星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

墓前にて

2008年03月29日 11時33分28秒 | 聖書・賛美・メッセージ
イースターの午後は、教会墓地にて
先に天国に行かれた方々を偲ぶひと時をもった。

風の強い午後であったが、神の家族であるあの9人の方々は、
決して「千の風」になったわけではなくて、
天国におられる、そして再び会える希望を確認した。

白ゆり

2008年03月26日 07時57分09秒 | 聖書・賛美・メッセージ
イースターと言えば、白ゆり。
(最近やっとカサブランカとゆりの違いを
 何となく分かるようになったが、それでもまだあやうい)
聖書には、ゆりの記述がたくさん出てくるが、
イースターとゆりの関係は直接記されていないと思う。

聖歌664番に「イースターの朝には」という賛美がある。
その2節が、以下のように歌われている。

  ああ冬中 地面の中におった白ゆり
  目に見えぬいのちが 
  春を待っておったのです
  ああ白ゆり! 
  主イエスが甦った良い日を
  記念して香るのか
  イースターの良い日に

冬の間は、全く咲く気配の見せなかった白ゆりだが、
地面の中でちゃくちゃくと春を待っていた。
そして春が来ると、大きく大きく咲くその様子が、
死を打ち破られたイエス・キリストの
復活の様の象徴となっているのだろう。

何の前進も進展も見えない時がある。
でも復活したキリストを信じる者には、
必ず復活の朝がある、春の日がくるという希望がある。 
たとえ目に見えなくても、今は地面の時、
春が訪れない冬はない、そう信じれる幸いを思う。


イースターエッグ

2008年03月25日 09時27分07秒 | 聖書・賛美・メッセージ
イースターと言えば、イースターエッグ。
今年も色とりどりの専用セロファンなどを用いて、
約50個のゆで卵を作った。

いつ頃からイースターに卵が飾られるようになったのだろう。
聖書には、イースターと卵の関係は記されていない。
それでも世界中の教会で、イースターエッグが飾られている。

卵の殻を雛が口ばしで破って誕生してくることが、
死の墓を打ち破って甦られた主イエスの復活を象徴しているのだろう。

どこかで聞いた話だが、雛が誕生しようとする時、
外側で殻を破る手伝いなどをしてしまうと、
その雛は丈夫に育たなかったり、死んでしまったりするそうだ。
ゆえに親鳥は、雛が殻を破るのをそっと見守っているのだそう。

自分自身で破らなければいけない殻というものがあるのだろう。
その殻を打ち破った時に見えてくる新しい世界があるのだろう。
それがどんなに分厚い殻であったとしても、
ちゃんと見守って支えてくれる神様がいる。
そして殻を打ち破る力を与えてくれる主イエスが共におられるのだ!


子どもイースター

2008年03月24日 10時39分13秒 | 教会学校
昨日は、復活祭、イースターだった!
主イエスが死から甦られたことを記念する礼拝。
子どもたちの教会学校でも、イースターが祝われた。
休んでいる子どもたちがいたのは残念だったが、
とても楽しいイースター礼拝となった。

今年は一緒にイースター礼拝を捧げた後、
「たまご探しゲーム」を行った!
100円ショップで買ってきたカラーボール(10個100円)を、
カッターで切り目を入れ、その中にラムネやチョコやアメ玉を詰め込み、
同じく100円ショップで買ったキラキラシールで切れ目を巻いた。



イズミヤの駄菓子コーナーで、小さな子どもたちに混ざりながら、
10円、20円単位のお菓子を選んでいる自分の姿に笑いながら、
きっと楽しい「たまご探しゲーム」になることを確信していた。

当日、教会の敷地内のあちらこちらに「たまごボール」をしかけておいた。
小学校に入っていない子どももいるので、
「いかにも」というところや、少し分かりにくいところにもしかけた。
例えば、↓緑の植え込みの中には緑のたまごボールを。


↓自転車のカゴの中のタオルの下とか!


