星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

2つの悲しみ

2008年10月31日 07時21分52秒 | 聖書・賛美・メッセージ
祈祷会のメッセージの中から。
「御霊の人、肉の人」ガラテヤ書5章

御霊(神の霊)に導かれている人、御霊によって歩いている人、
すなわち御霊の人の一番悲しいことは、
自分の隣にいる人を愛せないことである。

自分の思いで歩んでいる人、自分の気持ちを重んじる人、
すなわち肉の人の一番悲しいことは、
自分の隣にいる人が自分を愛してくれないことである。

自分の思いで歩んでいる肉の人は、
「どうしてあの人は、私にこうしてくれないのだろうか」
「もっと私にこうしてくれたらいいのに」
「もっと私の気持ちを汲み取ってくれたらいいのに」
そうやって隣にいる人から愛されないことが一番悲しい。

主の御霊によって歩んでいる人は、
「どうして私は、あの人にこう出来ないのだろうか」
「もっとあの人にこうしてあげられたらいいのに」
「もっとあの人の気持ちを汲み取ることができたらいいのに」
そうやって隣にいる人を愛せないことが一番悲しい。

肉の人の悲しみは、思うように人から愛されないこと。
御霊の人の悲しみは、思うように人を愛せないこと。
同じ悲しみでも、両者の悲しみの内容は大きく違う。
私たちの悲しみは、どちらの悲しみだろうか?

隣にいる人を愛せなくて悲しんでいる人、もう大丈夫です。
自分の中に愛する愛がないことをよーく知れば、
御霊からその愛を頂けばいいのです。
「隣にいるあの人を愛する愛を下さい」
そんな真実な祈りを神様は聞かれないはずはないのです。

一泊委員会

2008年10月30日 09時09分46秒 | 関西教区
兵庫県姫路市にある「星の子館」という所に、
一泊青少年委員会に出かけてきた。
日曜日の夕方始りの委員会ということで、
完全にへとへと状態でたどりついた。

お値段もお手頃で、教会学校の一泊お泊り会にも最適な施設で、
部屋もまずまず、料理も美味しい、遊びのアイテムたくさんあった!
子どもがいると、さらに割安になるという、
まさに子ども向けの施設で、「姫路市、なかなかやるな!」と思った。
その他、姫路市には、動物園、科学館や美術館もあるようだ。
(赤字財政の泉佐野市と比べると・・・)

姫路市と言えば、世界遺産の姫路城しか知らなかった・・・。
4-5歳の頃、祖父母と一緒に姫路城を訪れたことがある、
と家に帰ってきてから記憶のかなたにあるものを思い起こした。
調べてみると人口53万人!おーなかなかいるなぁという感じ。

来年度の青少年のことなどもいろいろと決められ、
帰りの車の中で気がづいた。お土産を買い忘れていた・・・。
1泊で出かける時は、留守を守る妻のために、
何かお土産を買って帰ることにしていたのに・・・。

忘れたものはしょうがないと、近所のシャトレーゼに入り、
ワッフル、バニラアイス、美味しそうな食パン、
そしてケーキを2つ買って帰った!
今回は、質よりも量ということで、甘いものを選んでおくと、
素直に喜んでくれるので、世界の平和は守られる(笑)

帰ってきて、目ざとくお土産を発見した妻は、
「あー、お土産~?」と尋ねるが、
「僕の分だけやけど」といつも同じ返事をする。
今さら照れ隠しもないだろうに、何故かいつも同じ返事(笑)

「二人三脚」

2008年10月29日 09時44分45秒 | 聖書・賛美・メッセージ
日曜日のメッセージから
「しっかりとつながる」ヨハネ4:39-42

「サマリヤ人や自分たちのところに滞在して頂きたいと願ったので、
 イエスはそこに二日滞在された」ヨハネ4:40

「滞在する」という言葉が2度使われており、強調されている。
聖書の言葉って時々「くどいなぁ」と思ったり、
「翻訳がよくないのかなぁ」と感じたりもする。

たとえばヨハネ福音書15:5には以下のように記されている。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
 もし人がわたしにつながっており、
 またわたしがその人とつながっておれば、
 その人は実を豊かに結ぶようになる」

「人がわたしにつながっている」のであれば、
それで1つの状況を記しているのだから、
わざわざ「またわたしがその人とつながっておれば」と
記す必要は本来はないはずである。
しかしわざわざ繰り返しているということは、
「つながっている」ことを強調しているためだ。

実はこの「つながっており」と「滞在する」という言葉は、
同じ言葉が使われており、ヨハネの福音書のキーワードの1つなのだ。
つながっているということは、私の方からつながるという意識、
そして相手の方もつながっていると意志、
その両者の意志を大切にしているということなのである。
つまり主イエスは、相互関係を大切にされるということだ。

主イエスは、私たちから決して離れることはない。
それは主が約束されたことだから、変わることのない事実だ。
しかし、私たちの側でもしっかりと主につながって欲しい、
そういう相互関係を主は願っておられるのである。

言うなれば二人三脚のような歩みである。
ひもで結べば確かにつながっているのである。
実態は確かに1つになっているのだ。

しかし両者が気持ちを合わせて、リズムを合わせて足を運ばないと、
1つになっていても実質はバラバラになってしまい、上手く歩めない。
互いに互いがつながっていることを意識してこそ、
その歩みは、歩調のあった歩みとなっていくのである。

主イエスは、私たちから離れることは決してありません。
そして私たちの方も、いつもその主イエスと共に歩んでいることを意識し、
一歩一歩、息を合わせて、今週も主イエスと二人三脚して参りましょう!



