星を数えながら

日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など
小さくても星のようにキラリ☆光ることを
分かち合えればいいなぁ。

言葉遊び

2009年03月11日 08時47分56秒 | 考えたこと
私は駄洒落をほとんど言わない。皆無に等しい。
駄洒落を話す人を見ると、「頭の回転が早いなぁ」と思う。
少々感心するが、少々戸惑うこともある(笑)

駄洒落は言わないけれど、自分で考えた語呂合わせがある。
まぁ私ごときが思い浮かぶ語呂合わせだから、
もっと前に誰かが言っているのだろうと思うが。



①「心棒があれば、辛抱できる」

心棒があると(人生の基軸、中心、土台がしっかりする)、
辛抱できる(忍耐、心の大きさ、ふらふらしない、倒れない)。

最初は、辛抱すれば(忍耐すれば)、心棒が生まれると思っていた。
しかし心棒がなければ、辛抱できないことが分かってきた。


②「競争心ではなく、向上心」

受験勉強の最中、ただ競争するために学んでいるのではない、
そういうことを自分に言い聞かせていた。
生きることも、誰かと比較することではないだろう。
昨日よりも今日、よりよく生きて生きていく、
競争ではなく向上だろうと思っている。


③「肝要なことは、寛容でおれる」

これは、最近つくづく感じていること。
本当に大切なこと(肝要)であれば、
慌てたり、苛立ったりする必要はない。
肝要なことほど、寛容な思いでおれるはずだ。


電動アシスト自転車

2009年03月10日 12時14分03秒 | 考えたこと
昨年道路交通法の改正があったようで、
人の力と動力補助の比率が、最大1:2になったそうだ。
(今までは1:1だったようだ)

もちろんスピードが出るとこの比率は下がり、
時速24キロ以上になると補助力はなくなるので、
スピードが出過ぎることはなくなるという安心設計だそうだ。



イエス・キリストを信じて信仰をもったからと言って、
人生の坂道がなくなるわけではない。
でこぼこ道もあれば、砂利道も水たまりも、
心臓破りの坂道も依然としてある。

でもキリストを信じる者は、坂道を自分の力で、
立ちこぎをしながら歯を喰いしばって登って行く必要はない。
だからと言って、何もしないで自動的に登れるわけでもない。

適度な汗をかきながら、しかし聖霊の力に支えながら、
頂上にある風景を望みつつ、坂道を登りきることができるのだろう。

毎朝、教会員の婦人の方が祈りに来られた後、
電動アシスト自転車で、少しなだらかな坂を軽やかに登っていく、
そんな後姿を見ながら、電動アシスト自転車と信仰生活は、
どこか似ているなぁと感じていた。


泣きながら

2009年02月17日 08時53分30秒 | 考えたこと
日曜日のメッセージの枕詞

シェークスピアの『リア王』の中に、
「人は泣きながら生まれてくる」
というセリフがあるそうです。
(『リア王』を読んだわけではなく、孫引きです・・・)

生まれてくる時代、出身地、人種、肌の色、性、
才能、両親や兄弟も、自分の意志では選べません。
思うがままにならない人生を象徴するかのように、
人は泣きながら生まれてくるというのです。

そうなんでしょうか?
もう少し積極的な意味があると思うんですが、
それが何かは分からないので、分かった人は教えて下さい!
○○ちゃん(教会にいる小さな女の子)に聞いてみましたが、
可愛く首をかしげてほほ笑むだけでした(笑)

私は他の動物のことはよく分かりませんが、
しかし人は誰しも、泣きながら生まれてきます。
泣かなければ、お尻を叩いてでも泣かされています。
(しっかりと呼吸をさせるため?)

創世記1章、神は天と地を創造された時、
創造された世界を見て「良し」と言われました。
そして6日目、人を創造された時、
「はなはだ良い」「きわめて良かった」と思われました。

泣きながら生まれてきた赤ちゃんを、
助産師や看護師、そしてお母さんが抱きながら、
「おーよしよし」「よしよし」と言っています。
どんなに激しく泣いてもわめいても、
大人は「おーよしよし」と愛情いっぱいで赤ちゃんを抱いています。

どうして人は泣きながら生まれてくるのか、
私にはまだうまく説明できません。
もしかすると、母親と離れてしまう不安感なのかもしれません。
それでも、母親を初めとして「よしよし」と言ってくれる、
そういう声が近くに居ることをやがて知るようになります。



私たちが泣いたりわめいたり、嘆いたりすることがあっても、
天の父なる神様は、
「おーよしよし」「よしよし」「大丈夫、大丈夫」と
全能の御手で、私たちをいつも抱えて下さっているのでしょう。
天と地を造られたその時から、
天の父なる神様の大きな御手が私たちを支えているのでしょう。


