祈祷会のメッセージの中から。
「御霊の人、肉の人」ガラテヤ書5章
御霊(神の霊)に導かれている人、御霊によって歩いている人、
すなわち御霊の人の一番悲しいことは、
自分の隣にいる人を愛せないことである。
自分の思いで歩んでいる人、自分の気持ちを重んじる人、
すなわち肉の人の一番悲しいことは、
自分の隣にいる人が自分を愛してくれないことである。
自分の思いで歩んでいる肉の人は、
「どうしてあの人は、私にこうしてくれないのだろうか」
「もっと私にこうしてくれたらいいのに」
「もっと私の気持ちを汲み取ってくれたらいいのに」
そうやって隣にいる人から愛されないことが一番悲しい。
主の御霊によって歩んでいる人は、
「どうして私は、あの人にこう出来ないのだろうか」
「もっとあの人にこうしてあげられたらいいのに」
「もっとあの人の気持ちを汲み取ることができたらいいのに」
そうやって隣にいる人を愛せないことが一番悲しい。
肉の人の悲しみは、思うように人から愛されないこと。
御霊の人の悲しみは、思うように人を愛せないこと。
同じ悲しみでも、両者の悲しみの内容は大きく違う。
私たちの悲しみは、どちらの悲しみだろうか?
隣にいる人を愛せなくて悲しんでいる人、もう大丈夫です。
自分の中に愛する愛がないことをよーく知れば、
御霊からその愛を頂けばいいのです。
「隣にいるあの人を愛する愛を下さい」
そんな真実な祈りを神様は聞かれないはずはないのです。
「御霊の人、肉の人」ガラテヤ書5章
御霊(神の霊)に導かれている人、御霊によって歩いている人、
すなわち御霊の人の一番悲しいことは、
自分の隣にいる人を愛せないことである。
自分の思いで歩んでいる人、自分の気持ちを重んじる人、
すなわち肉の人の一番悲しいことは、
自分の隣にいる人が自分を愛してくれないことである。
自分の思いで歩んでいる肉の人は、
「どうしてあの人は、私にこうしてくれないのだろうか」
「もっと私にこうしてくれたらいいのに」
「もっと私の気持ちを汲み取ってくれたらいいのに」
そうやって隣にいる人から愛されないことが一番悲しい。
主の御霊によって歩んでいる人は、
「どうして私は、あの人にこう出来ないのだろうか」
「もっとあの人にこうしてあげられたらいいのに」
「もっとあの人の気持ちを汲み取ることができたらいいのに」
そうやって隣にいる人を愛せないことが一番悲しい。
肉の人の悲しみは、思うように人から愛されないこと。
御霊の人の悲しみは、思うように人を愛せないこと。
同じ悲しみでも、両者の悲しみの内容は大きく違う。
私たちの悲しみは、どちらの悲しみだろうか?
隣にいる人を愛せなくて悲しんでいる人、もう大丈夫です。
自分の中に愛する愛がないことをよーく知れば、
御霊からその愛を頂けばいいのです。
「隣にいるあの人を愛する愛を下さい」
そんな真実な祈りを神様は聞かれないはずはないのです。