蔵乃湯

2008年10月28日 10時17分45秒 | 嬉しかったこと
先週の金曜日、教会の婦人たちと共に温泉に行ってきた!
私は、もちろんアッシー君としての参加だったが、
とってもホッとする半日を過ごさせて頂いた。

泉佐野の山を越えるとすぐに和歌山に入る。
温泉に行く前に、「めっけんもん広場」なるものがあると知り、
私たちが知らないということで、
「ではちょこっと寄ってみますか」と同乗者が言ってくれた。

そこはJA紀の里のファーマーズマーケットで、
「朝採りの『新鮮さ』
  作り手の顔が見える『安心感』
   地場直販の『安さ』
    地場産の旬をお届けします」
ということを売りにしていた。

たくさんの人でごったがえし、駐車場も車がいっぱい。
先にご婦人たちに降りてもらい、やっと空いたところに駐車をし、
妻やご婦人たちのところに行ってみると、
彼女たちのカートには、これでもかと言うほど、
すでにたくさんの野菜が積まれていたのには驚いた!

たくさんの新鮮野菜を目にして、主婦魂に火が付いたのだろう。
「ちょこっと寄ってみる」程度の買い物ではなく、
まるでこの買い物がメインのような買いぶりに恐れ入ってしまった。
私も好きな大根をおねだりし、炊いて味噌をつけて食べようと思う。

さてさて本題の温泉。到着したのは「野半の里 蔵乃湯」。
温泉好きの教会員の方がお勧めするところだから間違いはず、
という期待を胸に、レトロな雰囲気漂う野半の里に踏み入った。
もともと酒造の蔵元ということなので、名水が沸き出ているようだ。
温泉の他に、日本料理店、土産、酒・地ビール、
休憩所などという家屋が純和風のたたずまいで並んでいた。

ホームページで温泉を確認していた。
だいたいどのホームページもそうだと思うが、
実際よりも2-3割程度よく映っているものである。
しかしここ蔵乃湯は、そういう私の思いを見事に裏切り、
ホームページの画像以上の懐かしい雰囲気、
ゆったりとした時間、良質の温泉をじっくりと楽しむことができた!



前々日に浜名湖までの行き帰り、長距離運転のための肩凝りが、
気がついたら見事にほぐされていたから驚きだ!
日本で4番目の高濃度温泉のようなことが張り紙に記されていた。
(ちなみに1位は有馬、2位と3位は北海道だった)

「『蔵乃湯』は療養を目的とした
       ほんもの志向の温泉です」
という謳い文句に間違いはなかった。



残念ながら今回は参加できなかった方のための下見(?)にもなり、
またその方もお連れして、ゆったりして頂きたいなぁと思う。

司会

2008年10月25日 09時40分29秒 | 聖書・賛美・メッセージ
浜名湖での祈祷聖会にて、最初の聖会でメッセージを、
一番最後の聖会で司会の奉仕をさせて頂いた。
司会の奉仕は、全体的な流れをよく掴み、
会衆を主のもとに導き、説教者が奉仕しやすい環境を整える。

「1-2分で証しをお願いします」と2人の方に頼んでいた。
普通の人はだいたいお願いした時間の倍はかかると予想している。
それを見込んでの「1-2分」のお願いだ。
しかし今回は、両者とも10分以上は話された!!
(内容は、とても素晴らしかったが!)

そして司会者は、説教後の祈りを導く務めもある。
前半の司会では、時間を気にしていたが、
後半の司会では、いつまでも祈っていたい思いでいっぱいだった。
おそらくその場にいた皆さんの思いがそうであろう。

「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
 人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」詩篇8:4

詩篇の御言葉が心の中に強く迫ってきた。
「確かに主はここにおられる」
そんな実感を強く覚える祈りの時ほど、幸いなことはない。
まるで目の前に主がおられる、そんな臨在であった。

えびせんの里

2008年10月24日 09時29分16秒 | 嬉しかったこと
浜名湖の聖会に行ってきた。
今回の聖会は、格別に神様の近くに進みより、
じっくりと神様と交わることができ、感謝だった。
私の奉仕も守られ、皆さんが祈り安い環境を提供できたかなぁと思う。

大阪から浜名湖間、行き帰りの1つの楽しみが、
以前に紹介した刈谷ハイウェイオアシスに寄ることだ。
そしてそこでいつも小腹を満たしてくれるのが、
えびせんべいの里」なのだ。

何と言ってもほとんど全品に試食があるから驚きだ!
さすがに全部のBOXを開けることはしないが、
それでもけっこうたくさんポリポリ、ボリボリ頂いている。

私の好きなえびせんで、いつも必ず食べるのが、
「ガーリックマヨネーズ」!