新携帯②

2009年01月24日 09時48分01秒 | 考えたこと
携帯の購入に関して、「???」と思ったことがある。
今回、2007年の夏バージョンということで、
既に製造していないもの、
在庫限りのものを「実質0円」で購入した。

近くのSoftBankショップ、家電製品店、ショッピングモールなど、
購入するにあたって5ヶ所の店をまわった。
(っと言っても、ショッピングモールの中に
 家電製品店と専門店が入っていたので、実質は3か所だ)

「実質0円」とは、機種代金と同じ額を
回線使用料や基本料から差し引いてくれるということだ。
(ただし基本料や回線使用料が機種代金の分割金額より下回ったら、
 それ以上の差し引きはないということだった)
ここまでは納得できたし、Wホワイトに入っているので、
結局、機種代金は「実質0円」だから契約に入った。

しかし「店頭手渡し頭金料」(不正確かも?)なるものが、
8000円もかかると言う。ここからが「???」だ。
8000円かかることを説明したそのすぐ後で、
「でも、このプラント、あのプランにご加入下さり、
 そして年間費も申込料も無料のクレジットカードを作って下さり、
 そこから電話料金を引き落としにして頂くと、
 この8000円はかからず、かなりお得になります。
 これらのプランも1か月だけで解約しても大丈夫です」
と女性の店員が少々早口でのたまわれたのだ。

そして多くの方が、そのようにしていて、とてもお得だと、
話されたが、隣で聞いていた妻は「何だかややこしい」と言う。
そんな表情をしている大蔵大臣が、予想外の8000円を出すわけがない。
そして私は「この頭金の8000円とは、何の頭金ですか?」
と尋ねてみたら、この女性店員は、ちゃんと説明できなかったのだ!

「機種代金は24か月の分割で、しかもそれは実質0円なので、
 機種代金の頭金というのはおかしいですよね~。
 しかも店頭お持ち帰りに何で頭金が必要なんですか?
 事務手数料は別途なので、何の頭金ですか?」
とたたみかけるように問うても、確かな返事はなく、
「この代金は、店によって違います」と答えられた。

その一言で、店によって違うなら他店へ行こうと私は立ち上がり、
「それでは、今回はなかったということで。
 また別の機会によろしくね」と言って店を後にした。

結局、幾つものプランに入ってもらうことと、
クレジット会社から何らかのマージンをもらう、
そのための意味不明の名前のついた8000円だったのだろう。

その後に行ったイオンの携帯ショップでは、
とっても丁寧に説明をしてくれて、
我が妻でもよく分かっていたし(失礼)、
しかも意味不明の頭金8000円はかからなかったのだ!

同じものを買うのに、こうも対応が違うのもおかしな話しだ。
私のように気が弱くて素直で信じ安いお客さんは、
「そういうものか」と店員の言いなりになってしまう(笑)
これからは、絶対イオンさんでお願いしようと思う。
去年加湿器を購入する際に感じたマイナス感は、
これで一気に吹き飛んだ!

ついでに宣伝しておきます(笑)
イオンモールりんくう泉南


乗り越えなくてもいい壁

2008年11月05日 09時01分00秒 | 考えたこと
最近、車を運転しながら考えたこと。

以前は「祈ったら、どんな壁でも乗り越えられる」、そう思っていた。
神様がご一緒だから、どんな壁でも乗り越えられる、
疑うことなくそう信じていた。
それでもやっと、「乗り越えなくてもいい壁」があることを知った。

もちろん、もうちょっと頑張れば乗り越えられるのに、
努力を惜しんで、諦めてしまうことは良くないことだろう。
その場合は最善を尽くし、神様に依り頼むことが大切だと思う。

しかしどんなに努力の限りを尽くしても、祈ってみても、
それでも「乗り越えることができない壁」がやっぱりあるのだ。

そしてその壁は「乗り越えなければならない壁」ではなく、
「乗り越えなくてもいい壁」なのだと思う。
その壁とは、パウロがアジアに宣教に行きたかったけれど、
聖霊がそれを禁じたという「方向転換の壁」でもあるだろう。

神様がその方向に行くのをお望みではないということを知り、
自分の力の限界をも謙虚に受けとめ、
諦めるための壁ではなく、その壁には矢印が記されているだろうから、
その矢印に向かって方向転換していけばいいと思う。

「NO」と言ってはいけないような信仰姿勢は、どこか虚勢的である。
真実な「NO」もある。それは諦めや、逃げるための「NO」ではなく、
他の「YES」を行うための「NO」ということだ。
「今の私にはこれは出来ないけれど、これとこれなら出来ます」、
そういう「YES」を言うための「NO」だ。

