しばやんの日々 (旧BLOGariの記事とコメントを中心に)

50歳を過ぎたあたりからわが国の歴史や文化に興味を覚えるようになり、調べたことをブログに書くようになりました。

紀伊大島の樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、海金剛など

2009年12月16日 | 和歌山歴史散策

前回串本で無量寺に行って萬口の鰹茶漬けに感激したことを書いたが、串本の旅行の当初の目的はそこからくしもと大橋を渡って紀伊大島に行き、樫野崎灯台、トルコ軍艦慰霊碑、トルコ記念館、海金剛を見ることがメインだった。 



実はこの場所をずっと前から見たいと思ってきたのだが、その理由は10年前にインターネットで次の文章を読んで感激してしまったからである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

親善訪日施設としての役目を終えて、トルコの軍艦エルトゥールル号は帰国の途に就くのだが、1890年9月16日に紀伊大島の樫野崎で台風による強風にあおられ岩礁に激突して沈没し、587名が死亡または行方不明となる大惨事となった。 



ここが有名な海金剛とよばれるところ。島の右端にみえるのが樫野崎灯台である。エルトゥールル号遭難場所はこの近くだが、遭難当時樫野崎灯台下に流れ着いた生存者は、この高さ60メートル近い断崖絶壁を這い登って灯台守に遭難を知らせたそうだ。
通報をうけた樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱にあたり、非常用のニワトリを供するなど生存者の健康回復に努め、69名が日本海軍の戦艦によって1891年1月2日に晴れて母国に帰ることができたのだが、詳しくは是非紹介したサイトの記事を読んで頂きたい。この文章を読めば、何故トルコが今なお親日国家であり、何故イランイラク戦争の時になぜ孤立した日本人のために救援機を出してくれたのかを理解することができる。 



ここが遭難慰霊碑。今でも5年おきに串本町とトルコ大使館共催で慰霊祭が行われている。下はトルコ記念館だ。 



この遭難事件の事はトルコの教科書にも永年記述されてきたらしいが、日本人はいいことも悪いことも忘れることが少し早すぎるのではないだろうか。昔の日本人の素晴らしい話を末長く記憶に留めておく努力が少しくらいは必要だと思う。
この日は、串本海中公園を見てから太地に向かい夕食は旅館のクジラ料理で大満足。翌日の昼食はマグロ料理を食べて帰ったことは言うまでもない。 

ちなみに、私が泊まった宿はここです。

太地温泉 花いろどりの宿 花游

太地温泉 花いろどりの宿 花游




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