星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

年齢

2007年11月30日 11時37分08秒 | 日常の出来事
今週は、月から木まで静岡に出かけていましたので、
BLOGがUPできずにいました。
何度も訪問下さった皆様、失礼しました。

先日の日曜日のこと。
教会の青年部の方々と一緒に神戸に行き、
その帰りに神戸住まいの女子大学生を送っていった。
そこは「女子寮」という硬い名前に似合わず、
マンションのような、なかなかお洒落な住まい。

今時珍しい(?)男子禁制で、受付には管理人のような方もいる。
荷物を運ぶということで、玄関フロアまで持って行くと、
すぐに受付の方が台車を持ってきてくれた。
「なかなか対応がいいなぁ」と思っていると、
「どうぞ中にお入り下さい」とやさしい物腰で言われた。
「え?入ってもいいんですか?」と尋ねると、
「受付をして下さればいいですよ」とのこと。

少々ドキドキしたけれど、最終的には
「あちらの方でお待ち下さい」とのことで中には入れなかった。
どうやら私を女子大学生の「お父さん」と間違えたようだ!
「若いと思ったのですが・・・」と言われていたが・・・。

彼女は19歳。私は35歳。
どうやら40歳ぐらいに見えたようだ・・・。
「それはないやろう」と思ったけれど、
牧師という職業は、若く見えるよりも年上に見られた方が良いらしい。
そう思って自分を励ましているのであった。

外見が若く見えても、精神年齢が幼いのも困ったものだ。
外見が老けて、精神年齢が幼いのは、一番困ったものだ。
ま、外見はどうであれ、心まで老け込んでしまい、
心にしわを作らないようにしていきたいと思う。

デジカメ

2007年11月24日 07時53分55秒 | 日常の出来事
青年部の方々と教会のデジカメを買いに行った。
「カメラのキタムラが、だんとつに安い」という情報をもらい、
他と比べることなく直行した。

「あれがいいかな、これがいいかな」といろいろ比べたり、
とにかく使い勝手の良さを第一基準に選ぶことで一致した。
最終的に3つぐらいに絞り、そして店員の説明を受けて選んだのが、
富士フィルムのFinePix Z100fd

皆には言わなかったが、私の中では第3希望ぐらいのもので、
私が1人で買いに行っていたら恐らく選ばない斬新な概観のデジカメだ!
それにカバーもゼブラにした!
何となく化粧品が出てきそうな趣きだが、気に入っている(笑)

値切ることは得意ではないが、まずはジャブで
「ここから幾らになりますか~?」と交渉開始。
「下取りをお持ちでないようですが、千円引きましょう」とのこと。
カバーと2Gのメモリカード、保護シールもついていたので、
まぁその辺だろうと簡単に引き下がり、30800円なり。

高校生の女の子が「800円、取ってもらったらよかったのに」
と言っていたが、もう遅かった。
でもその言葉が頭に残っていて、
最終的にレジでいろんな説明を受けている時に、
「その800円は取れへんの?」と尋ねてみた。

すると「いやぁいろいろセットさせてもらったので、
ここまでが精一杯です。でも、それでは三脚を付けますね」とのこと!
ミニ三脚だが、付けてもらってご満悦だった。

後でいろんな家電店の広告を見てみると、
セットではなく単品で36800円が多かった。
そう思うと、いろいろ付いてこの値段。
さすがカメラのキタムラだなぁと思った。

ルール

2007年11月23日 06時56分38秒 | 日常の出来事
恥ずかしながら、わざとぼかした私の披露宴の画像。
何故この画像をUPしたかと言うと、
先日の自動車免許証更新に伴う違反者講習の会場が、
我が披露宴会場とまさしく同じ会場、
同じレセプションホールだったのである・・・。
思い出の場所に、まさかこういう形で訪れるとは。

何やかんやで、駐禁などの違反のために、
100名弱ぐらいの方々と一緒に違反者講習を受けた。
1時間ほどの講習と40分ぐらいの事故映像のDVD、
道路交通法改正などの説明などであった。

