星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

変換

2007年09月29日 11時38分29秒 | 妻とのこと
パソコンで文字を打つ際、
ほとんどの人は「ローマ字変換」だろう。
「カナ変換」の方は、100人中2人ぐらいだと思う。

100人中2人というのは、私の体験からの数字で、
100という分母ははなはだ怪しいものであるが、
2という分子は、かつての同僚に1人、そして我が妻がそうなのである。

かつての同僚である国語の先生は、
「ローマ字変換だと1文字のために2度打ちをしないといけない。
 でもカナ変換だと1度打ちですむ」
という合理的な理由でワープロ(懐かしい)を購入した際、
カナ変換を選択したそうだ。

そして我が妻は、高校時代「タイプライター」(もう聞かない)の資格を
学校でとるということで、日本語タイプライターは、
もちろん一字一字打っていくカナ変換のため、
今に至るまでカナ変換で文字を打っている。

別に人がカナ変換だろうが、ローマ字変換だろうが、
そんなことは自分には関係のないことだと思っていた。
しかし、妻が私のコンピュータや教会のコンピュータを使うと、
その後は必ずカナ変換使用に設定されたままなのだ!

たとえば何か文字を打ち始める際、
「たとえば」と打ったつもりが、カナ変換だと
「かちからいこち」となってしまう。
何度か同じようなことを繰り返したので、
「パソコンを使った後は、ローマ字変換に直しておいて」と
くれぐれも頼むのだが、何度も何度も同じことを繰り返すのだ。

妻がいない時は「ちぇっ」と舌打ちをしてローマ字変換に直すのだが、
そばにいる時は、急にイライライライラしてきて、
「何べん言ったら直してくれるんよ!
 もう10回も20回も言ってるで!」と少し声を荒げてしまう。
タスクバーの「KANA」を押してやると元に戻るのだが、
何故かイライラが込み上げてくるのだ・・・。

たとえば私が少数派で、ほとんどの人がカナ変換だったとして、
私が毎回PCを使い終えるたびにカナ変換に戻すことになったら、
多分、妻と同じくらい忘れてしまうだろうなぁと思う。
そして「ボタン1つで直ることに、そんなイライラせんでも」と
思ってしまうだろう。

頭では分かっていても、なかなかそうできない狭い心・・・。
私の心の中の「イライラ変換」を消去して、
「ひろびろ変換」キーを設定せねばと思う、
今朝の出来事でした!

「あなた」と「わたし」

2007年09月28日 10時06分59秒 | 読書・映画
時々思い出す言葉がある。
ある高校生が後輩に贈った言葉。
そこにいた新入生は、きっと嬉しかっただろう。
「この学校に入って良かった」と思い、
すがすがしい、さわやかな思いになったと思う。


 「人類が誕生した百万年の昔から、
  この地球上に、どんなに多くの人間が生まれ出たことでしょう。
  しかし、その中に『あなた』はいなかった。
  
  現在、この地球上に、数十億の人間が生存しているという。
  だが、その中に、『あなた』は一人しかいない。
  
  これから先、長い長い地球の未来に向けて、
  どんなに多くの人間の命が生まれ出るのか、
それは誰も知らないけれど、
  もう一度『あなた』が生まれ出ることは、決してない。

  きっと、『あなた』より勉強のできる人はいくらでもいるでしょう。
  『あなた』より速く走り高く飛ぶ人もいくらでもいるでしょう。
  
  しかし、『あなた』と同じように考え、
  同じように悩む人は、決していないのです。
  『あなた』と全く同じに生き、
  『あなた』と全く同じ価値を持つ人は、決していないのです。

  過去にも未来にもたった一つのかけがいのない『あなた』の命、
  ふたたびはない『あなた』の人生、
  『あなた』のゆくてには、『あなた』にしかできないことが、
  『あなた』にだけ結ばせることのできる、実があるはずです」

       (小松原瞳、2002年の神戸女学院新入生歓迎会にて)



一人しかいない「わたし」を自分で見限ることがなく、
一人だけの「わたし」を自分であきらめることがないように。
かけがえのない「あなた」を見損なうことがなく、
たった一人の「あなた」を大切にしていきたい。




恋人シリーズ

2007年09月27日 10時05分47秒 | 驚いたこと
8月のとある休日、ドライブがてらに
和歌山の加太温泉に出かけた。

幾つかあるか中で「ひいなの湯」という温泉に入った。
そんなに大きな温泉ではないが、
日帰りで「ちょっと入浴」程度にはちょうどいい。
お肌がすべすべするようなお湯で、
眺めもよく、湯上りにところてんのサービスもあった。
これで入浴料900円、決して安くはないが、
夫婦で行くならまずまずである。

