星を数えながら

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排他的にならず

2008年03月12日 09時35分16秒 | 読書・映画
映画「UNITED 93」を借りてきて鑑賞した。
あの9.11の時に、ハイジャックされた4機の旅客機のうち、
唯一目的地に到達しなかった「ユナイテッド93便」。
その機内で起きた物語を再現した映画だ。

以前のblogで、そこにTodd Beamerという人が乗っており、
最後にハイジャック犯と果敢に戦ったと言われている。
その時「Let's role!」という掛け声をかけたとも。

ハイジャック犯が、イスラムの神に祈っている姿が印象的だった。
彼らは彼らで、彼らの正義を全うするために命をかけている。
自分たちの「正義」のために、コクピットで必死で祈っているのだ。
そして乗客たちは、イエスが教えた「主の祈り」を祈っている。

牧師である私が言うのもおかしな話しだが、
宗教は一歩間違うと恐ろしいものであることは事実だ。
「正義」を追求するあまりに対話ができなくなり、
自らが絶対的に正しいことを主張し、排他的になる。

この映画の監督が指摘していた言葉は、的を得ている。
 「彼ら(ハイジャック犯)は、
  コーランの一部だけを誇張して閉ざされた教義を作り、
  意図的にイスラムの伝統である修練と忍耐の教えを無視し、
  隠密な組織を作った。
  これが唯一の真のイスラムだとのたまう宗教だ」

イスラムの教えには、「修練や忍耐」があるはずなのに、
「復讐」のみに生きようとし、自らの「正義」を主張する。

「正義」を前面に押し出すと、必ず排他的になってしまう。
「自分たちが正しい」ということを押しつけると、
その「正義」によって必ず争いが起こってしまう。

宗教は、あるいは人は、「正義」が土台ではなく、
「愛」が土台となることが本質なのだろう。

 「いつまでも存続するものは、
  信仰と希望と愛と、この三つである。
  このうちで最も大いなるものは、愛である」
              Ⅰコリント13章13節