やはり何事も基本はルールを守るということだろう。
披露宴をした会場で、ある人が言っていた
夫婦のルールを思い出す。

「ゆ・た・か」な夫婦関係を築くために
  ゆ・・・ゆるし合う(神にゆるされた者としてゆるしあい)
  た・・・高めあう(長所や存在を心から喜んで、)
  か・・・語り合う(自分の気持ちをキチンと伝える事)
                      が大切です。

どこで聞いたのか、知ったのか、出所は忘れたけれど、
ゆたかな夫婦関係のルールだそうだ。

披露宴をした会場で違反者講習。
次回更新までに違反がなければ、免許は5年更新だそうだ。
ルールを守り、無事故・無違反とゆたかな夫婦生活を目指そうと、
レセプションホールで心に決めた次第であった。

親の思い

2007年11月22日 08時49分33秒 | 読書・映画
先週の金曜日、風呂上りにたまたまテレビをつけると、
何やら病院にたてこもっている映画のシーンが流れていた。
映画のタイトルも粗筋も分からないまま、
「この人はデンゼル・ワシントンかなぁ」と思って見ていた。

後で調べてみると「ジョンQ-最後の決断-」という映画だった。
最後の30分ぐらいだったが、つい見入ってしまった。
心臓移植でしか助からない息子のために、病院を占拠するということは、
よく分からない出来事だが、息子を思う父親の気持ちは伝わった。

息子の命を助けるために、自分の心臓を使ってくれと懇願する父親。
しかしそれは倫理上できないと言う医師。
それでも医師を説得し、自分の頭に拳銃を向ける父親。
そして・・・

正確ではないが、父親はこのようなことを訴えていた。
「俺は息子の命のためなら何でもする。
 頼む、俺の心臓を使ってくれ。
 俺はあいつの葬式なんて絶対あげない。
 あいつが俺の葬式をあげるんだ」
不覚にも目から篤いものがこぼれてきた。

小学生の時、私の父親は同じようなことを母に話していた。
「しげと(私)が病気になって、
 俺の心臓を移植したら助かるなら、もちろん差し出す。
 でも隣ののんちゃんのために自分の心臓を渡せるかって言うと、
 それはできないと思う。
 でもしげとのためやったら、俺の心臓を渡せるよ」
そう言っていたのを思い出した。

我が子のためなら、自分の命は惜しくない、
親ってそうだろうと思う。
我が子が生きるためなら、何でもする、それが親心だろうと思う。
今でも私は自分の親を見ながら、そう思う。

良い印象か、良い影響か?

2007年11月21日 09時13分07秒 | 聖書・賛美・メッセージ
先週の祈祷会で分かち合ったこと。
「クリスチャンとして良い印象を持たれたいのか、
 それとも良い影響を与えたいのか」

自分の良い印象を与えたいと思っている人は、
自分の強さ、自慢、武勇伝などを語り、誇示する。
それを聞いた人は、
「あなたはすごいですね。でも私には出来ません」と思うだろう。

クリスチャンとして良い影響を与えたいと思っている人は、
自分の弱さを語り、そこに働かれる神様の力を証しする。
それを聞いた人は、
「神様は私にも助けを与えてくれるだろうか」と思うだろう。

「あの人は素晴らしい人、良い人」という印象を与えたい人は、
「自分が良く思われること」が心の中心となっている。
つまり自分のことを思っているのである。

キリストの良き影響を与えたいと思っている人は、
「あなたにもキリストがいるから大丈夫!」という思いを伝える。
つまり自分のことではなく、目の前にいる人のことを思っている。

背伸びをして、完全であるかのようなふりをする必要はない。
自分を良く見せようとあくせくする必要もない。
私は弱さもあり失敗もしてしまう。
でもキリストが共にいて助けてくれる。
真実に、正直になること、これがクリスチャンの生き方だろう。

