星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

なると

2009年02月28日 10時35分54秒 | 妻とのこと
一泊二日の小旅行。
黒岩水仙郷は閉園だったが、
道路際に咲いている水仙を楽しみつつ、
一路鳴門へ向かった。

11時50分が満潮ということで、
前後2時間ぐらいの間に大きな渦が見られるとのこと。
少々冷たい風に吹かれながら、大鳴門橋の下へ。



時間と余裕があれば遊覧船にでも乗ればいいのだが、
何と言っても我が妻は「電車にも酔う人」なので無理。
道の駅から、渦になるかならないか、
それらしきものを眺めていた。

お約束の記念写真を撮ったが、妻の指が・・・。


ラーメンによく入っているかまぼこの「なると」は、
どうやらこの鳴門の渦潮が由来らしい。
さぞかし「なると」生産工場がたくさんあるのかと思いきや、
静岡県焼津で消費量の9割を生産しているとのこと。



私の名前「成人」は読みにくいようで、
初対面の先生に「なるひと」「なると」と呼ばれたことも(笑)
あまり目立たないが、おでこのすぐ上に、
「なると」のようなツムジもあるのが坊主頭にすると分かる。
ちょっぴり親しみを感じる「なると」の旅だった。

水仙

2009年02月27日 09時03分26秒 | 妻とのこと
洲本城を散策している時、ジョギングをしているおじさんが
「どちらから来られましたか?」
と声をかけてこられた。
「大阪です」と答えると、
「では、黒岩水仙郷に行くといいですよ~」
と教えてくれた。気さくなおじさんだ。

実は水仙郷に行くのを楽しみにしていたのだ。
「ホテルの方が、もう見頃は終わったと
 言ってましたが・・・」と会話を続けると、
「最盛期は過ぎたけど、まだまだ見れるよ~」
と教えてくれた!

途中モンキーセンターなるものを越え、
桂小枝が紹介しそうな「パラダイス」なるものの前で、
お姉さんが手招きしているのを振り切った。
後ろからくるエスティマとの車間距離を気にしつつ、
黒岩水仙郷に到着した。

水仙郷の前には数台の車が停まっていた。
「月曜日やのに込んでいるのかなぁ」と思っていると、
目の前に看板が立っていた。
そこには、「わざわざお越し下さったのですが、
2月22日までの開園となりました」といような文言が・・・。
「昨日が最終やったんや・・・」

まぁそれでも淡路島の道路際には、
たくさんの水仙が植えられており、
ドライブがてらにそれなりに楽しむことができた。



私は苦手なのだが、旅の醍醐味の1つに
「全く知らない方との出会いや会話」があるだろう。
一期一会というものだろう。

前日の温泉では、湯船につかる人と
話しをすることが出来なかった。
しかし、水仙情報はちょっと違っていたけれど、
洲本城にて地元の方とちょっとだけ話せたことは良かった!

カビ?コケ?

2009年02月26日 10時19分35秒 | 妻とのこと
洲本で一泊をし、しばし観光ということで、
宿のすぐ近くにある洲本城に行ってきた。

お城と言っても城跡で、
こんな本丸を見たことがないという小ささ。
後世になって形だけでもということで作られたのだろう。



それでも大阪湾を見渡せたり、
春には桜が満開になるようで、
曇ってはいたが、雨上がりですがすがしい思いになった。

石垣は恐らく何百年も前のものだろう。
「こんな石を山の上まで運んできて、
 大変やったやろうなぁ」と妻に話しをしていた。

そんな会話をしていると妻が、
「石垣にたくさんのカビがついてるね~」
と言うのだ。



内心「きたきたきた~」と思いつつ、
「カビ?カビ~? コケやろそれ、コケ!
 カビとコケってえらい違いやんかぁ」
と返答して、お互いにひとしきり大笑いをしていた。

その時は言わなかったが、よくよく見ると
石垣にはコケだけではなく、カビらしきものも生えている。
コケは植物で、カビは菌類だと思うのだが、
カビとコケでは、全く印象が違ってくる。

似て非なるもの、カビとコケ。
しばらく城内には、私たちの笑い声がこだましていた。

ちょっと温泉へ

2009年02月25日 08時57分32秒 | 妻とのこと
日曜日の夜から、一泊温泉旅行に行ってきた。
今年はお正月休みも取れなくて、
教会総会も終わり、提出すべき書類もほぼ仕上げ、
ちょっと一息といった感じだ。