入浴後、お土産コーナーを眺めていると発見してしまったのだ。
その名も「浜辺の恋人」!
北海道の「白い恋人」は、今現在お土産屋にはおいてなかいらしい。
そして明らかに「白い恋人」を意識した「赤い恋人」を
九州・小倉で発見した時は驚いた。
そして今度は「浜辺の恋人」。

もちろん買わなかった。
この「~恋人」シリーズは、もしかしたら他にもありそうな気がした。
ちなみにインターネットで調べたら、
黄色い恋人たち」があった・・・。
何と「とんこつ醤油味ラーメン」だそうだ・・・。

今度どこかに行ったら、また違う「~恋人」を発見しそうだ。



お疲れ様でした

2007年09月26日 10時02分53秒 | 友だち・人物のこと
「甘いなぁ」と言われそう・・・

安倍内閣が総辞職し、福田新内閣が誕生した。
安倍総理が辞任を表明した時、日本中が驚いた。
そして様々な批判が湧き上がってきた。
支持率の低下、相次ぐ閣僚の不祥事に対する任命責任が問われ、
参院選での記録的大敗をきし、それで辞任しなかった安倍総理が、
所信表明演説直後の辞任という最悪のタイミングで辞任を表明した。

確かに一国の総理として責任は問われてしかるべきだろうし、
問われなければならない立場にある。
しかし野党や与党、識者や国民に至るまで、報道を見る限り
誰も安倍総理にねぎらいの言葉をかける人はいなかったように思う。

教会学校で2つの大切な言葉を忍耐強く教えている。
それは「ありがとう」と「ごめんなさい」である。
子どもたちは言えば損するかのように、なかなか言えないのだ。
しかし「うざい」、「きもい」、「めんどい」などの言葉はよく出てくる。
日常的によく聞かされ、よく用いている言葉だろう。
しかし「ありがとう」と「ごめんなさい」は、
家庭でも日常的にあまり聞かされていないので、
なかなか用いることができないのだろう。

遅まきながら安倍総理は「ごめんなさい」と謝罪会見をされた。
与党も野党も国民も「一年間、総理という重責を担って下さり
ありがとうございました。お疲れ様でした」という言葉を、
まず述べることが必要じゃないかなぁと思う。

責任問題を問われなくても良いと言っているのではない。
人間として礼儀上のことがなされないまま、
ただ責任問題だけを追及していくなら、
それがどんなに正論でも建設的な批判にはなり得ないだろう。
そこに残るのは、節度のない中傷と利害関係による人間関係だろう。

「甘いなぁ」とお叱りを受けそうだけれど、
安倍総理辞任に対してそんなことを感じていた。


再開

2007年09月25日 10時16分10秒 | Weblog
お久しぶりでございます。
何人かの方から「赤い恋人で止まってるよ!」と
励まし(催促?)の言葉を頂いていました。
一回途絶えてしまうと、なかなか始めにくいものだなぁと感じ、
2ヶ月以上ご無沙汰をし、毎日のように訪れて下さっていた皆様には、
「あー、まだ更新してないなぁ」という思いをさせてしまい申し訳ありません。

BLOGを休んでいる間、台湾に行ったり、教会キャンプがあったり、
またいろんな出来事がありました。
時間が前後するかもしれませんが、
ぼちぼちUPを始めていこうと思いますので、
改めてご贔屓(ひいき)のほど、よろしくお願い致します。

良いことや良い習慣を止めてしまうことって、
案外簡単に出来たりするものかもしれません。
反対に悪いことや悪い習慣はなかなか止められません。
(カッパエビせんのように止められない、日曜日のコーラを飲む習慣・・・)
悪い習慣をやめるには、それなりの力がいります。

そして止めていたことをもう一度始めるには、
最初にスタートする時よりも力がいるものかもしれません。
BLOGの再開程度なら、少しの気持ちの持ちようでできますが、
途絶えていた人間関係を回復すること、
諦めてしまっていた夢にもう一度チャレンジすること、
そういうことをもう一度始めるには、自分の気持ちだけではなく、
周りの人の理解や助け、励ましがないとできないでしょう。

「神には彼らを再び接ぐ力がある」ローマ11:23

再生する力、諦めていたことにもう一度チャレンジする力、
回復する力、そういう力を神様は与えて下さる。

そう言えば、台湾に行ったり、出かけたりすることが続き、
いつの間にか私の務めであった「ゴミ出し」を妻がそのまま継続している。
結婚して2年間、ずっと私がしてきたのに、今はお任せ状態。
「そろそろゴミ出しを再開するか!」と、
BLOGの再開を機に思う今日この頃でした(笑)