 「『わたしの恵みはあなたに対して十分である。
  わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』
  それだから、キリストの力がわたしに宿るように、
  むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
  わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」
               Ⅱコリント12:9-10


カラー

2007年11月20日 07時36分11秒 | TV・CM・ニュース
最近お気に入りのCM。SONYのBRAVIA
地デジでテレビを買い換える時は、
BRAVIAにしようかとも思っている(笑)

子どもたちがあちらこちらから大人の目を盗みながら、
カラーボールを噴水の中に投げ入れている。
この時の子どもたちの笑顔がまたすごくいい。
そして軽快なリズムの音楽をバックに色とりどりのカラーボールが、
いっせいに噴水の水によって溢れ出て飛び出してくるのだ。

 「鮮やかな色、滑らかな動き
  心を潤すフルハイビジョン
  新しいBRAVIA SONY」 というナレーション。

私はどちらかと言えば、単色、落ち着いたモノトーン、パステル系
といった地味なおとなしいものが好きなはずだ。
でもこのさわやかなCMを見て、カラーっていいなぁって思う。

いろんな色があって、それでいい。
いろんな人がいて、いろんな出来事があって、それでいい。
そんな風に思うCM。

時を刻む

2007年11月17日 10時46分15秒 | 妻とのこと
一昨日の新聞を読んでいたら、大手時計メーカーのシチズンが
「結婚30年を漢字1文字で表すと?」
というアンケートをし、その結果が載っていた。
時を刻む時計メーカーらしいアンケート調査だなぁと思う。

だんとつの1位は、「真」。
結婚30年を「真珠婚」というらしく、そこから思いついたようだ。
その他「真心をこめて接してきたから」
「包み隠さず話し合うようにしています」といった理由もあった。

2位は、「和」。
「和やかな家庭でありたい」
「調和のとれた夫婦でありたい」という理由から。
ふむふむ。

3位は、「絆」。
「世の中で1番大切な人が夫」、「2人の絆はかたい」、
「いつまでも一緒にいたい」などの理由。
なかなかいいんじゃないの!

続いて4位が「愛」、5位が「忍」、6位が「信」、
7位が「縁」と「幸」、9位が「珠」、10位が「笑」。

どのメディアも特徴的に報道しているのが、以下の文面。
  
  結婚生活の実情を表したと思われる「忍」は、
  総合では5位ですが、妻の部では2位にランクされています。
  妻のコメントは「よくぞ30年頑張ってきたね、私!と褒めてあげたい」、
  「辛いことばかりだが、稼ぎ頭を支える毎日」
  「我慢あってこその幸せと割りきっている」などです。

ふむふむ。やはり30年も連れ添うには「忍」が必要なのだ!
しかも妻の部では2位ということで、大切にしないと・・・。

夫婦もさることながら、神様もそうだなぁと思う。
私の生きる限り、常に真実を尽くして下さり、
心に平和を与えて下さる。
「いつまでも共にいる」という約束(絆)を実行され、
永遠の愛で、忍耐をもって愛して下さり、
諦めることなく私を信頼し続けて下さる。

そんな神様と時を刻んでいくなら、
夫婦もそのようになっていくのではと思う。
まだ2年目の夫婦なのだが、妻に同じ質問をしてみると、
間髪入れずに「忍!」と言われてしまった(笑)

スペインからの手紙

2007年11月16日 09時50分44秒 | 驚いたこと
これで2通目になるだろうか。
スペインからの手紙が教会に届いた。
スペインからと言っても、中身は英語で書かれている。

私の貧弱な英語読解力で手紙を読んでみると、
この方は夫を亡くされた未亡人。
そしてご自分は余命いくばくもないという。
残された財産を神様の働きのために用いたいので、
連絡をしてくれませんか・・・という内容であった。

もう少し細かく、お涙ちょうだい的な文言も入れながら、
そして所々に聖書の言葉まで引用されている。
封筒の消印はどこからかよく分からない。
そして差出人の名前も住所も封筒には記されていない。
もちろん手紙には名前と住所と電話番号、メールアドレスが記されている。