単純な宝探しゲームだが、とても盛り上がって楽しかった!
ゲームの説明として、以下のように語った。
「イースター、イエス様は甦られました。
 イエス様は死んでいなくなった神様ではありません。
 イエス様を信じて、イエス様を求めて、イエス様を探して、
 イエス様の名前を呼んで、賛美して祈る時、
 イエス様は僕たちのそばにいることがわかります。

 これからいろんな所にしかけたたまごボールを捜します。
 一生懸命探せば、必ず見つかります。
 では、小学校に入っていないお友だちは、1分早く探しに行けます。
 いいですか、では、よーい、ドン!」
 
目をキラキラさせて走り出す子どもたち、
「あったー!」と歓声を上げる子どもたち、
とっても楽しい子どもイースター礼拝だった。

ジャン・ガロの祈り

2008年03月22日 10時32分53秒 | 聖書・賛美・メッセージ
受難週、十字架を背負われたキリストを思い起こす時、
その裁判の時から、不思議なほどに主は黙られていた。

 「それでも、イエスは、
  どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。
  それには総督も非常に驚いた」マタイ27:14

嘲られても、ののしられてもののしり返すことなく、
主はただひたすら黙って十字架の道を歩まれた。
ジャン・ガロの祈りを思い起こす。


ジャン・ガロの祈り

 黙って愛しなさい。
 わたしが愛したように、
 何も語らずに、しばしば外にさえ表わさずに、
 黙って愛しなさい。

 黙って愛しなさい。
 愛が、深く、ほんものになるために。
 だれにも気づかれないように奉仕し、
 目につかないようによい行為をしなさい。
 そして、黙って愛することを学びなさい。

 黙って愛しなさい。
 しかられても言いわけをせず、
 心を傷つけることばにもいい返さず、
 黙って愛することを学びなさい。

 あなたの心は、愛が君臨する王国であるように。
 その王国を、人へのやさしい思いやりで満たし、
 黙って愛することを学びなさい。

 人から求められず、かえって退けられるときに、
 黙って愛しなさい。
 手をかしたくとも、受け入れてくれないその人たちのために祈りなさい。
 誤解されるときに、黙って愛しなさい。
 愛が無視されることを忍びながら・・・・・・。

 悲しいとき、黙って愛することを学びなさい。
 喜びを周囲にまき散らし、人のしあわせを増すよう心がけなさい。
 人のことばや態度でいらだったなら、
 黙って愛しなさい。
 心の奥に秘められた苦しみを、忍耐深くささげなさい。
 あなたの沈黙のうちに、
 恨みや不忍耐やきびしい批判がひそまないように。
 いつも兄弟を尊重し、たいせつにすることを心がけなさい。


  ジャン・ガロ(大滝玲子:訳)「愛のいのり」女子パウロ会より

十字架の愛

2008年03月21日 09時31分28秒 | 聖書・賛美・メッセージ
今日はイエス・キリストが私たちの罪を背負い、
あのカルバリ山で十字架に架けられた日。
朝の祈りで聖書を読んでいて、
Ⅰヨハネ3章16節が響いてきた。

 「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。
  それによって、わたしたちは愛ということを知った。
  それゆえに、わたしたちもまた、
  兄弟のためにいのちを捨てるべきである」

命がけの愛を示されたイエス・キリスト。
その愛を知るなら、同じ愛が生まれてくるという。

「兄弟のためにいのちを捨てる」、
「いのちを捨てる」というのは、究極的な表現である。
それはつまり、誰かのために自分の命を使うということ、
隣人のために自分の時間を削るということ、
周りにいる人のために自分の持っているものを用いるということ。

キリストの十字架の愛を知れば知るほど、
キリストの愛に生き、キリストの愛で人を愛することができる。
これはもう人の愛を超えている。

「愛さなければいけない」ではなく、
「愛さずにはおれない」そんな愛を受けたのだから、
同じ愛に生かされたいと、十字架のキリストを見上げる。


「戦場のピアニスト」

2008年03月20日 09時35分48秒 | 読書・映画
先月終わりの研修会で、大先輩の先生ご夫妻と朝食の席が隣になり、
最近読んだ本のことや、見た映画のことなどで話しが盛り上がった。
多忙な先生なのに、どこにそんな時間があるのだろうかと思うのだが、
その読書量もさることながら、
内容をきちんと把握されていることに驚かされる。

