何人もの方々が神様の前に膝をかがめて祈っておられた。
教会に集う1人1人の顔を思い浮かべながら、
それぞれの必要や現状を覚えながら、私も後ろの方で祈り始めた。

「祈らなければならない」っという気持ちではなく、
神様に祈っている中で、魂が深呼吸するようなそんな思いだった。
しばらくの間、じっくりと神様と交わることができた。

関東では、温泉かけ流しの湯があったり、
有名な講師を招いていたり、美味しい料理が出る祈祷院があるそうだ。
しかしこの施設は、老朽化していたり、とても地味な聖会だ。
それでも、温泉に入りに来たわけでもないし、
美味しい料理を食べに来たわけでもない。
有名な誰かに会いに来たのでもなく、
ただ神様の前にゆっくりとじっくりと膝をかがめに来たのである。

ただそれだけなのに、とても嬉しいのだ。
魂が嬉しいのだ。そんな2日間を過ごさせて頂いた。

我が家の風景⑦

2008年06月14日 07時21分33秒 | 妻とのこと
食卓に置かれている御言葉(聖書の言葉)カード。
このカードをそんなに引いたことはなく、
置物のように置かれている。

カードが食パンの形をした陶器に入れられているのは、
聖書の言葉を「命のパン」と呼び、
パンがないと生きられないように、
クリスチャンは、聖書の言葉によって生きるということだ。

先日、義母がこの置物を見て、
カステラのようなお菓子と思って手を伸ばしたらしい!
すると硬かったのでとても驚いたと話されていた(笑)
義母がいると、毎日がとても面白かった。