行先は淡路島の洲本。
高速に乗って、雨の中の神戸を通過し、
真っ暗で景色は見えない明石海峡大橋を渡った。

淡路ハイウェイオアシスで夕食をとった。
一年に一度か二度ぐらいしか行けない一泊旅行だから、
私としては「淡路牛」を食べたかったのだが、
節約家の妻に負けて、ラーメンなどの食券販売機へ・・・。

宿は淡路国際ホテル・アレックス
離れの温泉は、まさに「離れ」で、番傘を差しながら歩いた。
どうして屋根を付けないのだろうかと思っていたら、
どうやら晴れの日は満天の星を眺められるとのこと。
去年の12月にオープンしたばかりで新しい。
温泉の成分もまろやかで、気持ち良かった。



とにかく間接照明が多く、
程よい暗さでムードを演出していた。
しかし、集団の親父たちが入ってきて、
一気ににうるさくなったのが興ざめだった。



ホテルの従業員のおもてなしが行き届いており、
とても気持ちが良かった。
それはどの従業員にも言えることだ。
単なる厳しいしつけや訓練では、ないように思う。
きっとオーナーの姿勢や人格が、
従業員を動かしているように感じるほどの気持ち良さだ。

CS朝食会

2009年02月24日 11時11分51秒 | 教会学校
日曜日の朝、教会学校の朝食会があった。
年に3回か4回、子どもたちも嬉しいだろうけれど、
実は大人もけっこう楽しみにしている!

今回のメニューは、昨年好評だった「手巻き」。
「何を巻きたい?」って聞いてみると、
「おしんこ巻き」と答える男の子。
何と手間いらずで、安上がりで、かわいい答え(笑)



メニューは、予算の都合で海鮮類はないのだが、
ツナやたまご焼き、きゅうりにカニカマ、サラダ菜、
シソ、そしてウィンナーにメインはエビフライ!
その他、豚汁、ポテトフライ、デザートも。

皆さん、上手に巻いて食べていた。


「美味しいねぇ」と言いつつ、
普段は聞けないことも聞きながら、
イエス様を真ん中にして食卓を囲む幸い。



本当は1週間前に予定していたけれど、
いつも1時間弱かけて和歌山からお母さんと一緒に来る子どもが、
その日はバレーボールがあるとのことで、
予定を変更した。お母さんも一緒にたくさん食べていた!

食べるよりも、寿司職人になって
作る方に一生懸命のお父さんもいた。

大人も入れて20数人で、全部完食。
さすがの私も、昼御飯は食べることができなかった・・・。
まさにごちそうさまでした!

『運命の足音』

2009年02月21日 09時18分13秒 | 読書・映画
五木寛之「運命の足音」幻冬舎文庫
1月に読み終えた本の1冊。

五木寛之氏の本を、かつて1冊だけ読んでいた。
題名も忘れるぐらいの印象で、
「やっぱりちょっと違うなぁ」という読後感だ。

『人生の目的』がベストセラーになった時、
ある人が「結局は、人生の目的なんてない」ということを
書いていると聞き、「な~んだ」と一笑に付した。
読みもしないで、その人のことを深く知らないで、
私は五木寛之という人を、足蹴に扱ったのだった。

そんな折、上沼昌雄師がその著書中で
五木寛之氏の『運命の足音』に触れておられた。
その内容に、あまりにも驚き、
早速『運命の足音』を購入した次第だった。

上沼師が触れてくれていなければ、読むことはなかった本。
カバーの絵も、私好みでは決してない。
それでも五木寛之氏にとっては、
「このことを書いてからでないと死ねない」
というほどの本なのだ。



五木寛之氏が12歳、敗戦時に朝鮮半島におり、
ソ連兵が責めてきた。
その侵入してきたソ連兵が母にすることに対して、
父も五木寛之少年も何もすることが出来なかった。
やがて母は、その日以来一言も話さず、病気で亡くなっていく。

あとがきでは、
「私は悪人である。12歳の夏から57年間、
 ずっとそう思い続けてきた」
と書き始められている。
57年間、1日も母のことを忘れたことはなかったと言う。

