星を数えながら

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「主と同じ姿に」②

2009年01月08日 10時39分04秒 | 聖書・賛美・メッセージ
2009年1月1日 元旦礼拝のメッセージから(続き)
「主と同じ姿に」 Ⅱコリント3:18

キリストに似る者となるために、
私たちは以下の2つのことを大切にしていきましょう。

1.主に向かって礼拝を捧げる
 昨晩、大晦日の夜、床に就いて1つの夢を見ました。
 それは、紅白歌合戦の総合司会をしている夢です(笑)
 白組司会者の中居君が余計なことを話すので、
 放送時間を気にしている自分がいました!
 
 きっと大晦日の夜、長い時間、紅白を見ていたから、
 紅白の世界が私の無意識の世界を占領してしてまったのでしょう。

 何と交わるか、何を大切にするか、何に自分の思いと時間を用いるか、
 その対象に私たちはだんだんと似てくるのです。
 主に向く時(3:16)、つまり主に礼拝を捧げていく時、
 私たちの品性はキリストの品性、神の似姿へと変えられていくのです。

 命に関わる大切なことは、誰かに代わってもらえません。
 「代わりにご飯を食べといて」、「忙しいから代わりに寝といて」、
 「私の代わりにトイレに行って」・・・・。
 命に関わる大切なことは、誰にも代わってもらえないのです。

 神様に礼拝を捧げること、これは私たちの命、魂に関わることで、
 他の誰かに代わってもらうことは出来ないのです。
 「教会では、他の人が礼拝を捧げているからいいかぁ」、
 そんなことはありません。神様はあなたと交わりたいのです。
 あなたが礼拝を捧げることを喜んでおられるのです。

 私たちは神を礼拝するために造られたのです。
 だから礼拝を捧げると、命が輝き出すのです。

 主に自分自身を向け、礼拝を捧げることを大切にして行く1年を
 今年も過ごさせて頂き、キリストに似る者とならせて頂きましょう!



2.御霊によって生きる
 自分の頑張りで、キリストの似る者にならなくてもいいし、
 なることはできないものなのです。
 「これは霊なる主の働きによるもの」なのです。

 自分で自分を変えることが出来れば、
 私たちには神様が必要なくなるでしょう。

 「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
  わたしがきたのは、義人を招くためではなく、
  罪人を招くためである」マルコ2:17

 まだまだキリストに遠い者だと謙虚に自覚している人、
 そして私には神様の助けが必要であると自覚している人、
 その人のために聖霊という助け主が与えられているのです。
 この聖霊に助けられて、満たされて、聖霊に頼って、
 私たちはイエス様の御足の跡を歩んで行けるのです。

多くの人々が、いろいろな願いを持つこの元旦、
「キリストに似る1年を歩ませて頂きたい」、
そういう決心を年始にできるということは、とても幸いなことなのです!

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