はっきり言うと、これは詐欺である。
ある教会の牧師がせっかくの申し出なのでということで、
手紙の送り主にメールか何かで連絡をとってみたそうだ。
すると返事があり、銀行の手数料やら何やらが必要で、
まずそれらのお金を振り込んで欲しいとのことであった。
この時点でおかしいと思い、教会を狙った
新手の振り込め詐欺だと気づいたようだ。

信じることを勧める教会に、聖書の言葉までも用いて
お金を騙し取ろうとする・・・
クリスチャン用語もふんだんに盛り込まれているので、
教会に通ったことのある人なのだろう。
何かのきっかけで教会に恨みを持つようになってしまったのだろうか。

人を騙そうとして世界中に手紙を送るその手間隙を、
もっと別のことに用いることができないものだろうか。
悲しい手紙だなぁと思いつつ、細かく手紙を破ってゴミ箱に捨てた。
この手紙の差出人の、こうせずにはおれない気持ちも、
一緒にゴミ箱の中に捨てることができたら良いのになぁと思いつつ。

ヤコブの梯子(はしご)

2007年11月15日 10時18分26秒 | 日常の出来事
月曜日、友だちに会ったその帰りに、
淡路島の方向に「ヤコブの梯子」を見つけた。

雲の間から太陽の光が差し込む風景。
それはまるで天使が降りてくるように見える。
創世記28章で天と地を結ぶ梯子を
天使が上ったり降りたりしている夢を
ヤコブが見たことに由来して
「ヤコブの梯子」Jacob's Ladderと呼ぶそうだ。

ヤコブは家族のごたごたから逃げるために家を出た。
今後どうなるのか分からない不安を抱えたまま、
石を枕にして一夜を過ごすことになった。
そこに天の梯子が現れ、神様がヤコブに言われた。
「わたしはあなたと共にいて、
 あなたがどこへ行くにもあなたを守り・・・」

厚い雲がどんなに覆っていても、
そこを突き抜ける神様の光が照らされていく。
「神様にお祈りしてるよ」と言って友だちと別れた。
我が友の人生にも、「ヤコブの梯子」、
神様の光が現れていく希望を頂いたような気がした帰路となった

老眼鏡

2007年11月14日 08時50分08秒 | 友だち・人物のこと
日曜日の礼拝で、55歳の誕生日を迎えるご婦人が、
「最近は老眼をかけるようになりまして」と言われていた。
見た目にはとても2人のお孫さんがおられるとは思えない。
でも眼鏡をかけて聖書を読まれ、そして皆の顔を見る時は、
少し顔をうつむきににさせ、眼鏡のフレームの上からの視線だった。
何となく、私のおばあちゃんがよくやっていた仕種だなぁと
懐かしく、親近感を感じた。

老眼鏡をかけるようになると、近くを見る時は眼鏡を通して、
そして遠くを見る時は、眼鏡を外してということになるのだろう。
私も遠視気味なので、「30代後半には老眼鏡」と言われたことがある。
「30代で老眼鏡は早いやろう・・・」と思っている。

ある方が「心の近視と遠視」ということで、
 「遠くばかりを見て 近くにある幸せに気づかない人
  近くばかりを見て 遠くにある希望に気づかない人」
ということを言われていました。なるほどね。

老眼鏡をかけながら「私の笑顔を見て下さい!」
と言われたこの素敵なご婦人は、
「近くの幸せ」と「遠くの希望」をスマイルしながら
しっかりと見つめている方だなぁと思った。

毎週金曜日に本やグッズを配達に来られるおじさんは、
ある日、眼鏡を2つもかけていたのだ!
不思議に思い尋ねてみると、
「高い眼鏡を新調しても、すぐに度があわなくなりますねん。
 それやったらと、100円ショップの眼鏡を2つかけてますねん!」
と屈託のない笑顔で話され、思わず互いに笑いあった。
この方の心は曇っていないなぁと、
聞いている私が晴れ晴れとしてきたのであった。