こうばしくてなかなか美味である。


そして今回、私の舌を新たにうならせたのは、
「梅小花」であった!

もともと梅味が好きな私だが、
これが止まらない美味しさなのだ。


そして迷ったあげくに購入したのは、
だいたい全ての種類が適当に詰まっている「えびせんいろいろ」。

525円(350g)で、けっこう袋も大きく、
まさにいろいろな味が楽しめるのがgood!
浜名湖の聖会に行く、1つのお約束(楽しみ)であった。

「目を上げて」

2008年10月23日 12時00分59秒 | 聖書・賛美・メッセージ
日曜日の礼拝メッセージの中から。
「目を上げて」ヨハネ4:25-38

中心聖句
 「わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。
    はや色づいて刈入れを待っている」ヨハネ4:35

信仰の目を上げないと見えてこないものがある。
ヨハネの福音書の1章には、
「光はやみの中に輝いている。
 そして、やみはこれに勝たなかった」
と記されている。いや、力強く宣言されている。

つまりどんな暗闇の中でも、
そこにキリストの光は必ず存在しているということだ。
どんな闇も、何ものをも、キリストの光を消すことはできないのだ。

実は、そのことを一番よく知っているのは、サタン(悪魔)だろう。
サタンは、決してキリストの光を消すことは出来ないのだ。
だからサタンは、人々の目を鈍らせ、ぼやかし、光を見えなくさせる。
キリストの光そのものを消せないから、
それを見つめる人々の目をくらませる、それがサタンの働きだ。

私たちが悲劇しか見い出せないと思っているところ、
暗さしか感じられないところ、失望しか見えないところ、
そういうところにも、キリストの光は確かに輝いているのだ。
いやそういう暗闇にこそ、キリストの光が必要であり、
こんなところと思うところに、いっそうキリストの光は輝くのだ。

私たちのすぐそばに、すでにキリストの光は輝いている。
サタンに惑わされないように、信仰の目を上げよう。
信じない時、私たちの目は汚れた曇りガラスのようになっている。
信じて見つめるなら、必ずキリストの光を見出すことができる。
その光を見つめることが出来れば、信じることが出来れば、もう大丈夫!

クーラーの清掃

2008年10月22日 21時26分46秒 | 健康
「ちょっと臭うんです・・・」と指摘のあったクーラー。
母子室や授乳をする部屋などのクーラーの匂いは、
雑菌などのために、幼な子には特に良くないだろうとのことで、
本格的にクーラーの清掃をした。

いつもはフィルターぐらいしか掃除をしないのだが、
中を開けてみると、「うわー・・・・・・」との声。
13年間使用してきたわけだから、これくらい汚れるんやなぁと思った。
これで匂いがとれなければ、子どもが使う部屋は買い換えるつもりで、
思いきって分解されたクーラー。

埃をとり、水洗いをし、最後にエタノールで消毒をすると、
まぁまぁいい感じで汚れと匂いが取れたと思う。
元電気関係の仕事をしていたN君が来てくれたので出来たことで、
彼の指導しに従って、4時間で5台のクーラーを清掃できた。


外側はとっても美しいクーラー。誰も13年前のものとは思わないだろう。
でもやっぱり中身が大切だなぁと思った次第であった。

ハンバーガー

2008年10月21日 06時46分54秒 | 教会学校
日曜日に教会学校の朝食会があった。
今回のメニューは、昨年も大好評だったハンバーガーだ!
実は子どもだけではなく、大人にも大好評(笑)

画像のものは、撮影用に作成したもので、
こんなにいっぺんには大きな口の人も入らないだろう(笑)
だいたい1人2つぐらいは食べていたと思う。

前日に女の子たちが教会に来て、
「明日行けなくなった・・・」と言って、
一緒に聖書カルタなどをして帰っていった。
もしかするとたくさん余るのではと思っていたが、
新しい子どもたちも集ったこともあり、
ほとんど残っていなかった!

ハンバーグも手作りで作ってくれたので、
何とも言えない美味しさだった。
カボチャのスープやコロッケもあり、
贅沢だなぁ、嬉しいなぁと言いながら、
子どもたちのかぶりつく姿を見ながら私も喜んで頂いた!

「北の零年」

2008年10月18日 13時48分29秒 | 読書・映画
三浦綾子さんの「泥流地帯」や「続泥流地帯」を読んだこともあり、
以前から頭の片隅にあった「北の零年」という映画を見た。
だいたい史実を基にした映画だということで期待していた。

淡路島という暖かいところから、北の果てに移住させられて、
そして一生懸命に開墾をし、開拓をしていく。
偉いなぁと思う。大変だったろうなぁと思う。

その中で繰り広げられる様々な人間ドラマ。
裏切られたり、弱みにつけ込まれたり、
事態が逆転したり、信じ続てけいったり・・・。

何と言っても吉永小百合が、吹雪の中を幼い子どもを連れていき、
「あなた」「あなた・・・」と夫を呼ぶシーンは圧巻だった。


それでもその夫は・・・。

映画の終わり方が、「いかにも」という感が否めないけれど、
それでも見て良かったと思える邦画だった。