「一歩踏み出せば道は開ける」と言うだろう。
「不可能は可能となる」とも言うだろう。
しかしその一歩は、神様が望んでいる方向への一歩なのか、
自分のしたいことを無理にでも神様にかなえていただく不可能なのか、
そのあたりをじっくりと神様に尋ねることが大切なはずだ。

その結果、その壁は「乗り越えなくてもいい壁」だと気づくなら、
すなおに方向転換すればいいと思う。
それは「乗り越えるための壁」ではなく、
「方向転換を示す壁」なのだろう。

そうやって真摯に受けとめて、方向転換することを、
ある人は「逃げる」と言うかもしれないし、
「諦めた」と言うかもしれない。
そしてきっと「がんばれ」とか「もっと祈ったら」、
「私だったらこうする」、「私はこうやって乗り越えてきた」
というような言葉が出てくるのだろう。

しかし「乗り越えられない壁」にぶつかって、もがいて、
それを「乗り越えなくてもいい壁」だと神様から教えてもらった人は、
同じ壁の前に佇んでいる人に、同じ思いでそっと寄り添ってくれるのだろう。
なぜなら、その人がもう充分にがんばってきたことを
誰よりも痛いほど分かっているだろうから。

人生をかけるほどに「乗り越えなくていい壁」を知った人は、
真実な優しさを持つことができるんだろうなぁと思う。
そんなことを考えながら、湾岸線を運転していた。

木漏れ日

2008年08月07日 11時11分13秒 | 考えたこと
北海道のキャンプ会場の正面に、緑の風景が広がっていた。
そこに木漏れ日が射していて、とてもいい感じだった。
もしかすると、メッセンジャーの私を見てくれていたようで、
実はみんな、後ろの風景を見つめていたのかもしれない(笑)
なぜなら、私も反対の立場だったらそうしているかもしれないから!

休憩時間に後ろの風景を眺めていたら、
1匹の蝶がふわふわ~ふわふわ~と飛んでいた。
そう言えば、小さい頃は蝶を捕まえたりしたのもだが、
いつの間にかそんなこともしなくなり、久しぶりに蝶を眺めていた。

本当は、蝶の飛び方が好きじゃなかった。
どこに飛んでいくのか分からなくて、安定しなくて、
ふわふわ、ふわふわ、不安定な飛び方のように感じていたのだろう。

どちらかと言えば、燕のようにスーッと流れるような飛び方、
「ここからあそこまで飛ぶぞ!」と目標を目指して飛んでいる、
そういう飛び方の方が自分にあっているように思っていた。

あるいはトンビのように、風に身を任せながら、
ゆったりと大空を羽ばたいている、そんな飛び方が好きだった。

それでも今回、北海道の大地で木漏れ日の中、
ふわふわふわふわ飛んでいる蝶を見ていると、
こういう飛び方もいいかもしれないなぁと思うようになった。

それ以上、どうと言うこともないのだが、
こんなことを考えるのは、歳のせいだろうか?
それとも自分の心象風景を投影しているのかもしれない(笑)

インフォームド・コンセント

2008年06月13日 08時17分36秒 | 考えたこと
「インフォームド・コンセント」
医療現場における患者と医師との病状についての情報の開示、
そして治療についての相互の合意ということだろう。

妻が入院した時に、患者の家族として
アンケートのように以下のことについて答えた。

 ・あなたは、患者様の病気がたとえ治りにくい病気でも、
  本当の病名を知らせたほうが良いとお考えですか。
   (はい、いいえ、その他、理由)

 ・あなたと患者様の医療に対する考え方が異なる場合には、
  どうしたら良いとお考えですか。
   (患者様の考えを優先する、
    あなたの考えを優先する、
    医師に任せる、その他)

 ・仮にあなたが患者様になった場合、病気の検査内容、結果、治療方針、
  病状経過などについて、どの程度医師から説明を受けたいですか。
   (詳しく知りたい、
    簡単に知りたい、
    医師の判断に任せる)

 ・もしあなたが癌や悪性疾患のように治りにくい病気になった場合、
  本当の病名をお知りになりたいですか。
   (はい、いいえ、その他、理由)


また患者の側として、妻への質問に以下のようなものがあった。

 ・もしあなたの治りにくい病気の場合、家族、その他が
  病名を本人に告げることを反対している時、あなたはどうしますか。
   (それでも自分の責任において正しい病名を知りたい、
    家族、その人の意向に従う、
    その他)

私の返答は、恐らく一般的よりもやや自立型、本人の意志尊重型だろう。
それは夫婦共に信仰を持っているからだとも言えるだろう。
妻がどのように答えたのかは、まだ聞いていない。

クリスチャンドクターの柏木哲夫先生が、
「誕生日に自分の死を思い、
 結婚記念日には癌を語り合う」
ことを提唱されている言葉を思い出した。
いざと言う時のためにも大切なことだし、
夫婦が大切なことの意思疎通、確認ができているという点でも
とても有意義なことだろう。

