2009年1月1日 元旦礼拝のメッセージから(続き)
「主と同じ姿に」 Ⅱコリント3:18
キリストに似る者となるために、
私たちは以下の2つのことを大切にしていきましょう。
1.主に向かって礼拝を捧げる
昨晩、大晦日の夜、床に就いて1つの夢を見ました。
それは、紅白歌合戦の総合司会をしている夢です(笑)
白組司会者の中居君が余計なことを話すので、
放送時間を気にしている自分がいました!
きっと大晦日の夜、長い時間、紅白を見ていたから、
紅白の世界が私の無意識の世界を占領してしてまったのでしょう。
何と交わるか、何を大切にするか、何に自分の思いと時間を用いるか、
その対象に私たちはだんだんと似てくるのです。
主に向く時(3:16)、つまり主に礼拝を捧げていく時、
私たちの品性はキリストの品性、神の似姿へと変えられていくのです。
命に関わる大切なことは、誰かに代わってもらえません。
「代わりにご飯を食べといて」、「忙しいから代わりに寝といて」、
「私の代わりにトイレに行って」・・・・。
命に関わる大切なことは、誰にも代わってもらえないのです。
神様に礼拝を捧げること、これは私たちの命、魂に関わることで、
他の誰かに代わってもらうことは出来ないのです。
「教会では、他の人が礼拝を捧げているからいいかぁ」、
そんなことはありません。神様はあなたと交わりたいのです。
あなたが礼拝を捧げることを喜んでおられるのです。
私たちは神を礼拝するために造られたのです。
だから礼拝を捧げると、命が輝き出すのです。
主に自分自身を向け、礼拝を捧げることを大切にして行く1年を
今年も過ごさせて頂き、キリストに似る者とならせて頂きましょう!
2.御霊によって生きる
自分の頑張りで、キリストの似る者にならなくてもいいし、
なることはできないものなのです。
「これは霊なる主の働きによるもの」なのです。
自分で自分を変えることが出来れば、
私たちには神様が必要なくなるでしょう。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、
罪人を招くためである」マルコ2:17
まだまだキリストに遠い者だと謙虚に自覚している人、
そして私には神様の助けが必要であると自覚している人、
その人のために聖霊という助け主が与えられているのです。
この聖霊に助けられて、満たされて、聖霊に頼って、
私たちはイエス様の御足の跡を歩んで行けるのです。
多くの人々が、いろいろな願いを持つこの元旦、
「キリストに似る1年を歩ませて頂きたい」、
そういう決心を年始にできるということは、とても幸いなことなのです!
「主と同じ姿に」 Ⅱコリント3:18
キリストに似る者となるために、
私たちは以下の2つのことを大切にしていきましょう。
1.主に向かって礼拝を捧げる
昨晩、大晦日の夜、床に就いて1つの夢を見ました。
それは、紅白歌合戦の総合司会をしている夢です(笑)
白組司会者の中居君が余計なことを話すので、
放送時間を気にしている自分がいました!
きっと大晦日の夜、長い時間、紅白を見ていたから、
紅白の世界が私の無意識の世界を占領してしてまったのでしょう。
何と交わるか、何を大切にするか、何に自分の思いと時間を用いるか、
その対象に私たちはだんだんと似てくるのです。
主に向く時(3:16)、つまり主に礼拝を捧げていく時、
私たちの品性はキリストの品性、神の似姿へと変えられていくのです。
命に関わる大切なことは、誰かに代わってもらえません。
「代わりにご飯を食べといて」、「忙しいから代わりに寝といて」、
「私の代わりにトイレに行って」・・・・。
命に関わる大切なことは、誰にも代わってもらえないのです。
神様に礼拝を捧げること、これは私たちの命、魂に関わることで、
他の誰かに代わってもらうことは出来ないのです。
「教会では、他の人が礼拝を捧げているからいいかぁ」、
そんなことはありません。神様はあなたと交わりたいのです。
あなたが礼拝を捧げることを喜んでおられるのです。
私たちは神を礼拝するために造られたのです。
だから礼拝を捧げると、命が輝き出すのです。
主に自分自身を向け、礼拝を捧げることを大切にして行く1年を
今年も過ごさせて頂き、キリストに似る者とならせて頂きましょう!
2.御霊によって生きる
自分の頑張りで、キリストの似る者にならなくてもいいし、
なることはできないものなのです。
「これは霊なる主の働きによるもの」なのです。
自分で自分を変えることが出来れば、
私たちには神様が必要なくなるでしょう。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、
罪人を招くためである」マルコ2:17
まだまだキリストに遠い者だと謙虚に自覚している人、
そして私には神様の助けが必要であると自覚している人、
その人のために聖霊という助け主が与えられているのです。
この聖霊に助けられて、満たされて、聖霊に頼って、
私たちはイエス様の御足の跡を歩んで行けるのです。
多くの人々が、いろいろな願いを持つこの元旦、
「キリストに似る1年を歩ませて頂きたい」、
そういう決心を年始にできるということは、とても幸いなことなのです!