こんなに重いものを背負ってきたのかと知った。
こんなに重いものを背負いながら、歩んできた著者。

本の中身で言われていることは、なるほどと思うこともあれば、
やはりちょっと違うと感じるところもある。
著者の言うように、運命は確かに「重苦しい響き」があるだろう。
その運命の背後に、神の摂理や大きな御手を見出したなら、
そこに「あたたかさ」を生まれてくるのだろうと思う。

この著書を通して、五木寛之氏が真実に誠実に生きてきた、
そして生きていることを知ることができる。

そんな人を一笑にふし、足蹴に扱っていた自分をこそ、
足蹴に扱われる人のように思えてならなかった。
いたく反省した。

ヘンリー・ナウウェン

2009年02月20日 08時58分45秒 | 読書・映画
この方の書物は全部購入して、読破したい、
そう思っている人が何人かいる。
その内の1人がヘンリー・ナウウェンだ。
(ある人はナウウェン、ある人はナーウェンと訳している。
 何となく、ナウウェンの方が味があるような感じがする)

今年に入ってから、ナウウェンの本3冊を読み終えた。
正確に言うと、2冊はナウウェンの著書、
そしてもう1冊は、ナウウェンの生涯を他の人が綴ったものだ。


酒井陽介
「ヘンリー・ナーウェン
 傷つきながらも愛し抜いた生涯」ドン・ボスコ社、2008年

「推薦のことば」に
「ナーウェンは、現代人に自分の心の現実(寂しさとか疲れとか傷など)
 に気づかせ、それから逃げてはいけないこと、
 むしろそれに目をそらさず、
 忍耐強く向かい合うことを教えてくれた人」
と紹介している言葉が、まさにその通りだろう。

ナウウェンは、世界中で多くの人々に愛読されているが、
祖国オランダでは、やっかみや批判があり、
その晩年まで著作は、あまり省みられなかったそうだ。
どこかキリストに似ているように思う。


「母の死と祈り-魂の暗夜をこえて」 
 聖公会出版、2003年



「慰めの手紙」聖公会出版、2001年

上記2冊は、ナウウェン最愛の母が天に召された後、
母の死について家族や友人という身近な人に書かれたものと、
母の死について父に宛てた手紙が本になって出版された。

くしくも先月、私の母が「硬膜下出血」で入院した際、
時を同じくして読んでいたのがこれらの3冊だった。
母は退院後、以前よりもバイタリティに溢れているが(笑)、
肉親の死について思い巡らされたのも事実だった。

「慰めの手紙」は、何度か読んで整理しないと分からないこともある。
「母の死と祈り」で、ナウウェンの最後の言葉が印象的だった。

 「母は、生きた人生をとおして、
  非常に多くのことを教えてくれましたが、
  その死によってさらにいっそう多くのことを
  教えようとしております。

  わたくしは、それを受けとめていかなければなりません。
  わたくしは、そのことがよくわかっています」
  
ナウウェンを読んで思うこと、
それは自分を誤魔化さないということだ。
自分の内側にある闇に対して目をそらしたり、
責任を転嫁したりしないということだ。

神の前に静まり、じっくりと神の光に照らされていく、
私に必要なことだと思う。
今年、あと何冊ナウウェンを読もうかと考えている。

藤原正彦

2009年02月19日 10時06分02秒 | 読書・映画
年始に大先輩の先生と話しをしていて、
「藤原正彦の随筆は面白いよ。
 お父さんの新田次郎のことや、
 お母さんの藤原ていとのやりとりが面白い。
 K先生に紹介したら、早速購入して読んだそうだ」
というようなことを言われた。

随筆の題名を聞いておけば良かったと後悔したが、
『日本人の矜持』(新潮社)という本が105円売っていたので、
早速購入して寝ながら読んでみた。



対談集、座談会などと言うのは、
相手の意見にうなずきながら話しが進という日本人らしさが出て、
どちらかが自分の意見を2割程度抑えている印象を残す。
結局、「そうそう、そうですよね」という感じで終わるものだ。