写真の中の想い出

2008年05月30日 07時46分36秒 | 考えたこと
教会の若い方々に頼んで、最近の教会行事の写真を
色画用紙の上に楽しいレイアウトをしてもらい、
1F小ホールの歌詞ボードに貼り付けた。
もちろん愉快なコメント付きで、
画像をプリントアウトして切り貼りしているのもある。

最近のFUJIFILMのCMで、「写真集効果」なるものが流れている。
「ありきたりな熱海旅行の写真。
 でも写真集にまとめてみると」
「何だか、すごく楽しかったような気がしてきたぞ、熱海!」
という会話が流れている。そして最後に、
「あなたのデジカメ写真が、お店で写真集に」
というお勧めのCMである。

行事写真を歌詞ボードに貼り出す意図は、写真集効果を期待し、
教会の行事が楽しかったと思い込ませるものではもちろんない!
実際、皆で参加する行事は、いろいろ楽しかったのだ。
しかし人間の記憶というものは曖昧で、楽しかったことを忘れてしまう。
写真を見てもう一度思い起こすことも多いものだ。
いつの間にか「写真を通しての記憶」、
あるいは「写真の中の想い出」となっている場合が多い。

それならば、皆で過ごした楽しかった想い出を
愉快なコメントやレイアウトを通してもう一度楽しみ、
そして楽しい思い出を忘れないで記憶として残しておく、
そういう意図を込めての写真の掲示である。

な~んて、いろいろウンチクを述べているけれども、
実際、愉快なこと、楽しいことが好きなだけである!
私は今まで、パソコンを使ってしかできなかったが、
(たとえば「もちつき大会」のもの↓)


今回は手書きでしてもらったことでいよいよ味わいがあり、
楽しさ感が沸いてくる。作ってくれた方々に感謝、感謝!



成長

2008年05月29日 09時11分02秒 | 考えたこと
去年の今頃に植えたブルーアイスが、
1年間で40センチほど成長しているのだ!
びっくり、びっくりである。
ちょうど添え木ぐらいの高さだったので、
一目瞭然の成長率である。
去年のもの↓


「この1年間、お前の成長はどうだろうか?」と、
別に誰も尋ねやしないのに、ブルーアイスが問いかけてくるようだ。
「ははははは、まぁそう焦らすなよ!」
「一生懸命に水遣りをしてあげたのは、俺なんだから!」
と水を遣りながらブルーアイスと会話をしている(笑)

桃栗3年、柿8年である。
じっくりと、しっかりと、確実に、
下に根を張らせて頂き、やがて上に実を結びたい。
もうすぐ梅雨に入るだろう。
神の恵みの雨の中で、成長させて頂きたい。

「成長させて下さるのは、神である」Ⅰコリント3:6

30代

2008年05月17日 07時46分04秒 | 考えたこと
30代になって、「あー自分も若くはない」と、
思いあたるふしがあり、何と10も数えることができた。

①まゆ毛が長くなってきた(笑)
 もともと濃くて、つながりかけているまゆ毛だが、
 長さも以前に比べて明らかに長くなっているのだ!
 いつか村山富市元総理大臣のようになるのかも(笑)

②飛蚊(ひぶん)症になっている
 左目の視界のやや左下にほこりのような小さな黒い線が見える。
 気にしなければ気にならない。

③バイキングに行くと、「元」をとれない
 そんなにガツガツしなくなった。
 そろそろ量より質か。気持ちはまだ量なのだが。

④1Fから何かを取りに3Fに行き、何しにきたのかと・・・
 ほんのたまにある。
 そんな時は、もう一度元の位置に戻って考えている。

⑤自分の姿が気にならなくなった
 電車の窓や店のウィンドウに自分の姿が映る時、
 何気なくチェックを入れていたのだが、
 今はそんなこともなくなった。

⑥おでこの上の左右、毛の生え際が・・・
 気のせいか、わずかに後ろに下がっているような。
 きっと親父のように、前の左右から徐々にくるのだろう。

⑦階段を利用するようにしている
 駅などでエスカレーターを用いずに、
 極力階段を上り下りしている。
 健康に気をつけねば、という意識が働いているのだろう。

⑧同じ話しを何度かしている
 「何度も」ではなく、「何度か」なので、
 まだましだろうと思っているのだが。

⑨こういうことを書いても、恥ずかしくなくなった
 恥じらいをなくしてしまう・・・
 これが実は、若くないことの証拠かもしれない!

⑩電話機の子機を、↓このように逆さまに置いていた・・・

 翌日などに気づいた時の情けなさ・・・。
 これが一番のショックだった(笑)
 しかも2回・・・