イースターと言えば、白ゆり。
(最近やっとカサブランカとゆりの違いを
何となく分かるようになったが、それでもまだあやうい)
聖書には、ゆりの記述がたくさん出てくるが、
イースターとゆりの関係は直接記されていないと思う。
聖歌664番に「イースターの朝には」という賛美がある。
その2節が、以下のように歌われている。
ああ冬中 地面の中におった白ゆり
目に見えぬいのちが
春を待っておったのです
ああ白ゆり!
主イエスが甦った良い日を
記念して香るのか
イースターの良い日に
冬の間は、全く咲く気配の見せなかった白ゆりだが、
地面の中でちゃくちゃくと春を待っていた。
そして春が来ると、大きく大きく咲くその様子が、
死を打ち破られたイエス・キリストの
復活の様の象徴となっているのだろう。
何の前進も進展も見えない時がある。
でも復活したキリストを信じる者には、
必ず復活の朝がある、春の日がくるという希望がある。
たとえ目に見えなくても、今は地面の時、
春が訪れない冬はない、そう信じれる幸いを思う。
(最近やっとカサブランカとゆりの違いを
何となく分かるようになったが、それでもまだあやうい)
聖書には、ゆりの記述がたくさん出てくるが、
イースターとゆりの関係は直接記されていないと思う。
聖歌664番に「イースターの朝には」という賛美がある。
その2節が、以下のように歌われている。
ああ冬中 地面の中におった白ゆり
目に見えぬいのちが
春を待っておったのです
ああ白ゆり!
主イエスが甦った良い日を
記念して香るのか
イースターの良い日に
冬の間は、全く咲く気配の見せなかった白ゆりだが、
地面の中でちゃくちゃくと春を待っていた。
そして春が来ると、大きく大きく咲くその様子が、
死を打ち破られたイエス・キリストの
復活の様の象徴となっているのだろう。
何の前進も進展も見えない時がある。
でも復活したキリストを信じる者には、
必ず復活の朝がある、春の日がくるという希望がある。
たとえ目に見えなくても、今は地面の時、
春が訪れない冬はない、そう信じれる幸いを思う。