私などは、読んだ本に赤線を引っ張って、
それをノートに書き写して、何度も読み直して、
やっと断片的なものが頭の中に入ってくるといった具合である。
映画にしても、一度見ているものなのに、
まるで見たことがなかったかのようにレンタルで借りてきて、
途中で「これ、見たことあるわ」と気づくこともある(笑)

さてそんな大先輩の先生が、「戦場のピアニスト」の話題の中で、
「え、見てないの?いやぁあれは見るべきだよ」と言われたので、
早速、何年かぶりにTSUTAYAの会員になり、借りてきて鑑賞した。

実話ということで、主人公が美化されて描かれていないところが、
この映画の1つの特徴であり、真実味が増している。
それにしても、ナチの残酷さは恐ろしい。
いやナチの人が特別に極悪非道な人種であったということではない。
人を狂気にさせるものが戦争にはあるのだろう。

スクリーンいっぱいに広がった街の荒廃した情景が、
荒涼とした人間の心を映し出しているようだった。


主人公のピアノ演奏を聞きながら、
クラッシックを弾いてみようかなぁとも思った。

祝福

2008年03月19日 08時33分22秒 | 聖書・賛美・メッセージ
先週は、母校の神学校へ出かけていた。
片道約600キロ、8時間かけての運転だったが、
乗り慣れている車だったので、それほどの疲れでもなかった。
(隠れてドリンク剤を飲んでいたが・笑)

3年間祈りこんだチャペル。
ここであのヤコブのように「もものつがい」が外された。
「自分のやろうとしていることを祝福してください」という祈りから、
「神様が祝福しようとされていることに従っていきます」という、
コペルニクス的な祈りの転換がなされた。

ヤコブからイスラエルへ。
押しのけてでも、奪い取ってでも自分の祝福を求める者から、
神の祝福に生きようとする者になるという変化。
もう一度、心を新たにさせられた2日間であった。

花粉症

2008年03月18日 07時44分51秒 | 日常の出来事
1995年の花粉大量飛散以来、
毎年のように花粉症悩まされている・・・。
「てん茶を飲んで体質改善するといい」と言われたので、
試してみたけれど、紅茶の甘ったるい味に馴染めず断念。
市販の飲み薬を服用すると、眠気に襲われてしまう。

そこで2年程前から服用しているのが、点鼻薬。
以前に耳鼻科で処方してもらったが、鼻に点鼻薬の先を入れて
噴射している自分の姿に納得できなくて、服用していなかった。
しかし看護師の友人が、「あれいいよ」と言われるので、
騙されたつもりで服用してみると、これが効くのである!

点鼻薬を噴射している自分の姿に納得している訳ではないが、
これで楽になると思うと使用せずにはおれない。
1日3-4回、使用している。
夜中に鼻が詰まって眠れなかったこともあったが、
シュッと一噴きで、スースーと快眠できるのだ。

先日、外出時に点鼻薬を探したがどこに置いたのか見当たらなかった。
必死に「あれー、薬、薬、薬」と探している姿が、
まるで薬物中毒になっているようで可笑しかった。

注射を打つと楽になると聞いたが、
とりあえずしばらくは、点鼻薬と目薬で乗り切るつもりだ。

神様のほほえみ

2008年03月15日 00時59分51秒 | 聖書・賛美・メッセージ
最近、日曜日の午後に「神様のほほえみ」という曲を
しみじみとみんなで賛美した。
関根一夫先生らしい詞だなぁと思い、
岩渕まことさんらしいメロディだなぁと感じた。
歌声ペトラ115番


「神様のほほえみ」

 私たちが愛し合うとき 神様のほほえみが
 心に映しだされます
 私たちが愛し合うとき 神様のほほえみが
 心に映しだされます

 主よ 私たちの中にいつまでもいてください
 主よ 私たちの中にいつまでもいてください

 私たちが祈りあうとき 神様のまなざしが
 心に映しだされます
 私たちが祈りあうとき 神様のまなざしが
 心に映しだされます

 主よ 私たちの中にいつまでもいてください
 主よ 私たちの中にいつまでもいてください


3連譜のリズムがちょっと難しいところもあるが、
それでも歌詞もメロディもすっと心に入ってくる。

キリストの教会の目指すところであり、
キリストの教会のあるべき姿だなぁと思う。
最近の「マイ賛美」である。