まぁそれでも9人の方々の考えも知ることができるし、
初・藤原正彦として、彼の言いたいことを掴むことができたと思う。

続けて月曜日、ベストセラーになった『国家の品格』(新潮新書)が、
105円で売っているのをやっと見つけたので購入して読み終えた。



キリスト教に対する理解や西欧に対して、
ややステレオタイプを持っておられるなぁと感じたが、
基本的には「真実」を求めている人だということがよく分かる。
そして真実を求めている人の生き方は、
誠実な生き方をするんだなぁということも伝わってきた。

藤原氏の文章から、以下のことを私自身の思索としていきたい。
「徹底した実力主義も間違い」
「論理的に正しいことと、善悪は別次元です」
「論理は、ほとんど常に自己正当化に過ぎません」
「いくら文明が進歩しても、文化は後退することがあるんです」

そしてこの本がベストセラーになり、
多くの人に読まれたことの意味も探ってみたい。

食事&花見

2009年02月18日 09時47分16秒 | 日常の出来事
姉家族に食事を誘われて、
久々の休みの日をゆったりと過ごすことができた。
私より2つ年下なのに、義兄になる姉の旦那。
姉にとっては義妹なのに、姉より年上の我が妻。
まぁ、みんな同世代ということだ!

堺の深井にあるナチュラルガーデンというところに行った。
雰囲気の良い店で、ビュッフェ形式の食べ放題!
旬の野菜を使った料理が「売り」で、
これなら少々メタボな私も安心?して美味しく食べられた。
ごちそうさま~!




帰りに荒山(こうぜん)公園というところに寄って、梅を見た。
ちょっと寒かったが、ちょうど良い見ごろの時期で、
1300本の梅がきれいに並んで咲いていた。


↑梅よりも、空の色が美しく撮れた携帯画像

甥っ子は、父親に肩車をしてもらってご満悦だった。
仕事が忙しくて、家に帰ってくるのも日付が変わる頃。
父親の休みの日は、「遊んで~」モードいっぱいだそうだ。

梅の花をこんなに間近で見たことはなかった。
またこんなに多くの種類の梅があるとも知らなかった。
そして梅って、雄しべが長いんだなぁと知った。



花粉症で鼻詰まりが続いている私だが、
それでも梅の香りが漂ってきて、
ちょっと高貴な気持ちにさせて頂いた。

泣きながら

2009年02月17日 08時53分30秒 | 考えたこと
日曜日のメッセージの枕詞

シェークスピアの『リア王』の中に、
「人は泣きながら生まれてくる」
というセリフがあるそうです。
(『リア王』を読んだわけではなく、孫引きです・・・)

生まれてくる時代、出身地、人種、肌の色、性、
才能、両親や兄弟も、自分の意志では選べません。
思うがままにならない人生を象徴するかのように、
人は泣きながら生まれてくるというのです。

そうなんでしょうか?
もう少し積極的な意味があると思うんですが、
それが何かは分からないので、分かった人は教えて下さい!
○○ちゃん(教会にいる小さな女の子)に聞いてみましたが、
可愛く首をかしげてほほ笑むだけでした(笑)

私は他の動物のことはよく分かりませんが、
しかし人は誰しも、泣きながら生まれてきます。
泣かなければ、お尻を叩いてでも泣かされています。
(しっかりと呼吸をさせるため?)

創世記1章、神は天と地を創造された時、
創造された世界を見て「良し」と言われました。
そして6日目、人を創造された時、
「はなはだ良い」「きわめて良かった」と思われました。

泣きながら生まれてきた赤ちゃんを、
助産師や看護師、そしてお母さんが抱きながら、
「おーよしよし」「よしよし」と言っています。
どんなに激しく泣いてもわめいても、
大人は「おーよしよし」と愛情いっぱいで赤ちゃんを抱いています。

どうして人は泣きながら生まれてくるのか、
私にはまだうまく説明できません。
もしかすると、母親と離れてしまう不安感なのかもしれません。
それでも、母親を初めとして「よしよし」と言ってくれる、
そういう声が近くに居ることをやがて知るようになります。



私たちが泣いたりわめいたり、嘆いたりすることがあっても、
天の父なる神様は、
「おーよしよし」「よしよし」「大丈夫、大丈夫」と
全能の御手で、私たちをいつも抱えて下さっているのでしょう。
天と地を造られたその時から、
天の父なる神様の大きな御手が私たちを支えているのでしょう。